あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

和醸良酒

2019-03-24 | 酒人
いろいろあった夏休みを終えてクィーンズタウンに戻ってきた。
その翌日から蔵で働く。
酒をブレンドさせて瓶詰にする酒造りの最終工程は造りと呼ばれる。
瓶詰の準備をして、作業に始まる時にアキがおちょこに酒を満たし僕に手渡した。
「まあ、これでもやりながらね」
アキは今年から働き始めた。
彼とは10年ぐらいの付き合いになるか。
年も同じぐらいで、スキーヤーでウィンドサーファー。
若い時にはバイクのレースもやってたというし、ヘヴィメタルバンドのドラマーもやっていたと言う。
まあ、いろいろなところで重なり合う友達なのである。
彼が蔵で働く前に電話で相談を受け、僕は強く勧め、働くことになり今は杜氏デイビッドとアキで酒を造っている。
瓶詰にする酒を口に含む。
旨い、文句なく旨い。
僕もアキも『春の小川ぼせせらぎのようなまろやか』とか「夏の夕立のような力強さ』などという酒の味の誌的表現ができない。
どれを飲んでも「旨いね」になってしまう。



クライストチャーチから戻って来る時にサーモンを1匹買ってきたので、それを蔵で昼飯に食おうという話になった。
家から簡易スモーカーを持ち込んで、その場でスモークサーモン。
出来立てのスモークサーモンを肴に、昼飯時に軽く一杯。
午前中にやった瓶詰の残りが、いい塩梅に残った。
さらに我が家の卵の卵かけご飯をアキにふるまった。
「うまいなあ、卵かけご飯。あまりに旨くて酒を飲むのを忘れっちゃったよ」
杜氏デイビッド、おかみさんのヤスコ、リチャードもみんなで一緒にサーモンを食らう。
旨い物を食べるときに人は自然と笑顔になる。
これが『和』というものだと思う。





先日知った言葉で『和醸良酒』というものがあった。
和が良酒を醸す、ということだ。
和とは人の和であり、平和の和だ。
争いのない、幸せな場であろう。
それが旨い酒を作る。
酒ができる要素は米と水と麹だけではない。
造る人の心も関係すると思う。
ギスギスした心で造ればトゲトゲしい味になるのではなかろうか。
楽しい心で造ればまろやかな味になると僕は信じる。
これは何も酒に限ったことではなく、野菜作りだってなんだって同じだ。



昼下がりはジャズなんぞ聞きながら、まったりと作業をする。
アキと色々な話をしながら作業をするのは楽しいものだ。
酒を搾る行程のタイミングで『荒走り』とか『中取り』とか『普通の搾り』というように分かれる。
それぞれに微妙に味が違い、中取りが一番旨い。
中取りと普通の搾りをブレンドする作業があり、それをアキと二人でやろうとしたら杜氏デイビッドが来て言った。
「せっかくだから二つの違いを味見してみれば?」
なんていい杜氏だろう。
すぐにそこで利き酒大会が始まる。
アキがおちょこ4つに中取りと普通の搾りを二つづつ入れて、テスト開始。
一つ目と二つ目は明らかに違いが感じられたが、三つ目、四つ目と味見をするうちに感覚が薄れていく。
そして一つ目と二つ目に戻った時には最初にはっきりと感じた違いもおぼろげになってしまう。
結局最後には全部「旨い」となってしまった。
杜氏デイビッドはさすがにピタリと当てて、杜氏の面目を保った。
そうやって和気あいあいと蔵の中で作業をするのだ。



人が造る場は人の心と深い関連がある。
和の場とは、言葉を換えれば愛の世界でもある。
愛が心の根底にある場合、全ての人が幸せになる。
誰かの不幸せの上に自分の幸せがあるのではない。
関わる人が全てハッピーになる。
これが幸せのバイブレーション、すなわち『和』なのだ。
アキが蔵に入ったことで、蔵の雰囲気は良くなり、さらに旨い酒が醸しだされる。
実際に全黒はどんどん旨くなっている気がする。
和醸良酒、そしてこれを飲む人も幸せになっていく。
そんな幸せの波動はまだまだ続く。
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