月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

247.限界集落になっても屋台は残したいークラウドファウンディングによる六社神社屋台の新調修復ー(月刊「祭」2019.12月10号)

2019-12-24 11:19:00 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

 寄付に関してはこちら



 

●六社神社の名屋台

 読者の方よりのお申し出に答えての記事投稿になります。三木市細川町の六社神社の名屋台、ですが、いたみがはげしく新調修復を計画していらっしゃいます。

 ひとまずは現在の姿を紹介します。


↑見事な龍の刺繍 クラウドファウンディング該当ページより

 


↑屋根の薄い美しい均整のとれた屋台 クラウドファウンディング該当ページより

 

欄間・狭間彫刻

 欄間彫刻は昔の平屋根屋台らしく、上下間は狭いものになっていますが、躍動感にあふれた彫刻がほどこされています。

 

●クラウドファウンディング

 これからの身長や修復のやり方として注目されるかもしれません。管理人も寄付する予定です。

方針など

 新調・修復方針としては、百%修復とうわけではなく、新しいデザインなども取り入れるとのことです。読者のみなさまはたずさわる業者が気になるところかもしれませんが、今のところ公開されておりません。

 

背景など

 世帯は108件、そのうち年金暮らしの方が1/3をしめるそうです。そのようななかでも、屋台を子や孫にのこしたい、祭りの日にはみんなが帰ってこれる故郷にしたいとの思いで、新調修復を計画しています。


 上記の方針と背景をご理解頂いたうえでのご寄付にご協力いただけるとありがたく思います。
 管理人の連絡ミスで、ここまで遅くなっての情報公開本当に申し訳なくおもっております。素敵な新調・修復になることをお祈りして今号の筆をおくことにします。


 寄付に関してはこちら

 

219.少なくなってきた薄い屋根の屋台(月刊「祭」2019.11月4号)

2019-11-05 08:42:09 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●薄い屋根
 三木市をはじめとして、平屋根三段の屋台が分布している地域では、屋台の顔はやはり屋根になります。また、屋台本体を改修せずとも比較的手軽に改修しやすい部分でもあります。
 屋台をうごかしているとどうしても大きな屋台を動かしたいというのが、正直なところです。 そのような中で、「センベイ屋根」と呼ばれる昔ながらの味わい深い屋根で運行している屋台も今はずいぶん数少なくなりましたが、いくつか残っています。
 かつてはセンベイ屋根とも呼ばれた薄い屋根の屋台を見ていきます。
 
●三木市
岩壺神社
(アクセス、祭礼日体育の日の次の土日)
東條町
 松本義廣作の欄間彫刻を近年購入しました。黒い布団台に透かしの金具などで、従来のバランスの良さをくずさない改修となりました。名工の欄間彫刻を見事なバランスで、組み入れているのを見た驚きは今も忘れられません。



滑原町
 小型の屋台から名作を結集した大人屋台になり、はや20年が過ぎました。2014年の市政60周年記念イベントでは、屋台の紹介でもバランスを意識した屋根であることがアナウンスされました。



大手町
 もともとは吉川の屋台ですが、昨今泥台を改修しました。螺鈿細工もひきついでいます。詳しくはこちら


三坂神社(加佐)
(アクセス、祭礼日5月2.3日)
加佐東
 精巧な彫刻が残っています。また、龍の天蓋彫刻が屋台四本柱内の天井に見られます。もともとは、たくし上げる仕様の水引を使用しており、差し上げたら見える仕掛けになっていたと思われます。


 
神戸市
淡河八幡神社
(アクセス、祭礼日10月第一日曜日)
海女の玉取りなどの人物物の金具や、橘正義の欄間や雲板彫刻が、薄い布団とよく合います。詳しくはこちら


 
加古郡稲美町
印南住吉神社(アクセス、祭礼日10月第一土曜とその翌日)
 
印西屋台
 精巧な彫刻と縫い物が薄い屋根によく合います。虹梁が反り返り狭間彫刻の上下幅は狭くなっています。


 


●少しずつ減る薄屋根屋台
 祭がさかんになるにつれ、屋台は大きくなります。その時にどうしても手をつけやすくなるのが、屋根です。比較的安価に大型化でき、祭が盛んなところほど屋根が大きくなる傾向が見られます。
 古い物好きの管理人としては、薄い屋根の屋台に魅力を感じており、末長く残って欲しいと願う次第です。
 

198.2019.9.29播州屋台入魂式紀行(月刊「祭」2019.9月25号)

2019-09-29 16:48:06 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

●宇佐崎屋台

間に合いませんでした。
 
●英賀神社 英賀西だんじり
 だんじりの購入に合わせて、一昨年新調した屋台も出していました。
 






 


 



↑写真にはほとんど写っていませんが、楼門の随神像と狛犬を平成天皇即位に合わせて修復しています。


↑拝殿は令和元年に新調しました。
 
●姫路市荒川神社 井ノ口屋台


彫刻
山下彫刻師によるもの。

↑仮狭間です。この時点で屋台の美しさは完成されているようにも感じます。


↑魚が入り組んだ籠彫りの彫り物
 
 

↑国生みの神話 露盤は四面日本神話のようにみえむした。 露盤という仏具に神話を配置するのは、今に残る神仏習合と言えるかもしれません。
 
刺繍
川村刺繍製の水引幕と高欄掛は今までにないテーマのものでした。

↑白澤(はくたく) 。文政期には旅人のお守りや病除けの枕守りの図柄として好まれていました。
参考



蛟(みずち)蛇(龍)頭に四肢がついたものです。

鳳凰

麒麟。これもあまり、他では見られません。


鷲退治
 
 

鯰退治。地震よけでしょうか。東日本大震災を経て、南海トラフの危険性が盛んに報じられてから、刺繍や彫刻などで用いられるところがいくつか見られます。


↑河虎(かわこ)退治 ウィキペ●アでは、河童の別名のように書かれていました。寛政十二年(1800)の「西播怪談実記」という本にも出ているそうですが、ここ(国文学研究資料館)では、「河虎(かわとら)の妙薬を伝へし事」という題名のみ見つけることができました。

狐退治
 
金具
金具は明石町もてがけた現代の名工北角師によるものです。
 うっとり彫かつ透かし彫の井筒端は見事なものでした。






総才には鷲がしつらえてあるそうでしたが、写真を撮れませんでした。
 
●井ノ口屋台を祝う町坪(ちょうのつぼ)屋台
 
今日の主役は井ノ口屋台なので、町坪屋台は擬宝珠も露盤もない状態です。また、正装のまわしでなく、私服にハチマキ、あるいは黒ズボンに白シャツにハチマキで、出席していました。

 
 

虎の透かし彫。デフォルメされた虎を彫っていました。


川村刺繍製の精巧な刺繍でした。
 
 


 


 
 
 




 
 

186.シンプル+繊細。淡路市平林貴船神社の布団だんじり(月刊「祭」2019.9月13号)

2019-09-15 08:35:01 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

●淡路市野島平林貴舩神社のだんじり
少し高いところにある神社拝殿と本殿では、 宮座?の神事が行われていました。そして開いていたのは、だんじりの収蔵庫。しっかりと飾り付けがされていました。

 
 
見学したのは、敬老の日の前の土曜日(2019・09・14)です。この日はだんじりの公園内ねり回しが午後3時から、そのあと弓打ち、相撲と続いていました。次の日曜日は、かつてはだんじりを運んで別の神社の集合に参加していたそうですが、ここ何年かは人手不足で行けていないそうです。


淡路市平林貴舩神社(アクセス)
祭礼日 敬老の日の前の土日。

日曜日は野島八幡神社(アクセス)に集合していたそうですが、他の地域のだんじりが集まります(上田氏のご教示)。


●二代目黒田正勝の彫り物

目を引くのは彫り物です。黒檀彫の欄間(狭間)と井筒彫刻は播州でも活躍していた二代目黒田正勝だそうです。


↑だんじりでも活躍した黒田正勝ですが、布団だんじりの彫刻に適応するために、より人物が小さめに彫られています。


↑井筒も富士の巻狩りなど人物の彫刻が入っています。



↑井筒端は植物が複雑に入り組んだもので、向こう側が透けて見える籠彫が徹底されています。硬い黒檀をここまで彫れる技術の高さが伺えます。

 


↑さらに、金具は牡丹のまわりも一つ一つ点がうちこまれています。この打ち込みが光の反射によって微妙な濃淡がでます。

 


↑雀が斗組についています。




↑欄干の下にも、景色の彫り物があります。



●刺繍

↑水引幕は龍のシンプルな作品で、丁寧に作られています。淡路志筑の梶内製の特徴である口の黒い線がありますが、逆に梶内製の特徴である目の金の輪がありません(後に友人から教えてもらった内容によると、梶内製であっても昭和初期ころのものは、目が二重のわになっていなかったとのことで、その写真を見せてもらいました。)。高欄がけはついていません。

 


↑そして、提灯です。題材は日清戦争。清の旗が見えます。
2代目黒田正勝の活躍した時代は、戦勝祝いの雰囲気に国内が満たされていた時代です。人物ものが縫われているのも珍しいですが、日清、日露戦争の題材が残っているのはさらに珍しいものです。管理人のようなマニアが訪れた時も一様に驚くとのことです。


↑浮き物刺繍というよりも山車の刺繍に近いものですが、顔の表情はちょび髭以外は伝統的で整った顔立ちで縫われています。馬のたてがみがリアルに表現されています。地面は違う色の糸が巻きあっており、微妙な色の違いを表現しています。馬の糸が細く首のあたりはたてがみに近いところとそうでないところの色が微妙に違います。違う色のいとをより合わせて一本の糸をつくる「糸より」の技法が使われていると思われます。


シンプルかつ繊細な屋台
屋台の形態としてはオーソドックスで、華やかなものとは言い切れません。しかし、よく見ると細かいところまで細工が凝らしてあることがわかります。
一見シンプルに見えるけど、実はよくできているだんじりは味わい深いものです。

謝辞
関係者の方々が忙しい中にもかかわらず、様々なことを教えてくださりました。この場を借りてお礼申し上げます。


185.屋台、だんじりの修理.新調の注文留意点(月刊「祭」2019.9月12号)

2019-09-13 04:21:13 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

屋台・だんじりも使えば傷みます。その際に必要なのが、修理や新調。現在の社会状況などから、どのようにしていけばいいのかを考えてみました。

 
●職人の現状
 かつては、人物の彫刻が石になったりということもありました。しかし、現在では腕の良い業者が増えてきています。
 理由として考えられるのは、①1980年代後半から粕谷氏らの活躍によって、啓発された人たちが屋台・だんじり衣裳についてしらべ、買う側が彫刻、刺繍、金物を見る目が厳しくなったこと ②上の活動を通して屋台、だんじり職人を目指す人が増えことが考えられます。た
 あるいは、③そもそも職人たちの腕が劣化したわけでなく、注文がないからしなかっただけだった?かもしれません。
 20年前は新調したものを見て、「よくない」と感じることが度々ありましたが、昨今は随分と減りました。現場で頑張っていらっしゃる職人さんには、本当に頭が下がる思いです。
 しかし、今の職人さんたちは本当に忙しそうです。新調式典などには絶対に間に合わさなくてはいけません。納期前日まで徹夜で作業したということもよく聞きます。
 作品の中心部はよく彫れているけど、端の部分がほれてなかったり、螺鈿の粒が大きかったり、間に合わせるために仕方がなかったんだろうなと思われる作品も目にしました。
 このような職人さんたちの現状下で、どのように注文すればいいのかを考えて見ました。
 
 
注文で気をつけること
①全体のバランスを考えて作りたい屋台・だんじりをイメージする
パソコンなどで作図してどのようなものを作ってもらうか具体的にイメージしましょう、一つ一つの作品がよくても、一部が大きすぎたりすると、あまりよくは見えません。
 
②①の屋台を作るために、適任の職人を選ぶ
 腕のいい職人さんでも向き不向きがあります。あくまで芸術館所用の職人さんに頼む時などは、注意が必要ですし、おすすめはしません。
 金具でいえば立体感のあるものを作るのが得意なのか、平打ちを仕上げるのが得意かで見極めるといいでしょう。
 
③これからの時代は集中型?
 先述しましたが、職人さんは忙しいです。しかし、管理人もですが、大手屋台の井筒彫刻のように、すみからすみまで彫って欲しくなってしまいます。
 しかし、それをすると職人さんの仕事が激増し、結果納期に間に合わないということが起きると思われます。
 
↑三木市岩壺神社大手屋台の井筒彫刻
 そこで、注文側が、本来なら欄間(狭間)と欄干と井筒をしてもらうための価格を提示しつつ、彫刻は欄間(狭間)のみと決めるなどして、そこは徹底的にこだわってもらうという注文の仕方をするほうがいいのかもしれません。
 
●問題点
①価格の上昇
 上の3のような注文が常態化すると価格は全体的に上昇するかもしれません。そのような中でも注文する側は、情報を共有し、いい作品が作れる業者に仕事を頼めるようにしたいものです。
 
②補助金は適切に
文科省からの補助金がでることもあります。例えば修理の補助金は必ず「修理」することにしたほうがよさそうです。
 
 「修理」ではなく「新調」と見なされ、返金することになった例もあります。管理人はその新調したものと、元のものを画像で見比べたことがあります。管理人は修理の名を借りて同じ題材のものをド派手にして「修理」という名のもとに「新調」したものだと思っていました。
 ですが、見ると画像を見た限りでは、古いものの傷みがなくなった版でした。「修理」でないならば、「新調」というより「復元」でしたが、それでも返金する必要があったとのことです。
 
 また、最近では「有識者」の見解が必要なそうで、管理人も立ち会わせていただくという光栄にあずかったことがあります。といっても、「有識者」でも、播州や各地の屋台やだんじりの本体の研究は「プロの研究者」の間では、ほとんど行われていません。管理人が「有識者」として参加させていただいたのも、もともとは別の方が頼まれたけど、どうにもならないので頼まれてのことです。
 そのような時は本ブログまでご連絡くだされば、無料で時間の限り対応いたします(^_^)
 

168.だんじり見送り彫刻の遠近感(月刊「祭」2019.8月26号)

2019-08-27 10:55:57 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●下だんじりの見送り彫刻
大阪府内のだんじりは、大きく分けて大阪市内などに分布しねいる、上だんじりと、泉州に分布する下だんじり、河州分布の石川型があります。
 下の写真のように大阪市内に分布する上だんじりだと、太鼓は後部(屋根の低い側)に向かって横向きに取り付けられているので、後部の太鼓を覆う部分の彫刻は、やや平面的なものになります。
 
↑低い屋根の下に太鼓が横に取り付けられているので彫刻はやや、平面的になる(大阪市皇大神宮今福北だんじり)
 
  一方岸和田などに分布する下地車では、太鼓が前方の欄干から下にかけて縦に取り付けられています。なので、後方部の黄色□部分・見送り部分は全て彫刻で構成されることになります。充分にとられた彫刻のスペースは、立体感のある趣向を凝らしたものが彫刻がなされるようになりました。
↑岸和田だんじり会館蔵文化文政期(1804-1829)頃の製作とみられるだんじり

 

●現存最古の岸和田型だんじり

まずは、現存最古の岸和田型だんじりを見ます。

上の写真の黄色□部分を拡大したのが、下の写真です。見送りの側面から見ると、中国系の武将らしき彫刻がなされています。と思ったら、素盞嗚尊らしいです。そのうしろには、凝った装飾の柱、カーテン、庭の木らしきものが見えます。おそらく後方から見たら、武将が主役の奥行きのある構造になっていることでしょう。

←前方        後方→

●旧沼町だんじり

 最近、サミット出演でも話題になった岸和田だんじり会館に展示中の旧沼町だんじりには一ノ谷の合戦が彫られています。この彫刻の場面をざっくり言うと下のような感じです。詳しくはこちら(ウィキ●ディア)
 
 1 から馬二頭を駆け下りさせて、一頭怪我、一頭無事。
2 だから、人が馬に乗って攻め入っても大丈夫だろうといって駆け下りて攻め込む。
 
 では、彫刻を見てみましょう。
 
↑写真左下の手前の馬よりも、大きいはずの馬の上に写っている陣屋は、騎馬武者と同じくらいの大きさで彫られています。
↓その拡大写真です。
 
↓手前の騎馬武者と写真右側の崖の上の武者は同じ人間ですが、写真右側の崖の上の武者は、騎馬武者の半分くらいの大きさで奥を小さく彫ることで遠近感を出しています。

 

●城を背景にした合戦

豊臣方の彫刻

 大坂夏の陣などの豊臣方のものを扱った彫刻は江戸時代にはなかったと言われたりもします。

 しかし、太閤記などの豊臣方を主役にした書物は屋台やだんじりが活躍する江戸時代後半には出回っていました。また、徳川家康を祭る東照宮が大阪天満宮近くにできた時もそれを批判するような文章が残っているとも聞きます。また、賤ヶ岳七本槍など豊臣方の武将を題材にした彫刻が屋台の彫刻として文政年間に制作されました。

 豊臣方の題材は幕府の許可はおりにくかったのかもしれませんが、一切認められなかったわけでははないようです。しかし、豊臣方を題材にしたものでない中国物が好まれていたのも事実と言えるでしょう。それが明治以降、中国物を抑えて豊臣方などの題材が増えてきました。それは、豊臣方への規制がなくなったことに加えて、日清戦争などの戦勝を通して、中国が必ずしも憧れの対象とはならなくなった日本の時代背景があると言えるでしょう。

木下舜二郎氏の大坂夏の陣
そのような豊臣方を題材としたもので、見送り彫刻として好まれた題材が大坂夏の陣です。城攻め(城守り)の戦で、戦場さながらの立体感を出した作品として、大坂夏の陣を題材にした岸和田の名工・木下舜二郎氏(1910-1972)の作品が挙げられます。
 ここでは、二台のだんじりを見ていきます。
 
岸和田市岸城神社大手町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
堺市桜井神社栂だんじり  
 
 
 

 

 

木下舜二郎師の彫刻の腕 

 栂だんじりも大手町だんじりも見送り彫刻は下のように城を中心に据え、本来なら人物よりずっと大きいはずの城を人物と同じくらいや小さめに作ることで、人物側から見れば城がずっと遠方にある仕掛けになっていました。
   
 
 木下舜二郎師は、ミクロな面で彫刻師としては超一級の人物として知られています。しかし、彫刻全体の配置、マクロな面でも超一級だということがわかりました。

140. 大阪天満宮青物市場地車-シンプルな説得力-(月刊「祭」2019.7月21号)

2019-07-25 22:20:31 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●大阪天満宮天神祭
日本三大祭のうちの一つとも言われる天神祭。
催し太鼓に並ぶ花形の一つは地車です。
大阪天満宮に残るただ一台の地車で、青物市場の地車です。
江戸時代初期か中頃あたりから地車は多い時で数十台を数えたそうですが、大塩平八郎の乱で天満宮の社殿とかなりの数の地車が焼けてしまったそうです。
さらにその後弘化時代に天満宮で火災があり、嘉永五年に復旧工事がなされました。その同年にできたのが、現在の天満宮青物市場地車です。そして、以前紹介した船型山車もこの時に復旧がなされました。


●大阪で唯一の三屋根地車


横から見ると中心が一段高い社殿式の屋根がたいており、表彰台のようになっています。祭の様子を見る限りでは、青果市場の方は主に曳き手として参加しているのでしょうか。

鳴り物については、昨年の記事で書いています。

●彫刻
見る限りでは、上部は創建当時のもの、下部の天神縁起の場面は、雲の形などを見る限りでは後に作られたものと推察しています。ですが、確証は持てません。
a


b

↑上の写真aは地車上部の龍の雲、bは地車下部の天神縁起の雲作り方が少し違います。

●天神縁起の彫刻

彫刻はおそらく一枚板を彫ったものと見受けられ、地車彫刻によくある迫力あるものとは言えません。ですが、上の写真のように天拝山でご祈祷する道真さんの背中しか地車外部からは見えません。ですが、ご尊顔までしっかりと彫り込まれていました。

●相野藤七の彫刻
先述の通り、天満宮の大再建が嘉永五年に行われました。それと同時に、地車、船型山車も創建、改修がなされました。そして、兵庫県地車研究会の村岡眞一氏によると、いずれも相野藤七の手によるものだと言います(大阪天満宮社報 68 てんまてんじん 平成二十七年)。
四天王寺や高槻市の永井神社、地車では今福西、先代今福北のものなどが彼の手によるものだそうです。当時大阪最高峰の技術をもつ一人とも言われています。

そこで天満宮地車の彫られている題材を見ると、獅子、龍、鶴、亀。。極めてシンプルな題材です。現代の地車彫刻のような華やかさにはかけると言わざるを得ません。
しかし、一つ一つの彫刻を見ると、まるで一枚一枚付いているかのように見える鱗や湧き上がっているように見える雲など、精巧の代名詞にもなりそうな作品で彩られています。
本当にすごい彫刻師は使い古された題材で見る人を納得させる技量があるものかもしれません。





謝辞
昨年に続き今福北地車関係者の皆様には多大なご厚情を賜りました。改めて感謝申し上げます。

130. 金具ビフォーアフター(月刊「祭」2019.7月11号)

2019-07-14 20:46:18 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

ギンギラギンの屋台はイマイチという方もいるとは思いますが、やはり、光るべきところは光っていてほしいものです。
その代表格が金具です。

約五十年眠っていた金具は再び輝くのでしょうか?

●三木市吉川町若宮神社お先だんじり
若宮神社の祭りといえば、ヤホー神事が兵庫県の無形文化財に指定されています。しかし、宮座や稚児のやりとりなどに関心は向けられていましたが、お先だんじりに研究者の関心が行くことはありませんでした。
管理人が見かけて驚いたのは2008年、ナメラ小僧氏はすでにその存在に目を向けていました。そして、三木が誇る屋台研究家の横山氏の音頭で、昭和40年代に運行を休止していた若宮神社屋台(お先だんじり)が2012年から2013年にかけて整備復旧されました。



破損箇所は木材で補い、彫刻は、細い木の棒などを使ってつなぎ合わせました。
そして、輝きを取り戻すのに必要なのが、金具の復旧です。色のくすんだ金具はどうなったのでしょうか。


ビフォー

頑張って磨きました。
アフターはだいぶ下です。













アフター

管理人の仕事はほんのすこしだけです。横山氏や屋台模型作家のF氏、四国のI氏、明石のK氏のご活躍によるところが大きい復旧となりました。







好きな屋台占い<月刊「祭」第36号 2014.12月>

2014-12-01 22:46:53 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

今月は短めのを二本書いてみます。まず一本目。

⚫︎好きな屋台占い
下のa、bの車のうち、かっこいいなと思う車を選んで下さい。

aあなたの好きな屋台は下の1、2の屋台のうち1ですね!?


bあなたの好きな屋台は下の1、2の屋台のうち2ですね!?


1 三木市大宮八幡宮末広屋台(2005)


2 三木市八雲神社先代与呂木屋台(2005)


⚫︎好きな車から見る好きな屋台
 彫刻、刺繍がどちらも優れたものの場合、新しいハイブリッドカーを選ぶ人は、屋台も新しいものを好む傾向にありそうです。車で旧車を好む人は、屋台も旧型のものを好むようです。*参考.管理人の人生経験


<月刊「祭」2013.12月 第23号>・大手屋台、黒赤の調和 ・神輿を先導する屋台 ・気合だけでは上がらない

2013-10-27 21:15:24 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

 今回も、早めの発行にします。テーマは短めの三本立て。

●大手屋台、黒赤の調和
 最近は、播州の三段平屋根の布団屋根屋台でも、赤地ではなく、金色の地をもつ水引幕が増えてきています。
 また、布団締めも四国の太鼓台の影響をうけて太いものになり、赤地が目立たなくなってきました。
 そんな中で、見事な黒と赤の調和を見せている屋台が三木に残ります。
 それが、大手屋台です。
 シンプルだけど、しっかりとした龍や獅子の金の刺繍は、黒の淵と赤地にこそ生えてきます。
 大手のシンボルともいえる、黒白の綱と黒の布団締めとも非常にマッチしています。
 これらのシックな色合いがあるからこそ、垂木と雲板の彫刻、井筒の彫刻や、おかめさんなどの井筒金具、欄干の螺鈿など、稀に見る見事な工芸が生きてくるのでしょう。
 
 黒と赤の絶妙のバランス        屋根裏から井筒にかけての見事な彫刻群も、シックな色合いにこそ生えます。

●神輿を先導する屋台
 播州東南部(加古郡、明石市、神戸市西部など)では、御先太鼓と呼ばれ、神輿を先導する屋台があります。
 加古郡播磨町の阿閉神社や、加古川市の神吉八幡神社には、三段布団屋根の屋台(御先太鼓や太鼓と記されている)が江戸時代の絵図に描かれています。
 これは、大阪天神祭の神輿を先導する催太鼓の影響をうけていると思われます。
 三木市では、吉川町の若宮神社屋台が「お先だんじり」と呼ばれ、御神輿を先導していたそうです。
 
神輿を先導する本荘屋台(加古郡播磨町 阿閉神社)    神輿の行列の先頭を切って、御旅所から大阪天満宮に戻る催太鼓


 



●気合だけではあがらない屋台
 屋台を担ぐ時に必要なのは、「気合」ですが、「気合」さえあれば上がるものではありません。
 特に、全長が8mほどある杉棒の場合、中央に近づくほど棒は沈むのでそこを背(肩)の低い人が担ぎ、前後の端を背が高い人が担ぐと、多くの人が腰を伸ばせるので担ぎ易くなります。それをしない場合、腰を曲げている人や、斜めに棒に持たれる様に担ぐ人が増えて、屋台はすぐに落ちます。
 本当に落としたくないときは、「気合が足りない」と周囲に八つ当たりすることはあまり重要ではありません。肩の高さなどを修正したり、下に棒端の綱を引くのを改めるだけで、随分担ぎ安くなるようです。
 
 ただ、肩の高さをあえて合わせずに落として、「ドナイションドイッ」という怒号が聞こえる祭も悪くはないと思う今日この頃です。


↑図のように、8mほどの杉棒や、檜棒でも細いものであると、本体に近いほど棒の高さは低くなります。

 

●編集後記
 今回も随分早めの寄稿になりました。
 10月末で、すでに12月号を出してしまいました^^;
 ただ、祭月が終わると、あっという間にその年が暮れてしまうように感じるようにもなってきています。
 「気合だけではあがらない屋台」の例で触れたとおり、祭での不満や争い事をなくすためには、合理的な話合いや対策が不可欠です。その一方で、そのような合理性をもちこんで、システマチックに祭を行うことが本当に楽しいのかという疑問も出てきます。その辺は祭りをする人たちにとっての永遠のテーマなのかもしれません。

 本年もご愛読くださり有難うございました。少しずつ、ご愛読?ご通過?してくださる方が増え、一日100IPくらいからのアクセスがあるそうです。
 来年は、アクセスをさらに十倍にすることを目標に! するのではなく、とにかく、毎月一回の発行のペースは死守したいものです。
 あとは、1韓国語の上達  2今までの取り組みを形にする などが出来ればと考えています。  

●編集後記2
  秘密保護法案が衆議院を通過したそうです。この国も少しずつ西北隣の国に似てきているきがします。
 自分たちのやばいところは隠したい。うるさい奴はだまらせたい。
 洋の東西、右左問わない為政者の本音なのでしょう。