ニュージーランドの山歩きのコースは、道の手入れの状況で呼び方が変わる。
難しい方から、アンマークド・ルートは、呼び名の通り目印も何も無く地形や地図を読む能力が必要である。道と呼べるものはなく、踏み跡があればラッキーだ。
マークド・ルートになるとケルンやオレンジマーカーが心細くなる間隔で現れる。道は整備されているわけではないが、踏み跡はかなりはっきりと出てくる。
これらはバックカントリー扱いで道は険しく人は少ない。ルートに入る時にはそれなりの装備と覚悟が必要だ。
次にトランピング・トラック。これは人の手が入った山道である。どれぐらい整備されるかはトラックの人気次第である。目印や看板は必要な所にあり、階段やはしごをかけている場所もある。
晴れていればどれも問題なく歩けるが、天候により増水、雪崩、がけ崩れ、などで通行不能になることもある。
そしてウォーク・ウェイ。
これは歩道で山道とはちょっと違う。道は良く整備され平坦で、感じとしては散歩道といったところだ。
街の中の散歩道や小道、国立公園の中でも気軽に歩ける遊歩道がこれである。
距離も短く10分ぐらいのものから長くて1~2時間ぐらいが普通だ。
だが南島のルイスパスには2泊3日で歩く、ニュージーランドで一番長いウォークウェイがある。
山道に慣れていない子供と歩くのにはいいのではないかと思う。
クライストチャーチに最初の地震があったのが去年の9月。
そして今年2月、6月の地震で街の中心部は壊滅的な被害を受けた。
街のシンボルでもある大聖堂も3回にわたる地震で本堂の壁は崩れ尖塔は崩れ落ち、取り壊しの運命となる。
工事が始まる前に、市民が大聖堂にお別れを告げる意味合いも含め、期間限定のウォークウェイが現れた。
それがCathedral Square Walk Wayである。
閉まる直前の週末、家族と一緒に歩いてみた。
最近オープンしたCashel streetのモールに入り口はあり、セキュリティがいて入る人の数と出る人の数をチェックしている。
Colombo street沿いに大聖堂広場まで、両側フェンスに挟まれたウォークウェイだ。
入り口には注意書きがある。
このエリアに入るのはあなたの判断です。先ずこれを読みなさい。あなたの判断、にはアンダーライン付だ。
地震などがあれば、あなたはケガをするかもしれないし生きていないかもしれない。それを承知で自己責任で入りなさい、という注意書きだ。
大げさな、と思うかもしれないが、取り壊しが決まっている建物のそばを通るのである。地震があれば窓ガラスが割れて空から降って来るかもしれないし、道路を挟んであるとはいえその建物自体が崩れるかもしれない。
街の中でも100%の安全というものはない。
安全とは人が用意してくれるものではなく、自分で確保するものなのだ。
それを理解しない人は入るな、と暗に訴える。
こういう突き放したスタンスは好きだ。
さっさと歩けば数分の距離をゆっくりと歩く。
街の中心部は2月の地震以来封鎖されていて、復興は進んでいるとはいえ地震の爪あとはあちこちに残っている。
交差点では見通しが良いので、皆カメラで写真を撮っている。
そこからは高層ビルディングが解体されているのもよく見えるし、がらんとした通りも見える。
女房が言った。
「私が地震の時にあそこに居たって言ったら、みんなびっくりするかなあ」
「そりゃびっくりするでしょ」
女房が働いていた建物がそこからはっきりと見える。茶色い建物の最上階、ガラスに囲まれた場所だ。よくぞまあ無事でいてくれたと思う。
フェンスの向こうは無人の町並みが続いており、そこで人々が普通に暮らしていたというのがはるか昔のようだ。
今、この場所で「地震の時にあの場所にいた」などと言おうものなら、周りの人々は集まってきて話を聞くだろう。
それぐらいにフェンスの向こうは別世界であり現実感がない。
先へ進むと大聖堂広場へ入り、大聖堂の正面で行き止まりである。
僕は地震の後、車で1回だけここを通った。
女房のオフィスの物を運び出すために、立ち入り禁止区域に1回だけ入る機会があったのだ。
その時は車の中からこの景色を眺めてのだが、自分でこの廃墟のような雰囲気を肌で感じると、また違うものがある。
ノスタルジックな思いに浸るわけではないが、崩れた大聖堂を見ると感無量というか、うーんという気持ちになる。
こんな僕でさえそうなのだから、この建物が崩れたことによるクライストチャーチ市民の心の痛手はとてつもなく大きいことだろう。
僕は崩れた大聖堂を何枚も写真に撮り、そしてよく見て自分の心に焼き付けた。
人間でも動物でも生き物は全て死ぬ。
世の中に不変の物は無く、形ある物はいつか崩れる。
さればこそ生きている今が大切なのだし、物が形をとどめている今この瞬間が大切なのだ。
僕だって地震が来るまでは普通に大聖堂を見て、まさかこの建物が崩れるなんて考えもしなかった。
人は失って初めてその物の大切さを知る。
さらば大聖堂よ。
お前はクライストチャーチ市民の心の中で立ち続けるだろう。