2017年6月に『琵琶湖周航の歌』ができて100年を迎えます。
(トップの写真は『琵琶湖周航の歌』資料館)
ちょうど一年前ということで、何度かに分けて『琵琶湖周航の歌』について紹介したいとおもいます。
できれば、一年後に何かの記念ができることを願っています。
〇概要
『琵琶湖周航の歌』は第三高等学校(現・京都大学)の水上部(ボート部)の寮歌として作詞・小口太郎、作曲・吉田千秋で大正6年(1917)6月27日に今津で誕生したとされています。
その細かい考証は、100年近く前の学生たちの事ですので、確実な記録は少なく、ほとんどの出来事は『琵琶湖周航の歌』に関わった学生たちがほとんどなくなってしまう直前に彼らと交流し研究を行った飯田忠義氏の著書に頼らざるを得ないのが現状です。
歌詞の内容は、小口が所属していた水上部が夏に行っているボートでの琵琶湖周航を歌ったもので、大津を出発し、雄松(近江舞子)、今津、竹生島、彦根、長命寺の寄港地や宿泊地を盛り込んだ内容となっています。
〇歴史
『琵琶湖周航の歌』は小口太郎の詩に吉田千秋が曲を付けるような直接的な作品ではなく、『音楽界』という雑誌の大正4年8月号に掲載された吉田の作った『ひつじ草』という曲が発表されていて、その曲を知っていた小口の仲間が歌うとうまく合ったのでそのまま曲が使われるようになりました。ですので作曲者として名前が記載されている吉田千秋は自分の曲が『琵琶湖周航の歌』に使われているとは知らないまま亡くなっています。
本来、寮歌というものは多く作られ古い物や魅力がない物から消えて行くのですが、『琵琶湖周航の歌』は水上部の寮生たちによって歌い継がれ、森繁久彌さんや加藤登紀子さんによってメジャーな曲へと広がって行ったのです。
〇再現されたフィックス艇
所在地 高島市今津町
(トップの写真は『琵琶湖周航の歌』資料館)
ちょうど一年前ということで、何度かに分けて『琵琶湖周航の歌』について紹介したいとおもいます。
できれば、一年後に何かの記念ができることを願っています。
〇概要
『琵琶湖周航の歌』は第三高等学校(現・京都大学)の水上部(ボート部)の寮歌として作詞・小口太郎、作曲・吉田千秋で大正6年(1917)6月27日に今津で誕生したとされています。
その細かい考証は、100年近く前の学生たちの事ですので、確実な記録は少なく、ほとんどの出来事は『琵琶湖周航の歌』に関わった学生たちがほとんどなくなってしまう直前に彼らと交流し研究を行った飯田忠義氏の著書に頼らざるを得ないのが現状です。
歌詞の内容は、小口が所属していた水上部が夏に行っているボートでの琵琶湖周航を歌ったもので、大津を出発し、雄松(近江舞子)、今津、竹生島、彦根、長命寺の寄港地や宿泊地を盛り込んだ内容となっています。
〇歴史
『琵琶湖周航の歌』は小口太郎の詩に吉田千秋が曲を付けるような直接的な作品ではなく、『音楽界』という雑誌の大正4年8月号に掲載された吉田の作った『ひつじ草』という曲が発表されていて、その曲を知っていた小口の仲間が歌うとうまく合ったのでそのまま曲が使われるようになりました。ですので作曲者として名前が記載されている吉田千秋は自分の曲が『琵琶湖周航の歌』に使われているとは知らないまま亡くなっています。
本来、寮歌というものは多く作られ古い物や魅力がない物から消えて行くのですが、『琵琶湖周航の歌』は水上部の寮生たちによって歌い継がれ、森繁久彌さんや加藤登紀子さんによってメジャーな曲へと広がって行ったのです。
〇再現されたフィックス艇
所在地 高島市今津町