あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

トーマスとUパス 1

2016-06-20 | 過去の話
夏の仕事が終わって一月半、毎日やることはいくらでもある。
専業主夫というものは怠けようと思えばいくらでも楽をできるし、きっちりやろうとすればそれなりに忙しい。
もうすぐ冬の仕事が始まれば、雪山という日常とは違う環境に身を浸すのだが、今は手付かずの自然とは遠い場所にいる。
山が遠くなっている。
そんな自分を慰めるためにもこの話を載せる。
これも12年ぐらい前に書いた話だろう。
目をつぶっても情景が思い出されるが、こうやって記録に残すのもいいだろう。


気の合う仲間と自然の中で遊ぶ。
これほど楽で楽しいものは無い。
忙しい中ポッカリと2日ほどの時間ができたので、山仲間のトーマスと出かけることにした。
西のタスマン海には大きな高気圧が居座る。
南からの前線を寄せ付けないのでブロッキングハイと呼ばれる現象だ。
こんな時には普段は雨の多いフィヨルドランドにも好天の日が続く。何処に行くにも間違いなく良い。
週間予報でも快晴微風という日が4日ほど続く。
できればこの天気の良い間ずっと山に入っていたいのだが、生きていく為には働かなくてはならないのも現実である。
今回は2日半という時間があり、いろいろ相談したあげくフィヨルドランドのユーパス、アルファベットのUの字峠へ行くことにした。
その日の仕事を昼で終わらせ、バタバタと荷物を詰めテアナウへ向かう。
「何か忘れ物してそうだな」
僕は誰にともなく、つぶやいた。
空は青く澄み渡り明るい緑の大地に子羊が跳ね、遠くには雪を被った山が立ち並ぶ、のどかだ。
テアナウは湖沿いの小さな町で、湖の向こう側にはブナの原生林が広がる。
この国独特のくすんだ緑の山を見ているとなぜか落ちつく。
トーマスは2年間ほどテアナウをベースにガイドをしていた。さすが地元というほどこの辺りの山を知っている。
ガイドをしている僕が聞いていても、なーるほど、ということが多い。ヤツの話はとても楽しい。

フィヨルドランド、ニュージーランド最大の国立公園。
どのくらいの大きさかと言うと、新潟県とほぼ同じ大きさだと考えると分りやすい。
その広大な土地はほとんどが森と岩山に覆われ、人間は全くと言っていいほど住んでいない。
大陸の事を僕は知らないが、この国にそれだけの広さの手付かずの土地が残っているのを考えるとぞくぞくする。
南島の南西に位置するので、南極からの低気圧に伴う前線が常にこの辺りをかすめる。よって、雨が多い。
雨が降って当たり前の場所であり、この辺りの森は雨がなければ生きていけない。
観光で有名なミルフォードサウンドやミルフォードトラックなどもこの国立公園の中にある。
フィヨルドランドと言うだけあって、氷河で削られた入り江が西の海岸線に並ぶ。

ミルフォードへ行く道沿いの数あるキャンプサイトの一つでテントを張る。
午後も深まると車の通りはほとんど無くなる。
キャンプ地は川のほとりで水はふんだんにある。火を起こす場所も用意されている。
車で乗りつけられる場所でこんな良い場所があるのだ。
「今日はこのせせらぎの音を聞きながら寝れるな」
僕は独り言のつもりで言ったのだがトーマスが応えた。
「それについては面白い話があるんですよ。日本のキャンプ場である朝管理人に苦情が来たのです。『川の音がうるさくて眠れなかった。何とかしろ!』ですって」
「なんとかしろって言われてもねえ。管理人さんも困るよな。じゃあどうすりゃいいのだろうってね」
「その後どうなったか分らないけど、そういう人もいるんです。キャンプでカラオケやる人もいるし、テレビ持ち込む人もいますしね」
「そういう人はなんでキャンプなんかするんだろう?カラオケやりたきゃカラオケボックス行けばいいじゃん。テレビ見たけりゃ家で見ればいいじゃん」
「僕が思うにですね、普段していることを屋外でやる事をアウトドアだと思っているじゃあないでしょうか」
「ふーん、そんなもんかねえ」
森に入り枯れ枝や倒木を拾い集める。ミソートと呼ばれる寄生植物が赤い花を咲かせている。
トーマス曰く、ポッサムが葉を食べるので数は減っていて、この国には5つのミソートがありそのうち4つは固有種だ、そうだ。
全く勉強になる。こんな勉強なら楽しいぞ。
火を起こし、とりあえず乾杯。車にはスパイツがどっさり。今日のお隣りさんは500mぐらい向こう。
マウントクリスティーナが赤く染まるのを見ながらビールを飲む。マズイわけが無い。
テレビもカラオケもないが僕たちは幸せだ。



きょうのメニューは前菜に種付きオリーブ。よく種を抜いたのを売っているが、絶対種付きの方がウマイ。オリーブのしょっぱさがビールを美味くする。
メインはアスパラ、鳥の手羽先、マッシュルーム、チョリゾと呼ばれるピリカラソーセージ。全部七輪で焼く。
その時になって忘れ物に気が付いた。醤油だ。今日の味付けは塩コショウだけとなった。
「トーマス、もう焼けたぞ、食え」
「どれどれ、いただきます」
ヤツは数秒間うつむいて止った。そして
「ウマーイ!美味いね、これ」
「でしょう。七輪で焼くと、何でも美味くなるんだよ。醤油を忘れたのは失敗だったけどな」
「いやあ、これでも充分美味いです。僕ね、この七輪まだニ回目なんですよ」
「え~?本当?じゃあ一回目はあの時?」
「そう、あの時」
あの時とは数年前、友人たちと牧場の中の一軒屋で七輪バーベキューとスパイツという、いつもの飲んで食ってガハハの夜を過ごした。
その時に僕等は初めて会ったのだ。
ちなみにトーマスというニックネームはその時についた。名づけ親はどうやら僕のようだが、理由は覚えていない。
それ以来、僕らの仲間からヤツはトーマスと呼ばれている。
見た目はごくごく普通の人で、風貌からはガンガン山に入る男には見えない。
スーツを着ればそのままサラリーマンで通る。実際ヤツは日本ではそうだったのだ。
言葉使いも丁寧で、日本の社会でも充分上手くやっていけるだろう。言いたい事を言って会社をクビになる僕とはエライ違いだ。
「あの時以来かあ。じゃあ、じゃんじゃん食って。今宵はアウトドアクッキングの夕べ。レシピはただ焼くだけ」
「いいですねえ。で、どうやって手に入れたんですか、この七輪?」
「ん?飛行機に乗る時に持ってきたんだよ。手荷物でね」
「本当ですか?」
「うん。空港のそばのホームセンターで買って、ペラペラのビニール袋に入れて持ってきた。周りの人にすげえジロジロ見られたけどね」
「ワハハハ、そりゃおかしい」
僕はソーセージを一口かじり言った。
「ム、トーマス、これはビールだ。絶対ビールだ。食ってみな」
「・・・本当だ。これはビールだ。ビールビール」
ビールがたっぷりあるキャンプはうれしい。
腹が落着いたらデザートである。サツマイモを皮ごと焚火の灰の中に入れただけの焼き芋。なぜこんなに?と思うほど甘くて美味い。
「いやあ、美味かった。七輪ってすごいですね。でも昔の人は毎日これで焼いて食べていたんですよね。それってある意味豊かですよね」
「そう。美味いものを食うのは豊かなことなんだ。幸せになれるしね」
焚火をいじりながら僕は続けた。
「こうやって焚火の炎を見ながら星空を仰ぐ。これって洋の東西を問わず人類が何千年もの間やってきたことなんだよ。人間の原点に戻っていく気がするよ」
「ナルホド」
「オレはこういうことを娘に教えたいな。テレビだってインターネットだってほんの何十年のものだぞ。それよりこの焚火は何千年の歴史があるんだってね」
南十字星が濃い藍色の空に瞬いた。時間は限りなく緩やかに流れる。

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