ツアー四日目、この日の予定はテカポからワナカへ移動。移動の途中の湖で船を出し釣りをする。
ボクはMさんをワナカへ送るまでが仕事だ。
朝、釣りのガイドのグレッグと出会い、レイク・ベンモアへ。
そこで船を出し、いざ釣りへ。
去年もここでやったが水が濁っていて1匹も釣れなかったそうな。
釣り初めて30分、トローリングという船をゆっくり走らせルアーを泳がせてやるやりかたで30cmほどの虹鱒が釣れた。
ガイドのグレッグがほっとした顔をした。
そりゃそうだろう。去年は1匹も釣れず、今年もそうだったら面目丸つぶれだ。
高いお金をもらっているのだからプレッシャーもかかるだろう。
そう考えると釣りのガイドというのは大変な仕事だな。
などとのん気に構えていたのだが、この後ボクもプレッシャーの渦に巻き込まれようとはこの時には思ってもいなかった。
場所を変えて再びトローリング。
トローリングの時には2本か3本の竿でルアーを流す。
当たりがあったらお客さんがそれで魚を釣り、他の竿は糸がからまないようにリールを巻き上げる。
竿が大きくしなった。お客さんはその竿でリールをまき始めた。
ボクもじゃまにならないよう、もう一本のリールを巻く。
だがその時は底の枝か何かが絡んだようで魚ではなかったようだ。
なあんだと思い、ボクももう一本のリールを巻きあげると、なんと魚がかかっているではないか。
どどど、どうしよう。
今さら「はいどうぞ」と渡すわけにもいかず、そのままあげてしまったが、これには困った。ほとほと困った。
はるばるニュージーランドに釣りに来たお客さんを差し置いて、全く釣る気のないボクが釣ってしまうとは。本当に困った。
しかも35cmぐらいのブラウントラウト。さっきお客さんが釣った魚よりも大きい。
言い訳をするようだが、魚が糸を引っ張ってブルブル震える感触とかそういうのが全く無かったのだ。糸をスルスル巻いていったら魚がそこにいたのだ。
グレッグがボクの肩をポンと叩いて言った。
「This is fishing」
そんな事、言ってもなあ。
Mさんが言った。
「これが釣りだよ」
いやはや、参った。
まあ釣ってしまったものは仕方がない。過去は過ぎ去ったものだ。
こうなったらMさんにこれより大きな魚を釣ってもらわないと。
その後、いろいろと試したが当たりは無し。
お昼は島に上陸して、グレッグ特製のサーモンバーベキューをご馳走になる。
誰もいない小さな島、青い空、青い水、無風快晴、遠くには白い雪を載せた南アルプスがくっきりと見える。
ロケーションは最高だしバーベキューも美味いのだが、釣ってしまった後ろめたさが心に引っかかる。
午後も場所を変えたり仕掛けを変えたりしていろいろと試す。
ボクは湖の神に祈った。どうか1匹でもかかりますように。
だがボクの祈りもむなしく時間だけが過ぎていく。
そしてついにタイムアップ、時間切れ。
僕達は魚2匹をクーラーボックスに入れ、レイク・ベンモアを後にした。
ワナカへ行く途中、川原にルピナスが群生している場所がある。
車も停めやすく写真ストップに使う場所だ。
Mさんに話すとちょっとだけ寄って釣りを試したいと。
Mさんはサンダル履きのまま川原へ。ボクはその辺をブラブラし雲を眺める。
15分後、片手に魚をぶら下げてMさんが車に戻ってきた。
大きな虹鱒である。
「うわあ、すごいすごい。やりましたね」
「うん、水が濁っていて釣れるとは思わなかったけどね。ねえ、もう1回試していい?時間は大丈夫?」
「大丈夫ですよ。行きましょう」
ボクもカメラを持ってついて行く。
先ほど釣り上げたというポイントで再びトライ。確かに水は濁っている。
何回か試すうちに竿が大きくしなった。
「来た来た」
ボクは興奮して叫び、Mさんは魚を釣りあげる。
今回は45cmぐらいのブラウンだ。2kgぐらいはあるかな。
Mさんがニカっと笑う。
これこれ、この笑顔、お客さんのこういう顔を見たくてボクは仕事をする。
釣れなくても竿を振っているだけで幸せになれる、とは旧友の言葉だが、釣れればもっと幸せになれるのは間違いない。
お客さんの幸せは自分の幸せである。
Mさんは自分で釣った魚を粕漬けにしようと、日本からわざわざ酒粕をもって来るぐらいの気合の入りようである。
それならばデカイヤツを釣ってもらって粕漬けを作ってほしい。
そんなボクの願いが天に通じたのか、Mさんの腕が良かったのか、運が良かったのか知らないが、またたく間にいいサイズが2匹釣れた。
これでボクのさっきのハプニングも帳消しとなった。
ワナカへの道中の車内でも会話は弾む。
山の話、釣りの話。ジャンルは違えどアウトドアという所で繋がる。
ボクは言った。
「いやあ、今だから正直に言いますが、さっきの湖でボクが魚を釣っちゃった時は、『あちゃー、どうしよう』って思ったんですよ」
「あれは時の運だからね。でもあなたがあの場所を教えてくれたおかげで大きいのが2匹も釣れた。お礼を言います」
Mさんも運任せのトローリングで釣るのより、自分で川に入って自分の力で釣った方がうれしいのだろう。それは理解できる。
「いえいえ、きっと川の神からの贈り物ですよ。これはどうやって食べますか?」
「半分は刺身かな。残りは粕漬けにしようかなと思っています。そうそう、あなたの釣った魚は家へ持って帰って家族にも食べさせてあげなさい」
ボクは遠慮というものを全くしない。
「そうですか、それなら遠慮なくいただきます。娘も女房も喜びますよ」
ワナカでホテルチェックインした後、Mさんはボクが釣った魚のはらわたを出しお土産に持たせてくれた。
「お土産までいただいてありがとうございます。今回の仕事はボクも楽しかったです。」
「こちらこそありがとう。またお会いしましょう」
「はい、Mさんもワナカで釣りを楽しんでください」
お互いにありがとうと言い合う関係は、人間関係の理想ではないかと思う。
ワナカからテカポに向かう途中、川のほとりに立ち僕は手を合わせた。
「魚さんよ、釣られてくれてありがとう。美味しい粕漬けになってください。大地の母、パパトゥアヌクよ、今回もありがとうございます。お客さんも満足してくれました」
母なる大地はマオリ語ではパパトゥアヌクである。ボクは深く感謝の意を表しテカポに戻った。
この世に美味しい酒は二つある。
山頂で飲むビール。これは言うまでもないことである。
もう一つは、自分が納得のいく仕事ができお客さんが喜んでくれた、良い仕事の後の酒である。
心は充実感にあふれ、全ては明るく、そして楽しく飲む酒は美味い。
この晩もテカポで美味い酒を飲み、幸せなのである。
次の日家に帰り、晩飯に鱒を塩焼きにした。
「ほらお父さんが釣ってきた魚だぞ」
「お父さん、すごーい」
娘は何も知らないので、ボクはえらそーに言う。
「今日もお魚の命を、いただきます」
実はしっとりとほぐれ皮はパリッと。ブレナム産の塩がいいパンチを効かす。
養殖の魚とは一味違う大地の恵みを僕たちは堪能した。
こうやって自分の釣った魚を食卓に出すのも釣りの楽しみなのだな。
食べる物を自分で取るという、人間が太古の昔からやってきた本能に基づく行動である。
釣りかあ、また始めてみようかな。
その晩何本目かのビールを飲みながら、ふと思った。
完