心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
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ポジティブマインド
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●ポジティブ認知  「心の元気を作る」

2009-11-06 | ポジティブ心理学
ポジティブ認知は、思い込みの世界でもあります。したがって、ポジティブなことばかりではありません。現実とのギャップが大きくなれば、ミスも発生しますし、事の真実が見えなくなります。
 でも、「あばたもえくぼ」の世界が真実ではないといって排除してしまって、きりきりした、場合によっては、うつうつとした日々を過ごすのは、心にもからだにもよくありません。

自己実現欲求

2009-11-05 | ポジティブ心理学
人は、生理的欲求から自己実現欲求まで、下から上へと漸次的に欲求満足の成長過程を経るというものです。
最上位に位置する自己実現欲求とは、難しい言葉で定義されていますが、要するに、なりたい自分になろうとする欲求です。それは、一生涯を射程においたものも、明日のこともありますが、ともかく今現在の自分よりも少しでも「高い」自分になりたいとする欲求です。
・ 目標意識があります
・ 向上したい気持ちがあります
・ 今の自分を変へたいという思いがあります
すべてポジティブですね。

キャリア充実感

2009-11-05 | ポジティブ心理学
宮城まり子氏(法政大学キャリアデザイン学部)によると
キャリア充実感は、仕事を通して次の5つの要素が満たされていること
①自分が活かされていると感じること
②自分の成長し発達していると感じること
③自分が認められる、評価されていると感じること
④自分が必要とされていると感じること
⑤自分が社会や組織、そして他人のために貢献できていると感じること

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なるほど
ちなみに、自分は、この5つすべてを今、感じています

実名ブログ

2009-11-05 | 心の体験的日記
日本の匿名ブログは、欧米のブログのように自分の意見を表明するという目的はなく、他人の前では言えない悪口や汚い言葉を書き連ねることが目的である。著者(i池田信夫)は次のように述べる。
「世界のどこにも見られない、この巨大な負のエネルギーの中には、自分を取り巻く不合理な状況と闘うことをあきらめた、無力なサラリーマンや若者の姿がみえる。それは戦後の日本企業システムの鏡像である。日本をだめにしているのは、このような日本企業の家父長的な構造と、それにチャレンジしないでストレスを飲み屋やウェブで発散するサラリーマンなのだ。」(池田信夫ブログ)

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自分は実名である
知らなかったなー
匿名が普通なのかと思っていた

でも、そういわれれば、実に日本的だなー
相手を実名で批判するときには、自分も実名で が礼儀だろうなー

●不機嫌な職場 [心を元気にする

2009-11-05 | ポジティブ心理学
●不機嫌な職場
 不況の影響もあってか、日本の職場、不機嫌に満ち満ちているらしいですね。「不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか」 (講談社現代新書):という本で知りました。
 自分の職場である教室も、不況とは関係なく、実に不機嫌な顔をした学生諸君で満ち満ちています。
 どうしてこれほど不機嫌がまんえんしてしまったのでしょうか。
 忙しすぎる仕事、高度の集中力を要求する仕事、厳しい能力主義と競争などが影響していると思います。
 しかし、不機嫌は、不機嫌な本人にとってはもとより、その周りにいる人々にとっても、なんの得にもなりません。お互いにストレスを溜め込むばかりです。
 ドンキホーテになるかもしれませんが、個人的な努力で少しは周りを元気に明るくしてみませんか。

さらに体重が減る

2009-11-04 | 心の体験的日記
なんと65キロをきって63キロ台になってしまった
体調は極めて良好
たぶん、土曜日から火曜日までテニス、卓球と続いたためだと思う
喜んでいいのだと思う
飲んで食べて少し増やさないとまずいかも
ご飯、茶碗半分では少ないかも

●ポジティブ認知の鍵は、気持ちと欲求と知識[心の元気づくり

2009-11-04 | ポジティブ心理学
●ポジティブ認知の鍵は、気持ちと欲求と知識
 そもそも認知にはポジティブもネガティブもありません。
 あるのは、極端に言うなら、正誤だけです。だからこそ、認知過程は、コンピュータ上で真似をすることができるのです。
ところがそれは表面的な見方。
人の認知の世界は、芳醇です。
正誤を超えた世の中の豊かな認識の仕方、関わり方をガイドします。
ポジティブ認知もその一つです。
  見たい/聞きたいものだけを見る/聞く(ポジティブ知覚)
  都合のいいように憶える(ポジティブ記憶)
  元気になるように考える(ポジティブ思考)
  自分に有利なように判断する(ポジティブ判断)

 世の中を知る(認識する)には、その世の中にかかわる知識が頭の中に必要です。
本が読めるのも、文字、言葉についての知識があなたの頭の中にあればこそです。その知識を総動員して本がはじめて読めるのです。これが、「普通の」認知の世界。
 それが、ポジティブ認知となると、知識だけでなく、信念や気持ち、さらに欲求までもが世の中に認知に深く関わってくるのです。



びっくりしたなー

2009-11-04 | 心の体験的日記
学生が研究室に出し忘れたといって
レポートを持ってきた
「ホチキスでとめないとだめよ」
といったら、
机の上をみて、クリップをみつけ
それでとめて研究室を出て行った
うーん と言う間もなくなく平然とだった
うーん
なんともねー
社会人基礎力の養成が叫ばれるのもわかるなー
でも、実は、大学教員も、社会人基礎力がないんだよなー
この親、いや、この教員あって、この子、いや、学生ありきかなー

ポジティブマインドづくり「良いところを探してほめる」

2009-11-03 | ポジティブ心理学
ポジティブマインドづくり「良いところを探してほめる」

人の「良いところ」を探している視線は、優しいですね。
人の良いところを見つけ出していくと、喜ばれます。
すると、相手もあなたの「良いところ」を見てくれるようになります。
自分では知らない自分の良い点が、人から言われてわかる時があります。
人が引き出してくれた自分の良さを素直に受け取ると、さらに伸ばしていくことができますね。

また、相手の良さを上手に引き出し、伝えることで自分も成長していくでしょう。
お互いに優しい気持ちになり、より良いコミュニケーションを取ることもできるのではないでしょうか。

たまには、家族の良いところをお互いに伝えあうのもいいかもしれませんね。
照れくさいかもしれませんが、実際にやってみるといいでしょう。
その場の空気が暖かいものに変わるのを感じることもできると思います。
(ブログ(Happy☆Mind)http://ameblo.jp/cocoro39s/イメージトレーナー心理カウンセラー
発行者:ねは ゆみこ より)
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考えてみよう(自己肯定感 動機づけ ポジティブ認識 人間関係)
● ほめあうことによる人間関係の変化を実感した経験があれば挙げてみよう。
例 学生の演習のレポートをほめたら、以後、相談にもよく来るし、レポートの質もあがった。


● ほめたときに、相手に起こる変化を挙げてみよう。
・ 顔がゆるむ



●「7つほめて、3つ叱れ」という言説にはどういう意味があると思いますか。



政権交代はおもしろい

2009-11-03 | 心の体験的日記
とはいってはいらないほど、日本の今はきびしい
でも、今日の国会予算委員会なんて、爆笑してしまうシーンがしばしば
間違いなく、これで政治も活性化してきた
まずはスタートは、これでよい
正念場は、来年度だなー


女性の元気の源は会話にあり

2009-11-03 | ポジティブ心理学
● 女性の元気の源は会話にあり
この年になると、人と話すことがかなり減ってきます。とりわけ、大学の教員は、研究室があるので、誰も来なければ、一日まったく会話なし、といこともしばしばです。あらためて会話不足の自分に驚かされます。
それもあってか、最近やけに会話のことが気になります。とりわけ、女性の会話上手がうらやましくてなりません。
話すように作られている女性脳と、勝つことを志向するように造られている男性脳との違いなんて話もどこかで聞いた気がしますが、確かに、遺伝的な性差の一面ではないかとは思います。

集中力の法則10 より

2009-11-03 | 健康・スポーツ心理学
法則10
集中力は発揮すべきときに発揮できればよい
 集中力は、必要なときに発揮できればよいということは誰でも承知している。「集中力がなくて」とか、「集中できなくて」とか言うのは、集中すべきときに集中できないからであり、朝から晩まで、年がら年中、集中していたからではない。
 人原は、むしろ、集中していない状態のほうが時間的には長く、集中していないほうにあらかじめバイアスがかかっているようである。そして、いったん事が起こると、集中していない間にため込んだエネルギーを爆発させて事に対処するようにできているらしい。
 この爆発のさせ方が、集中力のコントロールの方法である。これについて、いくつかはっきりさせておきたいことがある。 
 第一には、集中力は、自分の力でコントロールできるところと、自分ではどうにもならないところがある、ということである。「人差し指の先端に注意を集中」と思えば、誰でもそこに注意を集めることはできる。
 しかし、好きな歌手の歌が聞こえてくれば、どんなに集中して本を読んでいても注意がそちらに移ってしまう。あるいは、10分間、人差し指の先端に注意を集中したままで、ということになれば、よほど訓練しないと自分の力だけではむずかしい。集中力コントロールは、この2つの側面をよく考慮して、その方策を考える必要がある。
 第二には、集中力を自分でコントロールする力は、ある程度までは訓練によって養うことができる。一点に注意を集中するのも、うるさい環境の中でも本が読めるようになるのも、訓練によっては、ある程度まではできるようになる。
 しかし、だからといって、集中力コントロールの訓練にひたすら精を出すというのも考えものである。これが、第三のはっきりさせておきたいことである。なぜかと言うと、集中力は、あくまで何かをするための手段にすぎないからである。集中力ばかりに気を回してしまって、肝心の本業がおろそかになってはどうにもならない。集中力の訓練も、その本業をしながらやるのが本筋である。
 これらのことに配慮しながら、あなたの集中力コントロールを考える手助けをしてきたつもりであるが、いかがであったろうか。
 繰り返すが、集中した状態は人間にとっては不自然な状態である。集中した状態があまり長引くと、精神的にも肉体的にもやられてしまうし、肝心のときに集中力を発揮できなくなってしまう。集中力は、それが必要なときにだけ発揮できればよいのである。

法則11
集中力は認知機能の改善に役立つ
 外出したときに、ガスの栓を閉めたかどうか気になって仕方がなくなってしまい、用事を早めに切り上げて帰宅する。ところが家に帰って確かめると、きちんと閉まっているのを見て安心すると同時に、何か損をしたような気になる。こんな経験は誰でも持っているはずである。
 その他に、施錠や窓を閉めたかどうか、しばしば提出する書類を今回もきちんと提出したかなど、いずれも決まりきったこと、手順化されてしまったことがしばしば気になるのは、あえてそれに注意を払っていないからである。
 逆に言えば、注意を注いでやっていたことはよく記憶できるということになる。先のようなケースを防ぐには、指差し確認や、したことを口に出して復唱すればよい。そうすれば、多少は注意を引くので記憶にも残ることになる。かくして、記憶をよくするには集中せよということになる。
 認知機能とは、物を見たり(知覚)、覚えたり(記憶)、考えたり(思考)、学んだり(学習)する働きである。認知機能が十全に働いているときには、知の世界には良質な情報がたまる。この認知機能を背景でコントロールしているのが集中力である。
 本書では、認知機能のうち、思考との関係での集中力をとりあげた。しかし、質のよい思考を展開するためには、知覚も記憶も学習も、すべてフルに活動した状態にしなければダメである。
したがって、認知機能全体をコントロールする集中力がいかに大事な役割を果たしているかがわかる。
 何度も繰り返すが、だからといって集中力だけを孤立させて、それだけのトレーニングにうつつを抜かすのは得なやり方ではない。それぞれの認知機能の訓練のなかで自然に体得するくらいがちょうどいい、ということを忘れないでほしい。

法則12
集中力はストレス解消に役立つ
 集中すれば、時間が経つもの忘れる。浮世のウサも、集中している間はどこかに隠れてしまっている。ストレスさえも吹き飛ばすのが集中力である。
 好きな本を読んだり、模型作りに精を出したり、スポーツをしたりなど、我を忘れられるものを1日30分でもよいから生活の中に入れておくと、精神生活が快適になる。もちろん、そのためにはいくつかのお膳立てが必要である。
 まず、仕事や勉強の場からできるだけ離れること。人間は以外に環境によって強く拘束されている。環境が同じ、あるいは物理的に近かったりするだけで、もとの環境から影響を受ける。その点だけからすると職住接近は好ましくない。
 ちなみに、筆者は筑波の研究学園都市に住んでいる。家から大学までバスで30分。寄り道するところがないわけではないが、仕事も遊びも一体といった感じで解放感がない。
 つぎに、できるだけ一人でやること。特に、いつも一緒にいる仲間からできるだけ離れることが大事である。人との付き合いは、それがどんなに楽しくとも多少のストレスをもたらすものである。それはそれで楽しいし、人生にハリを与えてくれるが、そんなことからも1日1回は自分を切り離してみることがあってもよい。
 さらには、集中して我を忘れるようなものをいくつか用意すること。集中するのに色々あっては邪魔になると思うかも知れないが、その日の気分、そのときの心の状態でどうしてもあのことはやりたくない、というようなことがある。そのようなときのために、高尚なものから低俗なものまで、椅子に座ってやるものからからだを動かすものまで、いくつか集中できるものを用意しておけば安心である。
 この場合、「高尚なことをやらねば」などと思わないこと。週刊誌を集中して読むことでもさしあたりはよい。パチンコに我を忘れてみることでもよい。そんなところから、徐々に自分を高めてくれるものに集中できるようになってくるものである。
 その点、日本はありがたい。パチンコから、ゲーム・センター、赤チョウチンまで、ポルノ雑誌から文学雑誌まで、バッティング・センターからゴルフまで、実に多種多様な「娯楽」が手軽に利用できる。溺れてしまっては困るが、落ち込んでしまったときの回復剤としてなら大いに利用できるようにしておきたいものである。
 一言で言えば、趣味を持つことに尽きる。昨日よりも今日のほうが、そして明日はもっと、となるから、趣味はおもしろいし集中力が自然と注げるようになる。

法則13
集中力はその開放によって発揮できる

 本書では随所で、集中力を解放することよりも、集中力を発揮することと同じくらい大事であることを述べてきた。
今の日本の社会は人を集中させる方向、称して集中社会根の志向が目に付く。その大きな要因になっているのが、コンピューターである。コンピューターをいじった人なら気が付いているはずである。ひと時も気を緩められない状態で仕事をする日が毎日続く。気を抜くと誤りが起こる。「人間、その誤りやすき者」が「コンピューター、その誤らない物」を相手に仕事をしているのだから、よほど集中していないと対応できない。
 こうした状況で、集中力の解放はますます重要性を帯びてきている、
 さらに、質の良い集中ができるためにも、集中からの解放が必要である。集中力が人間の能力を増大してくれているのはよい集中のときであり、悪い集中は、結局は人間をダメにしてしまう。
 ここでいう、悪い集中、よい集中とは、こんなことが分かれ目になる。
① 強制されたものか、自発的なものか
② 集中したあと、気持ちが悪いか、よいか
③ 集中したあと、気晴らしが必要か、いらないか
④ 集中していた仕事や勉強が、その場限りに終わるか、将来につながるか
我々が生きていくには自分の好きなことだけをしているわけにはいかない。その場限りの、強制された仕事も勉強もしなければ生きていけない。もしかしたら、そんなことに費やす時間のほうが多いかもしれない。したがって、質の悪い集中もできなくてはならない。そんなときの集中こそ、あとを引く。意図的に集中を解放するための努力をしないとストレスとして残る。よい集中であっても、寝食を忘れて一週間も没頭したりすると、からだがやられてしまう。よい集中は不思議なくらい持続力があるので、放っておくとしばしばこうなりがちなので注意が必要である。
 さらに、よい集中であってもその発揮すべきタイミングを間違うと、視野を狭め、思い込みに陥りやすいので、警戒するに越したことはない。
 最後に、親、同僚、部下、上司、先生、誰でもいい。あなたのことを良く知っていてくれる人からの忠告がもらえるような人間関係を、普段から作っておくように心がけたい、そうした人からのちょっとした忠告が、あなたの過度の集中を指摘してくれるはずである。時には、それに反発するくらいの気持ちもほしいが、まずはありがたく従うことである。