あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

マッケンジーカントリー釣り三昧 前編

2011-12-08 | ガイドの現場
一つのツアーが終わり、休む間もなく次の仕事が始まった。
今回は釣り師のドライバーである。
テカポに連泊して、今日はあっち明日はこっちというようにあちこちと動く。
お客さんのMさんはNZ来訪十数回の超リピーター。毎年釣りをしにやってくる。
多い時には1年に3回も来るぐらい、NZの虜となってしまった人だ。
まあ自然が好きでアウトドアが好きならば、この国は天国なので頷ける話だ。
中にはこの国を遊びつくすには自分の人生を賭けるしかないと、永住を決めてしまう人もいる。僕だ。
パウダースキーヤーがアラスカにあこがれるように、ニュージーランドという国は釣り師の憧れの場所でもあるらしい。
僕は釣りはしないがなんとなく分かるような気がする。



ツアー初日、クライストチャーチからテカポまでドライブをして終了。
今日はテカポ泊まり。時間は7時だが日はまだ高い。それならばマウントジョンまで散歩だ。
風は強いが天気は良い。こんな時に早い時間から飲んだくれるのは勿体ない。
30分ほどの登りで山頂へ。
湖と街を眼下に見下ろす。
この湖の色はなんと表現すればよいのか、独特の青さを持っている。
特に晴れた日のこの湖の色はすばらしい。
上流に氷河があるのでこういう色になるのだが、この色はテカポ独特の色だ。
時間も時間だけに辺りに人はいない。
山頂に一人。
これこれ、この感覚。自分の身をフィールドの中に置く感覚、これを味わいたくて僕はここに住む。
アクセスが良くて周りに人がうじゃうじゃいたらこの感覚は味わえない。
適度に人の暮らしがあり、それでいてちょっと動けば誰もいない場所で景色を独り占めできる。
そしておあつらえむきにベンチなぞがある。
アウトドア天国とはこういうことを言うのだ。



ツアー二日目、テカポで船をチャーターして釣りに出た。
僕は釣りをしないが乗せて貰って一緒に行く。
船頭のグレッグは明るく気の良いキウィを絵に描いたような人だ。
何十回もこの湖は見てるし、空から眺めたことも何回もあるが、船に乗るのは初めてだ。
湖のど真ん中をボートは行く。
ラウンドヒルのスキー場が近くに見える。夏にあらたまって斜面を見ると結構な急斜面だ。
何回か滑ったが、その時の思い出が頭に浮かぶ。
お客さんを連れて行ったこともあれば、プライベートで娘を連れて行ったこともあった。
恐ろしく長い、たぶん世界最長のロープトーがあり、娘を牽引して乗っている間に腕がしびれてしまった。
山の上からはマウントクックがはっきりと見え、この湖全体を見下ろした。
今、僕はその湖の真ん中にいる。
違う角度から景色を眺めるのは楽しい。
互いに見渡せる二点の位置に立ち、前回あそこに行った時はあんなだったなあ、などと考えるのが好きなのだ。
お客さんが釣りをしている間、ボクは雲を眺めながらボケーっとそんな事を考える。
午後になり風が出てきた。湖面には白波が立ち始めた。
山の上にはレンズ状の雲が出来ている。この雲が出ると天気は下り坂だ。
うねりが出た湖面を揺れる船で街に戻った後、湖岸沿いの道をドライブして流れ込みの場所で釣りを試すが当たりは無し。
結局この日の釣果は小さめのレイクサーモンが一匹。



お客さんをホテルへ送り、宿へ帰ると仕事仲間のユキがすでにビールを飲んでいた。一緒にいる若い日本人は貧乏旅行をしているというケンジ。
ボクは荷物を部屋に投げ入れると、そのまま彼らに合流した。
ユキはクィーンズタウンで働いていて、何度か挨拶をしたことがあるが、じっくり話すのは初めてだ。
ショートカットが似合う、元気な女の子である。
彼女が言う。「髪の毛を坊主刈りにして石鹸で頭と体を一緒に洗いたい」
そんなのボクはいつでもやっている。自分が普通にやっていることが人には羨ましいこともある。
僕らはビールを次から次へと空けて行った。貧乏旅行のケンジにもどんどん飲ませる。
「ほら、ケンジ、これはいただきもののビールだから遠慮なく飲みんしゃい」
「ありがとうございます」
「オレもね若い時は年上の人にいろいろおごってもらったのだよ。若い時はヒマはあるけど金はないものだからな。だからオマエさんが年を取った時に若い人におごってやりなさい。そうやってエネルギーは廻るものだから」
えらそーに説教というか説法をしながら飲む。典型的なオヤジだな。
ビールの酔いが回ってくる頃、ギターとハーモニカを出してきてマオリの曲なぞ披露。
泊まっている宿はいろいろな国の人がいる。だがマオリの歌はどこでやっても歓迎される。音楽は国境を越えるのだ。
そのうちに顔見知りだったイギリス人の夫婦が輪に加わり、旦那がギターを弾きボクがハーモニカを吹くというアドリブのセッションが始まった。
歌が終わったら語らいの時間だ。いつの間にか一人で旅をしているフランス人の女の子が輪に加わり、さらに台湾人とフランス人の二人組みも会話に入ってきた。
ボクはかなり酔っ払いながら皆に話す。内容はワンネスの話、これからの世界の話、エネルギーの話などなど。
最後は酔いもかなり回って何を話したかよく覚えていないが、次の日に皆ニコニコとしていて、「昨晩は良かった」と言ってくれたのでそうそう的外れな話をしたのではあるまい。
この輪の中に居た一人旅のフランス人の女の子にボクはえらく気に入られたようで、その後も一緒にご飯を食べたりテラスで話をしたり彼女が旅立つのを見送ったりした。
あと20年若くて独り者だったらロマンスに発展するような勢いだったが、よくよく考えれば20年若かったら僕はきっと相手にされないことだろう。
だけど可愛い子だったなあ。逃した魚は常に大きいのだ。



翌日は朝から雨が小降り。この日は船は使わずドライブをしてあちこちで釣りをするという予定だ。
こういう日はガイドの腕の見せ所である。
「今はここで雨が降っていますが、この雨はここの山で落としきっちゃうでしょう。東側の峠の向こうは青空と言わないけど高曇りぐらいです。雲の動きが天気予報より速いようなので反対側のクック方面は午後から晴れていくことでしょう」
昔バスドライバーをやっていて、毎日のようにここを通っていた。
天気の移り変わる中を走っていた経験、そして天気図を読み空を見ることから、かなりの割合で天気が読める。
「天気図を読み、天気予報を見るけど、自分の目で空を見ることも大切なんですね。ボクはいつも空を見ていますよ」
「観天望気ですね」
「そうそう、それです。この辺りは西の海上で出来た雲が先ずクックの辺りで雨になって落ちます。落ち切れなかった雨雲は次にテカポの東側の山で落ちます。だから太平洋側はいつも天気が良く乾燥しているんです」
「へえ~、日本の冬型みたいだね」
Mさんは昔はかなり本格的に山をやっていた人なので、天気の話も理解が早い。ボクが思っていることも先回りして感じてくれる。
案の定、峠を越えると雨はほとんどなくなり青空も出始めた。
地図で確認していた川が合流している辺りで釣りを試す。
ボクは釣りのガイドではない。天気を読み良さそうな場所へ案内することは出来るが、どういう釣り方をすれば魚が釣れるのかは分からない。
あとはお客さんの腕と運しだいだ。
ただ、この人の目的はニュージーランドで釣りをすること。それをかなえるためにボクは働く。
誰もいない川原で竿をふるMさんは幸せそうだ。
ここでも当たりはなかったが、Mさんは言った。
「いやあ、釣れても釣れなくても、釣りは楽しい」
そうこなくっちゃ。ボクは旧友の言葉を思い出した。
「釣り師は水辺で竿を振っているだけで幸せになれるんだよ」
誰もが釣りをやるかぎり、魚を釣りたいに決まっている。魚を釣りたくない釣り師なぞいるわけがない。
そのために仕掛けを変えたり、釣り方を変えたり、川虫などを探したり、歩いて移動しポイントを探す。努力が必要なのだ。
簡単には釣れないから釣りは面白いのかもしれない。誰もがどんなやり方でも魚が釣れるとしたら釣りはつまらないものになるだろう。
では魚が釣れないから幸せではないのか?違うだろう。釣れる釣れないは別にして、釣りをすることが楽しいのだ。
ボクはだいぶ前に釣りをした時があったが、目の前を魚が泳いでいるのが見えるのに全然釣れないことに腹を立ててやめてしまった。
魚が釣れなければ幸せになれないボクは、釣りをするべきではない。
釣りをしなければ釣れないことでイライラすることもない。その代わり釣り上げる喜びもない。
魚を釣るより食べるのが大好きなので、その時はお金を出して買う。
自分で釣った魚を自分で捌いて食ったら美味いだろうなあ、とは思うが山歩きなどで忙しく、実現できないでいる。
Mさんがボクに聞いた。
「私は釣りをやっているけど、あなたは退屈ではないですか?」
「いやあ、ボクはこういう所にいるだけで幸せなんです」
「そりゃ私と一緒だ」
幸せは常にそこにあるものだ。雲を見て風を肌で感じ幸せになってしまうボクはつくづく幸せ者なのだろう。
午後はクック方面へ移動、用水路のサーモンファームのそばで釣り。
想像通り、天気は回復し青空が広がった。
だがマウントクックだけは雨雲の中だ。こういうこともよくある。
この日の釣果はゼロ。まあこういうこともあるだろう。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする