吉田千秋は、明治28年(1895)、新潟県に誕生しますとても多彩な文化人だったようで、実家には絵や歌集も残していて、今津町の記録ではアコーディオンを借り受けて展示をしたことがあるということですので、作曲者として音楽の才能も十分持っていたと考えられます。
明治45年私立東京農業大学に入学し級長を任されています。翌年から音楽に関する投稿を雑誌に行うのですが大学入学前から患っていた肺結核が悪化して東京を去り実家の新潟へと戻りました。
大正4年(1915)、英詩『WATER-LILIES』にを日本語の詩にして曲を付けた『ひつじ草』が『音楽界』に掲載されます。その2年後の大正8年に24歳で亡くなりました。未年に生まれ未年に亡くなり、ひつじ草を発表した羊に縁のある人生だったのです。
さて、この吉田千秋という人物は、最近まで謎の人物で加藤登紀子さんが歌い始められた頃は作詞作曲が小口太郎になっていて、吉田千秋の存在は忘れられていました。しかし今津町役場の呼びかけで始まった調査により、父親の研究者が千秋の生立ちを突き止めたのです。千秋が亡くなる前の年に亡くなった父親は吉田東伍、『大日本地名辞書』を著した歴史地理学の権威だったのです。
『ひつじぐさ』歌詞
1.おぼろつきよの 月あかり かすかに池の おもにおち
波間にうまぶ かずしらぬ ひつじぐさをぞ てらすなる
2.雪かとまがう はなびらは こがねの蘂(しべ)を とりまきつ
なみのまにまに ゆるげども はなの心は なみだたず
3.かぜふかばふけ そらくもれ あめふれなみたて さりながら
あだなみのした そこふかく 萌えいでたりぬ ひつじぐさ
〇ひつじぐさ
余談ですが、管理人は別の情報紙にも歴史話を書いていて、その中で吉田千秋について紹介しましたので、こちらも参照してください。
→『琵琶湖周航の歌』の原曲
関連地 高島市今津町 『琵琶湖周航の歌』資料館
明治45年私立東京農業大学に入学し級長を任されています。翌年から音楽に関する投稿を雑誌に行うのですが大学入学前から患っていた肺結核が悪化して東京を去り実家の新潟へと戻りました。
大正4年(1915)、英詩『WATER-LILIES』にを日本語の詩にして曲を付けた『ひつじ草』が『音楽界』に掲載されます。その2年後の大正8年に24歳で亡くなりました。未年に生まれ未年に亡くなり、ひつじ草を発表した羊に縁のある人生だったのです。
さて、この吉田千秋という人物は、最近まで謎の人物で加藤登紀子さんが歌い始められた頃は作詞作曲が小口太郎になっていて、吉田千秋の存在は忘れられていました。しかし今津町役場の呼びかけで始まった調査により、父親の研究者が千秋の生立ちを突き止めたのです。千秋が亡くなる前の年に亡くなった父親は吉田東伍、『大日本地名辞書』を著した歴史地理学の権威だったのです。
『ひつじぐさ』歌詞
1.おぼろつきよの 月あかり かすかに池の おもにおち
波間にうまぶ かずしらぬ ひつじぐさをぞ てらすなる
2.雪かとまがう はなびらは こがねの蘂(しべ)を とりまきつ
なみのまにまに ゆるげども はなの心は なみだたず
3.かぜふかばふけ そらくもれ あめふれなみたて さりながら
あだなみのした そこふかく 萌えいでたりぬ ひつじぐさ
〇ひつじぐさ
余談ですが、管理人は別の情報紙にも歴史話を書いていて、その中で吉田千秋について紹介しましたので、こちらも参照してください。
→『琵琶湖周航の歌』の原曲
関連地 高島市今津町 『琵琶湖周航の歌』資料館