あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

多数決

2013-07-26 | 日記
ある日、家族団らんのひと時の話。
僕は大きなおならをした。
女房「いやだー、誰?今のおなら」
僕「みーゆーきー!」
娘「お父さーん!」
女房「どっちがしたの?」
僕「深雪がした」
娘「お父さんがした」
女房「本当はどっちなの?」
僕「じゃあ多数決で決めよう。深雪がしたと思う人?」
僕は手を上げ、女房も手を上げた。
僕「ではお父さんがしたと思う人?」
娘が手を上げた。
僕「はい多数決の結果、さきほどのおならは深雪さんのものということになりました。おめでとうございます」
娘「ひどーい。みーちゃんじゃないのに」
僕「だって多数決で決まったんだからしょうがないだろ。な?多数決っていうのはこういうことだ。」
娘「うーん」
納得がいかない、という顔だ。そりゃそうだわな。
一応フォローもしておくか
僕「こうやって真実は覆い隠されてしまうが、お前が真実を知っている。お前が、おならをしたのが誰か知っている。それでいいんだよ」
と、まあこんな会話をしたのだが、今回は多数決について。

いろいろな物事を皆で決めるのに多数決というやり方がある。
多くの人の意見を取り入れるのだからこんないいやり方はない。
実に民主的でいいじゃないか。
と表面的なところだけ見れば、そう思うだろう。
だがそこに、大きな落とし穴がある。
このシステムは先の例の通り、真実を隠してしまう。
もっとひどい言い方をすれば意図的に操作できる。
おならをした人(僕)は、それを隠すために多数決で決めよう、と言い出す。
おならの犯人(僕)は自分ではない、と嘘をつく。
おならをしていない人(娘)も自分ではないと、こちらは本当の事を言う。
そしてどちらが本当かよく分からない第三者(女房)に、その決断を任せてしまう。
犯人(僕)は嘘を隠すため偽りの情報を次から次へと並べあげるだろう。
それに対し被害者(娘)は自分ではやっていないと正直に言う。
親子だったら子供を信じるというだろうが、ではどちらも知らない人が二つの意見だけを聞いたら?
どちらがインパクトが強い?
こういうことは世の中にいくらでもあると思う。

子供の頃、学校のクラスで多数決で物事を決めることがよくあった。
その時に感じた違和感が何だったのか、今になってよく分かる。
多数決では数が多い人達、言い方を変えたら大衆の意見が通る。
ではその大衆もしくは民衆が間違っていたら?
全体としては間違った方向に進むだろう。
間違った方向に進み、大きな失敗をするとしよう。
ではその責任は?
みんなが決めたことだから、みんなの責任?
「だってしょうがないじゃん、みんなでそうやって決めたことなんだから」
そうやって責任のありかというものが有耶無耶(うやむや)になってしまうこともある。
そして僕の好きな陰謀論だが、大衆というものは今も昔も洗脳されている。
大衆もしくは群衆というものをうまーく操作して多数決で自分の都合の良い方向にもっていく。
これが支配者のやり方である。
選挙などはいい例だ。

先日、参議院の議員選挙があった。
僕は三宅洋平という人を応援していたのだが落選してしまった。
この人は音楽家、という肩書きだと固くなるが要するにバンドマンである。
この人の街頭演説というかライブというか、youtubeで見たのだが胸が熱くなり涙がこみ上げた。
そしてこうも思った。
「こういう人が国会議員に立候補するのならば日本もまだ捨てたものではないぞ」
そして去年知り合ったプロスキーヤーの秋庭将之さんも応援していることをFBで知った。
人との繋がりを感じずにはいられない瞬間である。
思わずメッセージを送ってしまったよ。
引き寄せの法則の通り、人と人は繋がっていく。
さて、その気になる選挙の結果だが三宅洋平さんは堂々17万もの票を集め、落選。
個人得票数で三宅洋平さんは上位30位に入っていたそうな。
その人が48の議席に入れない。
そして三宅さんの4分の1の得票の人が当選してる。
これって・・・・・・。
多数決にもなってないじゃん。

こんなところで選挙のシステムが悪いとか、陰謀だとか書いても何も始まらない。
彼が落ちたのは残念だがそれはすでに過ぎ去った話。
僕にとって大切なのは、僕が選挙フェスの映像を見て(3回も見た)感動したこと。
そして同じように感動して、投票した人が17万人もいたこと。
そして人との繋がりを感じたことなのである。

おならの話から選挙の話へと話はぶっとんでしまったが、多数決というもの関する胡散臭さというものは簡単には消えないだろう。
「じゃあどうすればいいのさ?そんな事を言ってたら何も決まらないでしょ」
無責任だが僕もどうすればいいか分からない。
だが僕は他人に「どうすればいい?」とは聞かない。
答えは自分の中にあり、人が言ってくれるものではないからだ。
「自分では分からないから教えてくれ」という人はクレクレ君といって、そういう新しいキャラが生まれつつある。
そのうちにクレクレ君の話も書こうと思っているので、お楽しみに。

コメント (1)
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