1.われは湖の子 さすらひの 旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧や さざ波の 滋賀の都よ いざさらば


出発の地は、小口が在籍していた第三高等学校水上部の艇庫があった場所です。ここは琵琶湖疏水の入口でもあります。

「我は湖の子」で始まる歌詞ですが、最初は「水の子」(読み方は同じ)としていたそうです。
「のぼる狭霧」との情景が出てきますが、狭霧は秋の季語。なぜ6月27日に秋の季語を入れたのか?もしかしたら本当に霧が出ていたのかもしれません。
続く「さざなみ」は近江の枕詞なので滋賀の都(大津宮?)の枕詞にしたのでしょう。これは出発の歌詞でした。
ちなみに『琵琶湖周航の歌』はいくつかの歌詞の変更がありますので、資料館の展示からそれも紹介します。

所在地 大津市大津港近く(琵琶湖疎水入口付近)
昇る狭霧や さざ波の 滋賀の都よ いざさらば


出発の地は、小口が在籍していた第三高等学校水上部の艇庫があった場所です。ここは琵琶湖疏水の入口でもあります。

「我は湖の子」で始まる歌詞ですが、最初は「水の子」(読み方は同じ)としていたそうです。
「のぼる狭霧」との情景が出てきますが、狭霧は秋の季語。なぜ6月27日に秋の季語を入れたのか?もしかしたら本当に霧が出ていたのかもしれません。
続く「さざなみ」は近江の枕詞なので滋賀の都(大津宮?)の枕詞にしたのでしょう。これは出発の歌詞でした。
ちなみに『琵琶湖周航の歌』はいくつかの歌詞の変更がありますので、資料館の展示からそれも紹介します。

所在地 大津市大津港近く(琵琶湖疎水入口付近)