月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

マルクス -政府に対する疑いの必要性-

2006-03-18 09:18:53 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 僕はマルクスの本を読んだことがありません。
 「共産主義の原典」というくらいに話は聞いていました。
 友達が言うには、
「うまく機能したら、確かに天国やで。必要な分だけ受け取ることが保障されてるんやもん。でも、現実問題不可能やわ。働いても働かんくてももらえる分が一緒やったら絶対サボる奴おるやろから。」
 なるほど。
 簡単な説明ですが、非常に説得力があります。
 僕の中では、マルクスの本というのは、使い古された役に立たない古典といういちずけでした。
 
 就職活動の本を読んでいて、二行くらいでマルクスの内容が書いてありました。
 大体こんな下の①②のような内容だったと思います。

 ①政府は、「資本家(お金持ち)」の思い通りになりやすいものである。
  ので、
 ②市民が革命を起こし、共産主義の政府をつくるべきである。

 で、実際に作ったソ連や東ドイツは崩壊しました。また、北朝鮮はご存知のとおり、中国でも腐敗が目立っているようです。たしかに、「共産主義」は人間が欲を持つ動物である以上、実現し得ない世界なのかもしれません。では、マルクスがまったくカビの生えた古典といえるのでしょうか? 

 共産主義の各国においては、とりあえず①から②になったのでしょう。しかし、そこで政府の要人となった人は、実質①に戻してしまったのだと思います。

 ①②をつかって共産主義国の実態を説明すると、
Ⅰ「①政府という資本家(お金持ち)の思い通りになりやすいもの」があった。
Ⅱだが、その対応策としての「②共産主義」がうまくいかなかった。

 確かに、共産主義には多数の問題があるのでしょう。
 しかし、資本主義国においては、政府と大企業が連帯してその失策を大々的に宣伝することで、自分達の正当性を主張しているように写ります。

 資本主義を選択した国民も、マルクスが指摘した、 
 ①政府は、「資本家(お金持ち)」の思い通りになりやすいものである。
 という視点は、決して忘れてはならないことです。
 そして、政府は、その疑いを民衆の頭から消すことに躍起になっているものであるという前提に立つ必要があるでしょう。

 関連したブログ・
 make your peaceで、思想の中核と辺縁 ― 共産主義と資本主義 2006年3月 の記事を見てください。

*ここでいう「資本家(お金持ち)」は「政府や社会の舵取りを行う豊かな暮らしをしている人」の意味でつかっています。
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ホームレスと都会

2006-03-12 20:33:53 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 三月一日JR京都駅でその悲劇はおきました。
 JR職員が人が寝ているのを確認せずに、シャッターを下ろしてしまい、寝ていた樋口さんは圧死してしまったそうです。

 今、この事を書いていて少し不思議に思ったことがあります。
 シャッターの下りる速度は遅いので、被害者が「助けて」の叫び声をあげるひまもなかったのでしょうか?
 
 実は僕がこのような疑問を感じるのには、理由があります。
 JR大阪駅横の雑踏で、苦しそうに悶絶しているホームレスの男性を僕は見かけました。しかし、みんな知らん振り。あわてて救急車を呼んで、しばらくするとサイレンの音が響きました。でも最初に来たのは警察でした。呼んだ人はどこへやら。
 その後救急車で病院におくられた男性はその病院で息をひきとったそうです。
 人情の町・大阪は幻想なのかもしれないと疑うきっかけになった事件でした。

 今回の京都駅での圧死事件。被害者もさることながら加害者にとっても、悲しい事件でしょう。このような悲劇を防げたかもしれない第三者がいたかもしれません。そしてその第三者は、大阪の雑踏の人々のように素通りしたのかもしれません。
 都会ではお互いに干渉しないことが原則かもしれません。でも、倒れている人のために救急車を呼ぶことくらいはしていきたいものです。
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WBC -「ノルマ」としての優勝-

2006-03-03 19:37:00 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 中田選手達の活躍などがあるのは確かですが、日本はサッカー大国とまでは呼べないでしょう。
 しかし、野球は別です。オリンピックではメダルの常連国、金メダルもとっています。イチロー選手をはじめ、日本の選手がメジャーリーグで活躍する確率は、日本のサッカー選手が海外のクラブで活躍する確率よりもかなり高いでしょう。いわば日本は、「野球大国」なのです。

 サッカーのワールドカップは、ベスト8入りで万々歳といってもいいのですが、野球はそれでは通用しません。求められるのは唯一つ。「優勝」です。そして、それは「優勝したら嬉しい」といったような「希望」ではなく、選手に課せられた「義務」としてです。ブラジル国民がセレソン(サッカーのブラジル代表)にあくまで優勝という「ノルマ」を課すように、WBCの優勝を日本代表チームに、「ノルマ」として課したいものです。
 そして、それを達成しうる能力が日本代表チームにはあることでしょう。

  
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拉致 -経済復興の負の遺産-

2006-02-26 08:12:08 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

 朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と省略します。)による日本人拉致問題が、世間で注目されるようになって何年かたちました。自分や家族が拉致されたとしたら、、、そんなことは恐ろしくて想像できないものです。

 韓国と北朝鮮が分断されたのは、第二次世界大戦後のことでした。
 この分断にも大国の意思が見えてきます。
 やがて、資本主義の韓国にはアメリカがつき、共産主義の北朝鮮にはソ連がついて行われた朝鮮戦争が起こります。この戦争は、アメリカ側についた日本にとっては、後の経済大躍進のきっかけとなる「特需」を引き起こしました。日本人の多くが世界的に見て比較的豊かな生活が送れているのは、この南北分断による「特需」の影響は否めないでしょう。
 その一方で南北の分断は、北朝鮮を狂気に走らせる結果にもなりました。

 拉致問題とは、南北分断で得た我々の豊かな生活の代償ということもできるでしょう。   
 

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丸坊主 -その頭はBというよりNAZIかもよ-

2006-02-25 00:15:59 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 丸坊主がはやっていますね。
 一時期は、中学生への強制で問題になりましたが、最近では進んで丸坊主にする若者が増えてきています。一方で、就職活動などの現場においては、丸坊主は好ましくない髪型に変化してしまった感があります。
 社会への新規参入層でよしとされる髪型を、既得権益層はすんなり受け入れることができないということでしょう。つまりは、丸坊主を認めないことで、価値判断の決定権は新規側ではなく既得権側にあるということを示しているという見方もできるかと思います。

 さて、丸坊主が現在流行った背景には、ダウンタウンの松本人志氏の影響と、日本におけるヒップホップミュージックの流行、日韓ワールドカップ選手の髪型の影響等が挙げられるでしょう。
 その中で松本氏はその著作の中で、「アメリカなどにおいて、富裕層にあまり快く思われない髪形をあえて選んでいる」というようなことを言っていました。あんまり記憶が定かではないので、間違っていたらすみません。
 そして、このような髪型をアメリカでしているのが、ヒップホップミュージシャン達です。その影響もあって、日本のヒップホップミュージシャンも丸坊主の人たちが多いようです。そして、その人たちは「b-boy」と呼ばれているようです。
 
 しかし、その言葉に最近「?」と思うことがあります。ヒップホップはある意味アメリカにおける「ブラック」という「被差別マイノリティ」の怒りを象徴する音楽ということができると思います。

 しかし、昨今の日本のヒップホップ。全ての歌手、全ての歌詞がそうだとはいいませんが、「被差別マイノリティ」というよりも「差別推進マジョリティ」の色合いがこゆくなっている印象を受けています。その時・坊主頭はB-BOYでなくなり、NAZIのマーク・右鉤十字が見えてきます。
 それに気づいた人は、その右鉤十字をそっと裏返してあげてください*1。お寺さんのマークになりますから。

 マジョリティの権威に任せた差別的なリリックよりも、今は「お経」です。

 *1 無理ならば、半殺しにされるのを覚悟で卍がためで寺のマークをつくるのもをいいかもしれません。

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日記 -弱者の武器-

2006-01-12 20:09:45 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 僕は「日記」の「自分自身を振り返る」以外の、別の効果を知りました。
 それは、その人が「日」々をすごした「記」録に他ならないということです。
 昔の人の日記は、その人の人生ばかりでなく、その時代を映す「史料」としての価値を持ちます。例えば、ナチスの暴虐を綴った「アンネの日記」。南京大虐殺の史料として注目される「ラーベの日記」等があります。平安時代の貴族達の日記からは、その時代の風俗や習慣をうかがい知ることもできます。
 そして、今を生きる人の日記は、例えば犯罪の立証のための重要な「証拠」となりえます。それは、現代の学校や会社で行われているセクシャルハラスメントやパワーハラスメント(上司や先輩の嫌がらせ)、いじめ等にもかなり有効だそうです。
 このようなことで、今悩んでいる皆さんには、日記をつけることをお勧めします。「今日あったことを記録する。」それが、弱者に許された最後の武器なのです。

 でも、あまりブルーな事ばっかり書いていると、気分が打ちひしがれてしまうので、楽しいことや嬉しいことを書くことも忘れずに。
 ぼんくら怠け日記(毎日ではなく飛び飛びの日記。ホームページのことではなくて)をつけている僕ですが、いざというとき(*)のため以外は、あんまりブルーな事は書かないようにしています。

 (*)その時に役に立ったのは、日記というかその日の記録でしたが、一度だけ功を奏したことがあります。その時は、本当に記録しておいてよかったと胸をなでおろしました(TT;。
 でも、少し効きすぎのときもあるので、使用は程ほどに
 
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ミンカン2 -大学では キャンパスと産学のしわ寄せ-

2006-01-03 09:53:55 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 僕自身を含め、多くの人にとって、大学生時代とは人生の中で、最も思い出深い時間の一つになっていると思います。

 昨今では、その大学もバブル崩壊後の就職氷河期を経て、就職指導に力を入れるところが多くなってきているようです。そして、その傾向が多くの学生のニーズに応えるものであるということも事実でしょう。また、就職に直結しない学問は軽視されがちになるのも、背に腹変えられぬ状況となっては仕方ないことなのかもしれません。

 一方、大学経営の面においても、いわゆる「無駄を省く」「ミンカン」の経営がもてはやされています。現代的な建物がたちならぶキャンパスで、コンピューターで管理されたカリキュラムをこなすことで、社会に通用する人材に、効率よく学生を育て上げることが「成果」や「結果」としてもてはやされます。

 そのような流れの中、学生にとっての時間の「無駄」、経営側にとっての経費の「無駄」を省くために、夜の一定の時間以降は学生をキャンパスに残さないようにする大学もあるそうです。それは、研究室のあたえられた大学院生も例外ではありません。僕はこのような学生の集いや思索の場を奪う風潮を快くは思いません。確かに就職や資格試験の勉強は電車の中や、自宅でもできます。しかし、何万円もする大事典や絶版の稀書を使う好奇心にまかせた調べ物、仲間との夜を徹した議論、大学生の想像力やコミュニケーション能力、そして、コペルニクス的な発見を生み出すための貴重なチャンスもまた、大学生には必要なものです。金銭の都合上、下宿の出来ない学生が増える中、そのようなことが出来る場として、キャンパスはこれまで以上に重要な役割を担っています。

 そのキャンパスをはやばやと閉ざすような経営に本当の意味での未来はあるのでしょうか?韓国は図書館が二十四時間あいてるのだとか。羨ましいかぎりです。
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想像力-13年ぶりの広島-

2005-11-17 23:38:58 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

 中学3年生の頃、家族旅行で広島に行きました。
 安芸の宮島を見た後で訪れたのは、原爆ドーム。
 そして、平和記念資料館です。
 ですが、中の資料を見るのが怖くて、僕は一人で外で待っていました。

 それから13年。
 一人旅の締めくくりに平和記念資料館に入りました。
 まず目を引いたのが、広島市長による核実験・戦争の実行に対する国内外の政府に対する抗議文の数々。
 ブッシュ大統領や小泉首相に対する抗議文はまだ増えるのかもしれません。
 
 そして、被爆直後の現場の記録の数々。それは見るも無残なものばかりでした。
 しかしながら、それが、人間の所業であるということが事実なのです。
 また、それらの痛みをまた忘れかけているということも事実です。

 そしてまた、資料館へ恐ろしくて入ることができなかった人間も、時がたつと多少心を痛めながらも各資料を眺めることができることになりました。
 それは、客観的に資料を眺めることができるという意味では進歩なのかもしれません。しかし、写真の中の人間が感じた痛みを自分のことのように感じるという想像力は退化したのかもしれないとも感じます。

 この類の想像力の退化が積み重なり、そして退化したことすら忘れた頃に戦争が起こるのかもしれません。  

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世界遺産-ブッシュ大統領が本当に来なければならない場所-

2005-11-15 22:42:09 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

 明日、アメリカのブッシュ大統領が日米首脳会談のために日本を訪れます。
 ブッシュ大統領が訪れるのは、京都。
 京都は、古都京都の文化財としてユネスコの世界遺産に登録されています。
 ブッシュ大統領が親子二代に渡って、その大統領在任中に訪れる価値が京都にはあります。
 しかし、戦争することで自身の経営する会社、献金してくれる会社が利益を得ている大統領が本当に訪れなければならない世界遺産が、日本には他にあるのではないでしょうか?

 それは、広島の原爆ドームです。
 その近くには、平和記念資料館があり、当時の原爆の被害のすさまじざを、ある程度知ることができます。 
 ブッシュ大統領に必要なのは、日本の京都という世界遺産で紅葉を堪能することではなく、広島に行って自分が儲ける裏側で苦しむ人がいるという想像力を養うことなのです。

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電車男2 -エルメスは何故「オタク」を選んだか?-

2005-08-28 23:34:51 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 現在27歳の管理人が中学生の頃、「オタク」に対する風当たりの強さは並大抵のものではありませんでした。
 さて、「オタク」である「電車男」がエルメスに選ばれたのは、何故なのでしょうか?
 単にエルメスさんは、「電車男」の「真心」とか「優しさ」に惚れたのでしょうか? 
 これは、管理人の私見ですが、「電車男現象」は10数年の社会の変化がもたらしたものではないかと考えるのです。

 バブル全盛期の頃、多くの国民が金銭的に余裕のある生活・安定した生活が約束されていました。
 そのような社会の中では、パートナーとしての異性を評価する基準にしていたのは、コンピュータを使用する能力のような仕事の能力というよりも、「ノリ」「ルックス」といった「+α」の部分でした。
 ところが、バブルが崩壊し、金銭的に余裕のある生活・安定した生活ができる保障は年々なくなる一方です。しかし、金銭的に余裕のある生活・安定した生活へのイニシアティブをとる手段が存在します。それが、パソコン等の「個人のスキル」なのです。
 人間が動物である以上、パートナーは自分の生存に有利な人間を選ぶようになります。つまり今の時代では、パートナー選びの基準として、「ノリ」「ルックス」に対して「スキル」が台頭してきていると考えられるのではないでしょうか。
 そう考えると、「パソコン」という「スキル」をもつ電車男がエルメスに選ばれたのも納得が行く気がします。
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