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月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

50.秋夕(チュソク)の訳と盂蘭盆 (2016.1月)

2016-01-01 00:00:00 | コリア、外国

 今回は、50号のようです。
 50号記念といきたいところですが、普通に。

●秋夕(チュソク 추석) 
 韓国語を学ぶ日本の祭オタクが避けて通れない道があります。
 それが秋夕(チュソク 추석)という言葉をどう訳すかです。

 秋夕は、旧暦8月15日に帰省し先祖の墓参りをするという風習です。
 韓国の中で民族の大移動が起こるといいます。

 さて、この訳を、先祖の墓参りをすること、大規模なきせいがあることから秋夕を日本語で「お盆」と訳す韓国語教本が多く有ります。しかし、お盆の旧暦の日付は7月15日で、韓国にもその風習は残っています。そして、秋夕と同じ旧暦8月15日には、彼岸があたることになります。彼岸もまた、先祖の墓参りをするところは一致しているといえます。また、中秋の名月の日ということもあり、韓国にも「向月」と呼ばれる行事も組み込まれているそうです。
 一方の彼岸もまた、浄土思想とのかかわりが深く、来迎図などには満月が描かれていることが多いことからも共通点はあるといえるかもしれません。
 秋夕が民俗儀礼であるのに対して、彼岸儀礼は仏教のものです。ですが、彼岸や浄土思想は、純粋な仏教儀礼というよりも、東アジアの民俗儀礼に仏教を当てはめたものと考えると、共通点は多いように感じます。こうなると、「秋夕は儀礼的には、彼岸と訳すべき」と言いたくもなります。
しかし、彼岸と秋夕の規模は、やはり、秋夕の規模のほうが圧倒的に大きな行事となっており、それに匹敵する行事を日本で言うと「お盆」といわざるを得ません。となると、秋夕の訳は、「行事的には彼岸、帰省の規模的にはお盆」ということになりそうです。


 
 山越え阿弥陀図 鎌倉時代 左上に満月

●盂蘭盆の輿
 
韓国と日本の大きな違い。管理人にとっては、このブログの主題でもある、太鼓台、山車、だんじりなどの担いだり、曳いたりして練り歩く祭の有無が最も大きいと感じています。例えば中国でも山車はあったし、インドなどヒンドゥー教国でも残っています。しかしながら、韓国ではなかなかそういったものが見られません。
 そんな中でやっとみつけたのが、下の写真です。京畿道江華郡の伝燈寺(チョントンサ・전등사)の輿で、死者の魂を運ぶものだそうです。わが国のお盆においても、新仏の魂を輿に迎えて送る風習があり、それと似ています。

 





 現在の日本の神輿はもっぱら神社のものとなっていますが、古来の神輿は、神社のものでありながら、神仏習合色の強いところで行われていたといえそうです。それを証拠に神輿の屋根にも宝珠や鳳凰が乗っているのも、仏教の影響といえないでしょうか。






●韓国と日本の祭の共通点と違い
 ①秋夕においては、日本にも彼岸とよばれる共通するものがあります。
 ②盂蘭盆においても、両国に存在します。
 ③また、宝珠のついた輿についても、両国に存在しました。
 しかし、①は韓国で隆盛しています。一方の日本では③が隆盛しています。
この差異は、仏教をめぐる両国の歴史の差異によるものと管理人は考えています。
李氏朝鮮において仏教は15世紀ころから弾圧の対象となりました。その間に宗派の合併や民間信仰として生き残ります。弾圧が弱まるのは朝鮮末期になります。つまり19世紀から20世紀になるまでは、政府の支持を得た信仰とはいえない状況だったといえるでしょう。
 一方、日本では明治期の神仏分離、廃仏稀釈がなされますが、後者は失敗に終わります。一方、神仏分離もいわゆる葬式仏教として、信仰の質としては議論があるかもしれませんが、経営基盤としては確固たる物を保ってきたといえるでしょう。また、江戸期においては、檀家制度で戸籍を管理するなど仏教の世俗的な役割が強くなり、その名残が今も残り、経営基盤はかなり安定した物を保っていえるといえます。このような経営基盤を後ろだてとして、宝珠を頭に載せた練り物の祭りが連綿と続いてきたといえるでしょう。

 
編集後記
 記念すべき50号。特に力をいれたわけでなく、今すぐかける題材ということで選んだのがこれです。
 しかし、こんな時期だからこそ、拙ブログの50という大きな節目に大好きな隣国のことを題材に選べてよかったと感じています。

 残念なことに、SNSを見ると祭人の中にもヘイトスピーチに該当する書き込みをする方がいらっしゃいます。
 政治的な議論を提起するのは、決して悪いことではありません。ただ、その民俗、文化、国籍、宗教に属していることを理由にして、誹謗中傷をする書き込みを見るたびに、その書き込みに「いいね」をしている人を見るたびに、悲しい気持ち、情けない気持ちになります。その書き込みを見た子どもがどう感じるのか、という想像力が求められています。そして、祭人の中にもヘイトスピーチ対象の国籍であったり、ルーツを持っていたりする人はかなりいるはずです。その大切な仲間を傷つけることは決して許されません。
 そして、その低俗な書き込みをすることで貶めることになるのは、ヘイトスピーチの対象者だけではありません。ヘイトスピーチの書き込みで貶めることになるのは、自分自身の価値、そして、自らがご奉仕する屋台・だんじり・神輿・ご祭神と祭への冒涜となります。

 自らへの批判をかわすために、を作り出したり隣人への差別を煽るのは為政者の常套手段です。おそらく、日韓両国でそれは行われているのではないでしょうか。ヘイトスピーチの急先鋒者もまた、その被害者と言えるのかもしれません。自らが被害者であることを認識し、その行動を即あらためることを強く願います。
 

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太鼓に込める願い、韓国編(月刊「祭」47号.2015.10月)

2015-09-16 16:16:05 | コリア、外国

祭シーズンが近づいて来ました。

我々が太鼓に熱き思いを乗せていろんな祭りをするように、韓国でもいろんな場面で太鼓が使われます。それを今回は見ていきます。

◎殺牛の代わりとしての太鼓
 太鼓が演奏される前、牛を生贄にし雨乞いなどをする信仰が日韓両国にあったそうです。 日本霊異記や日本書紀から、日本では仏教導入の影響でその習慣は廃れたことが分かります。また、韓国でも農作業に牛を使うことから、古代よりは少なくなったと管理人は推測しています。ただ、韓国では仏教の勢力が日本ほど強くなく、牛肉を食べる習慣は朝鮮時代から続いています。それにともない、あまり多くはなかったと思われますが、戦前の論文には韓国で殺牛信仰が続いていたという報告もなされています。 仏教信仰の強弱はあるものの、その影響で両国とも殺牛信仰はへったと思われます。牛の皮を使う太鼓は殺牛の代替物として使われているのではと管理人は推測しています。


◎祭での太鼓
  韓国では地車や屋台、太鼓台など我々のように乗り物に太鼓を乗せて練り歩くという様子はほとんど見られません。中国やインドでも山車のようなものはある、もしくはあったようですが、なぜ韓国・朝鮮だけ?という謎が残ります。祭で太鼓が使われる一番多いと思われるのが踊りや劇、歌を伴う農楽などと呼ばれる芸能です。

●慶尚北道安東市河回村 両班劇
  有名なのがチャンゴと呼ばれる太鼓で、ある時は踊りながら、ある時は座ったままで太鼓が打たれます。豊作や大漁など、生産活動の盛況を願うことが多いようです。
 砂時計型の締め太鼓で、左右違う形の長さ30cmほバチを持ちます。 左側-クンピョン 低音面で、鉦のバチのように先に丸いかたまりのついたバチを使います。小指側に先が来るように下向きにバチを持ちます。右手で打つことはないようです。 右側-チェピョン 高音面で、先が細いバチを使います。親指側にバチの先がくるように上向きに持ちます。左手も交えながら打ちます。

●両班劇の演奏者、右側がチャンゴ

●全体のリズムをとる鉦


 踊りながらの場合は広島の花田植や、沖縄のエイサーなどを彷彿とさせます。画像はないのでネットなどをご参考にしてください。
 

◎寺院の太鼓 -生きとし生けるもののために-
鐘、木魚、雲板とセットで太鼓が寺院に設置されます。聞くところによると、木魚が水の生き物、鐘は人間、雲板は空の生き物、そして太鼓は4本足の生き物のために演奏されるそうです。 今まで見たことあるのは全て鋲太鼓でした。鏡面は1メートルをゆうに超えるものがほとんどです。カラフルな装飾が施されています。

●慶尚北道海印寺の太鼓

◎統一祈願太鼓
 韓国西北部、京畿道パジュ市(坡州市、파주시) のイムジン河(임진강.臨仁江)ほとり、つまり南北国境間近に作られています。この太鼓が置かれている施設は統一展望台。そこから、北の様子が見ることが出来る施設です。 また、統一を祈願し、やがて実現するまでを展望する施設ともいえるでしょう。国が分断された戦争があったことで、日本の経済復興がなされた一面を考えると、複雑な思いがします。いつの日か平和的に統一され自由に行き来できる日がくることを願ってやみません。
⚫編集後記
 今年の夏は6回目の渡韓にして、初めてソウルに行きました。相変わらず韓国の人は優しくて、益々この国を好きになりました。 我が国の祭においても朝鮮や韓国にルーツを持つ人たちが、今も欠かすことができない役割を果たしている例にいくつか出会いました。 政治的な批判や議論はお互いに大いに行うべきです。が、人格を否定する差別発言で、実はあなたの隣の人を傷つけているかおしれません。そのような想像力が我々祭り人にも求められている時代が来ているように感じます。

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日韓「現れる亀の話(韓国編)」<月刊「祭」第37号 2015.1月>

2015-01-05 21:43:49 | コリア、外国

 かなり遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
 昨年も年末に韓国へ行ってきました。今回は、韓国第二の都市である釜山とその西に位置する空港都市・金海市にあたる地域の亀に関係した地名をあつかいます。

「三国遺事(サングッユサ)」の建国説話  
 開闢以来、この地にはいまだ国の名称というのがなく、それに君臣の呼び名もなかった。我刀干、汝刀干、彼刀干、五刀干、留水干、神天干、五天干、神鬼干などの九干がいて、これらが酋長となって民をおさめていた。
 -(略)-彼らが住んでいた村の北側にある亀旨に、みんなを呼ぶ怪しげな声がした。村の衆二、三百人がそこへ集まっていくと、人の声は聞こえるが、姿は見えない。その声は、「ここに人がいるか?」と聞く。九干らが、「我々がおりまする」というと、また「ここはどこなのか?」と聞く。「亀旨であります。」と答えると、こえはまたこういった。「皇天が、私にいいつけてここにこさせ、国を新しく建てて、私をここの君主になれといわれたので、今ここに降りてきたのだ。お前たちは、峰の頂上の土を掘りながら、つぎのように歌いなさい。
 亀よ亀よ、頭だせ ださずんば やいてたべるぞ
-(略)-九干どもは、いわれたとおりにみんなが楽しげに歌いながら舞った。しばらくtってから空を仰いでみると、紫色の紐が天から垂れてきて地面についた。紐の端を見ると、紅いふろしきがあり、その中に、金色の合子(お盆)がつつまれていた。それをひらいてみると、なかに黄金の卵がろっこはいっていて、太陽のように円い。-(略)-我刀干の家に持ち帰り、-(略)-お盆を開いてみると、六個の卵が化けて男の子になっていた。-(略)-顔は龍に似てあたかも漢の高祖のおうであり、-(略)-目に瞳が二つずつあるのは虞舜のようであった。その月の十五日に即位した。初めて現れたので諱を首露といった。-(略)-国を大駕洛、または伽耶国と称したが・・・・・・・
 

 このように、亀よ現れろ現れろと囃し立てた後に生まれた金 の卵は亀の卵と解することができます。 となると、半島ではじめの王国駕洛国の王族は瑞祥の象徴である亀の血を引くことになります。 この説話の舞台となるのが現在金海市の釜山金海軽電鉄金海国立博物館駅の近くにある亀旨峰(구지봉•クジボン)です。現在は亀の頭のような岩が山頂に残っています。



亀旨峰の亀の頭型の石





⚫︎洛東江沿岸地域の地名
 金海市の東側、釜山広域市の西側を流れる洛東江(낙동강.ナクトンガン)沿岸にも亀に関する地名が残っています。 東側の釜山には龜浦(구포.クポ)、龜明(구병.クミョン)、龜南(구남.クナム)、西側に登龜(등구.トゥング)と亀を思わせる地名がそろっています。登亀は亀が川をのぼる土地だということで、登亀の名前はつきられたと言われているそうです。
 また、亀が息をして暖かくなっていると伝わる亀息津とよばれる浜もあったそうです。


釜山の地下鉄や鉄道の路線図。()内の日本語は管理人がつけた。


亀浦駅の近くにある亀のモニュメント





 釜山広域市誌編纂委員会「釜山地名総覧」(2004)によると、それは川に関係する地名が転じてクやクポとなり、そこに亀の字が使われるようになったとしています。なので、このような亀にまつわる地名は、俗説にすぎないとしています。
 確かに、河の近くに亀のつく地名が多く、それにはうなずけます。しかしながら、このような亀の字がつくようになった「俗説」がなぜ考えられるようになったのかを考えることにはやはり意味があることのように思えます。

 そのために、龜浦の街を見下ろすパンボプ山をみてみましょう。パンボプ山は、数々の岩が露出しており、その岩をいろいろなものに見立てています。その中に、コプククパウィ(거북바위. 亀の岩)とよばれる岩が存在します。まるで、山を登る亀のようだということでつけられました。前述の登亀を彷彿とさせます。
 昔の絵地図を見るとこの岩のある  山が亀峰とされています。これは、三国遺事に記された金海伽耶王国の亀旨峰から旨を抜いた字になり、その影響が伺えます。おそらく、三国遺事に記された亀と関係した王権設立譚の現場が近くにあることから、クの漢字に亀の字を当てたと言えるのではないでしょうか。




(거북바위. 亀の岩)


「ポンス伝達地図」の亀峯の文字。


編集後記
 昨年も年末にかけて韓国旅行に行ってきました。
 韓国語が去年よりもできるようになって来ているので、図書館の本をコピーしてもらうなんてこともしました。そして、例によって非常に楽しい旅になりました。
 それは、どこにいっても現地の方が本当に親切だからというのが第一の理由です。
 あきらめかけていた資料を貴重な時間をさいて探し当て、コピーし、無償で下さった方がいました。カップ麺を売店で買って湯を入れて食べようとしたら、自家製のキムチとご飯を下さった方もいました。毎回、いろんな方のおかげで、旅行ができています。

 どこの国の為政者も、自分の子どもや孫も権力を握ることを願ってしまうものです。そのためには、つい、自分たちに有利なルールをつくりがちです。だけど、自国民の不満を隣国に逸らすことができれば、自分たちへの批判は楽にかわせます。
 政治の批判は自国他国関係なく大いにするべきですが、為政者たち身勝手な都合によって、罪もない隣国の一般の方を悪く言うのだけは避けたいものです。  

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石段は一方通行・韓国語と英語で祭警備 1<月刊「祭」第36号-2 2014.12月>

2014-12-01 23:23:16 | コリア、外国

国際化が進み、外国から祭を見に来られる人も増えています。そして、祭の警備をしている時に、外国語が通じなくて困った経験をお持ちの方も読者の皆さまにはいらっしゃることでしょう。
そこで、今回は「石段一方通行」をめぐってのやりとりについて、英語、韓国語に訳してみたいと思います。 ちなみに、英語は誤が自分が警備している時に実際に使った言葉で、なんとか通じました。が、どうもおかしなところが、あるらしいです。正は、某公立学校のALT(アシスタント イングリッシュ ティーチャー)より賜った模範訳となります。

すみません。石段は今は一方通行ですので、下りる(上る)ことはできません。
誤 I'm sorry The steps are one way passing now. So, you cannot go down(go up) the steps.
正 I'm sorry, the stairs are one way at this time.You can only go up,not down.
미안합니다. 지금은 돌계단은 일방통행이니까 올라갈 (네려갈) 수 없어요.
ミアナムニダ. チグムン トルケダヌン イルバントンヘンイニッカ オルラカル(ネリョカル)ス オプソヨ.

ここでお待ちになられると、屋台は石段を上って(下りて)来ます。
誤 If you wait here the carrying floats are come down(up) the steps.
正 If you wait here, you can see the *portable shines being carried up the stairs
여기서 기다리시면 북가마가 올라올게요(네려올게요).
ヨギソ キダリシミョン プクカマガ オルラオルケヨ(ネリョオルケヨ)

*portable shrine=運べる神輿やcarring shrine=かつげる神輿の場合、神様は乗らないとされる屋台の訳にとしては不適切かもしれません。かといってfloatsが適切とはいえず、通じやすさならshrineになるでしょう。通じるならばyataiやtaikoをそのまま使うといいと思います。

<編集後記>
 年の変わり目毎に、本誌では管理人が目標を立てています。
 今年も、月一回のペースは守れました。
 目標に掲げた韓国語の習得は、レベルアップはしたものの達成はならず。
 学会発表も仕事の都合で今年は見送りました。
 目標は、途方もない目標でもなければ小さすぎでもない目標、「叶うか叶わないかギリギリのレベル」がいいそうです。
 ・来年は学会発表+ハングル能力検定2級相当の資格取得(上半期中!)。
 ・再来年までには、論文一本は掲載に。そのために2015年中に一本書き上げる。
 ・月刊「祭」月一本ペースの死守。

 本誌の別巻で、韓国語学習記もひっそり不定期連載しております。

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<月刊「祭」第24号 2014.1月>韓国全羅北道南原市with河東市長丞(チャンスン)見聞記

2014-01-01 00:00:00 | コリア、外国

●あこがれの長丞(チャンスン)
 韓国には、日本のお地蔵さんやオシラサマのような、長丞(チャンスン)と呼ばれる木や石の作り物が、村の守り神として村の境目などにおかれます。よく「天下大将軍」や「地下女将軍」などと書かれ、多くは男女のペアで、ソッテとよばれる枝に泊まる鳥のつくりものとセットで置かれます。それは、毎年作り替えられ、それに伴う祭祀が行われます。また、長丞は道しるべとしてもおかれたりするそうです。
 と、ここまでが、大学の授業だったか、国立民族学博物館の映像だったかで習った私の知識です。
 そこで、このような習慣を直に見たいと思い、再び韓国を訪れました。しかし、私が毎回訪れる釜山付近でこのような長丞を見られるという情報は得られず(あるのかもしれませんが)、かろうじてインターネットで確認できた、全羅北道南原市を訪れることにしました。


                 
日本 国立民族学博物館(大阪府吹田市)に展示された長丞      

 
全羅北道パンフレットより                             南原市パンフレットより(赤丸および日本語、Aは管理人のつけたし)


 実際に訪れたのは、実相寺(シルサンサ)、それから東に少しいった河東市マチョン(마천)近くの碧松寺(ペクスンサ)、そして、上の図右のおそらくAのあたりだと思われるのですが、引月(インウォル)から実相寺のバス道上にあるチャンハン停留所と、引月停留所の間の路上です。ということで、それぞれの場所の長丞を見たあと、この辺の長丞はどんなものなのかについて考えたいと思います。

●実相寺(2013.12.26,27)
 
まずは、実相寺を見ていきます。
石長丞
 位置は、下の手がきの図を確認してください。石製の長丞は18世紀頃にできたのではと考えられているそうです。
 もう一体あったのは、洪水でながされたのだとか。
 これらの長丞は解脱橋の傍にありました。このような石製の長丞は石長丞を韓国語読みした「ソクチャンスン」と呼ばれています。
 また、むかいの喫茶店の方に聞くところによると、ソッポクかソッパクか正確な発音は忘れましたが、別名があるそうです。
 一般的な長丞の男女ワンペアのイメージと違い、全部男性を象ったものになっています。
 石製で毎年作り変えるわけにも行かず、200年の時を経て、重要民俗文化財に指定されています(国?市?道?)。
 写真下左側のものは、この実相寺の長丞のことを知るきっかけになったサイトによると、「擁護金紗逐鬼将軍」と書かれているそうですが、「逐鬼将軍」までしか確認できませんでした。ですが、このように書かれているとなると、「金紗」は僧の袈裟だと考えられそうなので、仏教をまもる神さまの役割を荷っているものと思われます。
  
道路側                 寺側寺に向かって右側      寺側寺にむかって左側

木長丞

 一方の木長丞は、上中心の石長丞のすぐそばに4体残っていました。某サイトで確認(リンクの許可を申請中)した2011年の写真では、ソッテと呼ばれる木にとまる鳥の作り物と、色を塗っていない長丞が4体でしたが、現在はソッテはなく、長丞4体のうち2体は色が塗られていました。
 下の写真左側は、センミョン(生命)サルリム(生きること、生活)なので、生きとし生けるものと訳せるでしょうか。寺のそばの長丞だけあり、仏教的な言葉がかかれています。
 中心のものは、2011年時点ではなかったようで新しく作ったみたいです。中心のうち左側のものはクムルと書いてあり、網というのでしょうか。右側は、クムルコといって網目の意味になりそうです。網や網目は、仏教の世界観を表す例えに用いられたりもしているようなので、やはり仏教的な長丞と言えそうです。
 下の写真右側は、「チョンナトンチャングン」と書いてあります。「チョンナ」は「天下」、「チャングン」は「将軍」のそれぞれ韓国の読み方です。「トン」にあたるのは、「太い」などを意味する漢字語ではない韓国語と思われ、訳は「天下大将軍」ではなく、「天下太将軍」のほうが適切になります。かつては、「地下土将軍」の意味の長丞とたっていたので、比較的従来のイメージに近い長丞といえそうです。
  
生きとし生けるもの         網?網目?(仏教で例えか。)  天下太将軍

 ところで、これら4体の木長丞のうちの3体をつくったとおっしゃる方の話を偶然にも聞くことが出来ました。この長丞の目の前できけなかったので、どの3体を作ったのかは分かりません。その方のお話によると、これらの長丞は毎年作り変えているわけではないそうです。しかし、村などの守り神だとの認識を持っていらっしゃいました。長丞の祭祀の有無は確認できませんでした。



実相寺の伽藍配置と長丞の位置

 長丞と寺の伽藍配置図(角度、縮尺率、方向などは適当にかきました)を見ていきましょう。 


  上の図左上の極楽殿(下写真)と、他の伽藍の間に小川が流れています。極楽を表す建物を西側に置き、川や池などを隔てて他の建物を配するというのは、日本でもよくあります。
 
 極楽殿

 では、このような伽藍配置の中で、長丞はどのような役割をしているのでしょうか。
 バス亭(上図右下、写真下)を下りると、西側に川と解脱橋(ヘタルキョ)が見えます。この橋の東側が現世であり、解脱橋を渡り寺にいくことで、仏の世界にいくことを意味している伽藍配置といえるでしょう。その解脱につながる橋のたもとに石長丞がおかれ、その横に木長丞がおかれています。
 つまり、実相寺の長丞は、村の境目の長丞というよりも、仏の世界と現世の境目の長丞ということができそうです。


        
解脱橋現世側(東側)から 左の緑の枠の中に石長丞が1体     解脱橋の上から
   
 解脱橋仏の世界側(西側)から この両端に石長丞、もっと左側に木長丞が



三重石塔、その奥に実相寺の中心的建物である普光殿


●碧松寺(ピョクスンサ)入り口のチャンスン
 南原市のすぐ東側の河東(へドン)市マチョン(마천)のバスターミナルの近くの山の上に、碧松寺があります。
 そして、その参道の両側に比較的新しい木長丞(下写真左、中)が、寺の伽藍群の東側にかなり古い木長丞(下写真右)が残っていました。古いほうは屋根がかけられ保存してあり、何らかの文化財指定をうけているようですが、残念ながら写真でとった解説板のピントがあっておらず、読み取ることが出来ませんでした。片側は、破損が著しくなっております。これらも実相寺と同じく寺の入り口などに立っており、性質は同じものといえるでしょう。
 新しいほうがおそらく、古いものを復元したものと思われ、そこには、「禁護將軍」「護法大將軍」とそれぞれに書かれており、「護法」の言葉の通り、仏法を守る長丞と言えるでしょう。

  
護法大将軍             金護大将軍             古い長丞

●引月~マヒャン間の側道の長丞
 引月からマハンにかけての側道のとあるところに集中して長丞がありました。ところで、長丞は分かれ道や、道路沿いに新たなベンチが出来たときにもつくられることがあると、鎮安郡の方に聞きました。下の3体(本当は4体あって撮り損ねたかもしれません。)は、メインの道路から細い道がわかれており、その境目に建っていました。なので、おそらく別れ道だからということで建てられたものと思われますが、すぐ近くにヤクスサ、ヤクス庵の看板があるのが気になります。ですが、この看板の先をいってもそれらしきものはありませんでしたし、後に地図で確認しても、この分かれ道の先にあるわけではなさそうでした。

   
                                                            ヤクス寺の看板とすぐ近くの長丞

 また、下の写真のように、公園の中に石長丞が作られてありましたが、大分新しそうでした。十二支の方角をしめす石版を長丞?が支えています。
  

 さて、興味深いのは、実相寺に属するペクジャン庵まであと1kmだという看板のすぐ近くにあった木長丞です。
 なんと、頭に龍を載せています。そして、文字は帯方四十八方大将軍の文字。帯方は、南原に置かれた帯方郡の郡治が置かれたことに由来すると思われ、この地域をさすと考えられます。四十八は、菩薩四十八願など、仏教に関わりの深い数字で、やはり仏教の影響を見て取ることが出来ます。

    
ペクジャン庵まで1kmの看板。                長丞全体

 
頭の上の龍 やはり仏教的                    帯方四十八方大将軍


●まとめ 引月~実相寺、碧松寺の長丞
 
引月~実相寺、碧松寺の長丞は、大きく二つにわけられそうです。一つが道の分かれ目に立てられた長丞。
 そして、もう一つが寺院に関わりの深い護法長丞ともいえるものです。この護法長丞も龍頭長丞など道案内的なものと、まさしくこの世とあの世(寺院)の境界に立てられた長丞です。今回、長丞に関わる祭祀については知ることは出来ませんでしたが、長丞も神仏習合がなされているのは、非常に興味深い発見でした。


●編集後記●
 
新年一回めの発刊になります。随分韓国語が上達したこともあり、韓国旅行も短いながら充実したものになりました。
 今回もまた、現地の方に大変お世話になりました。鎮安郡塔寺の通訳の方、実相寺前の喫茶店の方、実相寺の僧侶やスタッフの方々、バスの乗り方下り方を教えてくださったマチョンターミナルで乗り合わせた方など、本当にお世話になりました。
 政治的な対立もあるようですが、対立の気運に流されて隣国同士の理解を拒むのは、愚の骨頂であると身にしみて感じました。
 
 最近は、月刊「祭」見てると声をかけてくださることも増え、また、アクセスの数も少しづつふえてきているようです。
 今年も、月1回のペースを死守できればと思っております。本年も何卒よろしくお願いいたします。
 今年の目標は昨年の12月号で書きましたが、実現のためには時間の確保が不可欠です。しなければいけないことはとにかく早くすませ、時間を作っていくようにしていきたいものです。

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<Monthly `festival` Feb.2013> The mask festibal in Japan and Korea (Korean language)

2013-08-25 20:35:44 | コリア、外国

<월간  '제시' 2013.2월> 일한 가면의례 
  이번에는 '오니오이*1'의 계절이니까, 가면의례 관헤서 샌각해가겠습니다.
 링크를 클릭하면 동영상을 볼 수 있습니다.

*1 오니오이
 '오니' 는 귀신입니다. '오이'는 쫓아내기 입니다. 일반적에는 오니오이는 역병나 재앙을 상징한 나쁜귀신을 쫓아내는 의례입니다. 많은 오니오이는 1월이냐 2월쯤에 행해집니다.
      
■반슈(播州)의 오니오이*2■ 
 반슈의 오니오이의 '오니(귀신)'는 쫓기는 것이 아니라, 오니(귀신)자신이 횃불동을 휘둘어서 역병나 재앙을 쫓아내어주십니다.곳에 따라서는 비샤몬텐(毘沙門天 비사문천)나 후도묘오(不動明王 부동면완)동의 화신이라고 이야기 하는 것 도 있습니다.
  이런 오니오이에는 '본당 (本堂-대웅전・大雄殿)안에 있는 본존뒤동 숨는 곳에서  나타나서, 춤추어서, 돌아가다고 하는 순소=이계에서 내방, 귀한의 줄거리' 돼어 있습니다. 또한 오오오니(大鬼 어른귀신)가 오는 전에、 고오니(子鬼 어린이귀신)동이  뭉둥이치기동을 해서 오오오니가 나타나올 곳을 깨끗이 하는 시나리오가 되어있습니다.    

 *2 반슈(播州)
  고베시(神戸市)서부를 동한으로서, 히메지시(姫路市)보다 서쪽에 있는 아코시(赤穂市)를 서한으로서, 아카시시(明石市)를 남한으로서, 니시와키시(西脇市)를 북한으로 하는 지역. 일번 옛날 지명인 하리마(播磨)를 단축하는 지명. 효고현(兵庫県) 서부.


 
간사키군 신샤구시(사) (神埼郡 神積寺)  본당 안에서 가는 산신

 
히메시시 우수키하치만신자(신사)  부신사이
(姫路市 魚吹八幡神社 武神祭)  
배전(拝殿)옆에서 나오는 귀신

■한국 가면극■
 구러면 한국을 봐라보십시다. 한국에는 익살맞은 가면국동이 전국적으로 널리 퍼지는데, 그석에 많은 것이 공통되는 점이  있습니다. 그것은 국이 시작되는 전에 이계에서 오는 자, 예컨데 안동 화희 마을의 '주지'동  일번 시시마이(獅子舞 사자춤) 같은 자가 춤추어서, 극장을 깨끗이 하는 점입니다. 이것들도 곳에따라서 산신이라고 샌각되어서, 이계에서 내방 이란 점에는 일번과 공통하는 것이겠습니다.


 
안동 화희 마을 주지. 이때부터 극이 시작돼요.    주지후, 양반동 골계극이 행해집니다.

사례: 한 관지 씨, 백 수진 씨, 이 휸이 씨, 그녀들의 직장의 동료인 분들, 저가 한국에 갔을때에는  언제나 정말 신세 많이 주어서, 정말 정말 감사드립니다. 

■편집 후기■
 이번에는 동영상도 게재했습니다. 앞으로도 오래 계속하고 싶은데 가능한 빨리 다 쓰는 것을 연두에 뒀습니다. 반면에 동영상을 린크시켜서  쪼금은 즐기실 수 있을 것입니다.

 요새 소년 번죄 안에 흉악한 것을 보면, 가해자의 부모님의 사회 입장이 높은경우에는 그 처벌을 경감되는 경향이 있다고 저는 느낍니다.
 이것은 사희적 불만의 경삼 피해자의 구제다고 하는 시점으로 만아니라, 가해자의 경정다고 하는 시점으로서 절대 안된 것이라고 샌각합니다.

■편집 후기(한국어 판)■
 
한국어로 번역헸을 때에 눈치를 채는것은 제 안 못한 일번어이었습니다.......

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<月刊「祭」2013.6月 第15号>日韓「九尾狐」伝説 

2013-06-02 19:47:33 | コリア、外国

 ちょっと前に「僕の彼女は九尾狐(クミホ) 내 여자 진구는 구미호」という韓国ドラマを見ました。
 主演のシン・ミナ(신 민아)の魅力にノックアウトだったのですが、ここではおいといて。
 今回は日本や韓国に残る九尾の狐伝説を紹介します。

●韓国(参考のサイト)(そのサイトが参考にしていた書籍
 韓国にはこんな話が残っています。
--------
 科挙をうけにいくヤンバン子弟は、道中で奴隷(召使といったほうがいいのか?)のバンバルをいじめて、木にしばりつけて棄てていった。しかし、子弟は九尾狐に食い殺される。
 一方のバンバルは、絶世の美女に助けられ一夜をすごす。
 バンバルはその後、殺人の疑いで捕らえらるが、脱獄した。かに見えたが、実は官憲の罠で、美女のもとへ逃げた。美女は実は九尾狐で、官憲を食い殺してまわったが、バンバルをかばって絶命する。
 九尾狐は実は、バンバルも食い殺すつもりだったが、愛してしまったので食べなかったのだという。
------‐
 壮絶な愛の物語といったところでしょうか。

●日本
 日本でよく知られているのは玉藻前という物語で、こちらのほうをご参考に。
 日本では、食い殺すようなことはしないのですが、天皇を手玉にとろうとしていたようです。
 実は、この玉藻は、鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)がモデルともいわれているそうです。 摂関家などの名門出身でもない彼女が、皇后にまで成り上がりました。摂関家と対立したり、保元の乱が起きたりしたことから、彼女と九尾の狐のイメージが結びついていったのでしょう。


(淡路市立北淡歴史民俗資料館所蔵の写真、斗之内浜だんじり幕)
*掲載の許可を得て使っておりますので、無断掲載厳禁でお願いします。


●韓国と日本の九尾狐
 美女に変身するという点では、どちらも共通します。ですが、韓国では人を食い殺す一方で男性には一途な愛をむけます。一方の日本のほうは、天皇を誘惑し権力奪取を画策します。男性のみなさんは、どちらがお好きでしょうか??
 男性にとっては、怖くて魅力的な?? 九尾狐のお話でした。
 女性にとっては、男性が抱くイメージの身勝手さの典型的なお話だったのかもしれません。

●編集後記 1
 先月(五月)、友人が練る西蒲田の屋台を生まれてはじめてみました。小学校創立百周年記念行事とのことです。
 その友人が西蒲田屋台について話す時は、正に「ほとばしる愛」が感じられ、かねてより見たいと思っていました。
 西蒲田屋台は蒲田神社の祭に出される屋台で、管理人の地元の祭(三木市大宮八幡宮)と日を同じくします。
 もしかしたら、一生見ることの出来なかったかもしれない屋台、見ることができてよかったです。 
 三木風の言い方をすると、「本当にいいタイコ」でした。

●編集後記 2
 よくこんなことを耳にします。
「韓国や北朝鮮(北韓)は日本への憎しみをあおって、自国の政治のまずさから目をそらそうとしている。」
 もしかしたら、それは、日本も同じかもしれません。
 隣の国の情勢に不満を感じるならば、なおさらその国の言葉の学習が不可欠です。
 ですが、隣国の脅威を語る人ほど、その国の言葉の学習の必要性を説いていないように見えます。
 
 
 管理人の個人的な韓国への想いは、こちらや、こちらや、こちらへ。
 旅行する度に本当に様々な方が親切にしてくださいます。大好きな国です。
  
 

 


 

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<月刊「祭」2013.2月 第11号> 異界から現れる異形 -日韓仮面儀礼-

2013-01-17 19:48:23 | コリア、外国

 今回は、鬼追いの季節なので、仮面儀礼ということについて考えていきます。
 リンクをクリックすると、動画を見ることができます。

■播州の鬼追い■ 
 播州の鬼追い は、必ずしも追い払われるべきものではなく、鬼自身が、たいまつなどを振りかざして、魔を追い払ってくれます。ところによっては、毘沙門天などの化身とよばれることもあります。
 このような鬼追いの多くは、お堂の裏などに隠れている場所からたち現れて、まって戻るという手順=異界からの来訪、帰還のシナリオ」となっています。また、鬼が現れる前に、子鬼などが棒打ちなどをして、鬼の現れる場を清めるという形をとっています。
 
 
神埼郡 神積寺で、お堂の中から現れる山の神


 
姫路市 魚吹八幡神社 武神祭  拝殿の脇から現れる鬼

■韓国の仮面劇■
 一方の韓国をみてみましょう。韓国では、滑稽な仮面儀礼などが全国に広まっていますが、その中の多くに共通する点があります。それが、劇の始まる前に、獅子舞を思わせるような異界のもの、例えば安東市の河回マウルの「ちゅじ주지などが舞って、劇場を清めるという点です。これらもところによっては、山の神などとかんがえられおり、異界からの来訪という点では、日本と共通するところでしょう。

 
安東河回マウルのチュジ。これで劇が始まる。       チュジのあと、「ヤンバン」などの滑稽劇が行われる。

謝辞:ハン=クァンジさん、パク=スギンさん、イ=ヒュニさんをはじめとする韓国大同病院看護師のみなさま、
    訪韓の際は、本当に親切にして下さり、本当に感謝感激です。

■編集後記■
 今回は動画も掲載してみました。今後、長く続けることを考え、いかにすばやく書き上げるかに念頭をおきました。その一方で、動画とリンクさせることで、少しは楽しめるかとも思います。

 昨今の少年犯罪のうちの凶悪なものをみてみると、その加害者の親の社会的立場がある場合に、その処罰が軽減される傾向にあるように思えます。これは、社会的な不満、被害者の救済とう視点だけでなく、加害者の更正という視点からも、決して許されない行為だと思う今日この頃です。

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<月刊「祭」2012.11月 第8号> 韓国と日本、信仰に見る相互敬意の歴史 2

2012-10-20 06:25:26 | コリア、外国

 2012.9月 第6号 「韓国と日本、信仰に見る相互敬意の歴史」では、韓国から東・日本を見る信仰について書きました。今回は、日本が韓国などの異国をどう見ていたのかについて、書いていきたいと思います。

■多分?日本で一番浸透している念仏と異国浄土■
 
日本で、念仏を唱えてくださいといったら、多くの人がこういうのではないでしょうか。
 「ナンマンダブ(南無阿弥陀仏)」。これは、阿弥陀仏への信仰を表す言葉です。日本で宗派を問わず深く信仰されている阿弥陀仏は、西方の極楽浄土にいる仏とされています。西方には、韓国、中国といった文明の先進国があり、それが西方浄土の信仰をさらに深めたようです。
 顕著なのは、海岸がそのまま西の異国にむいている丹後の国です。丹後の国では10世紀ころ、阿弥陀仏の来迎を演じる迎講というものが行われていました。その一方で、丹後の国では、秦の除福が永遠の命を求めて日本にたどり着いたという伝説や、浦島伝説が残ります。いずれも、海の向こうの異界や異国と関わる伝説であり、西の国を浄土や神聖なものとしてみる信仰が土台になってできた伝説ともいえるでしょう。

 
かつて迎講が行われていたといわれる丹後半島の大谷寺            当麻寺の迎講

 ←↑ 徐福が来たとされる丹後の新井崎神社とその周辺

 

 ↑浦島太郎を祭る 丹後半島の宇良神社とその祭

■新羅の国よりやってきた皇祖■

 そして、記紀神話に書かれた天皇家につながる神々たちもそのルーツを韓国にもつものがたくさん登場します。代表的なのは、日本を代表する神の一人である、応神天皇(八幡神)やその母の神功皇后の直接の祖となる新羅の国の皇子=アメノヒボコです。アメノヒボコは、「 」したとあり、新羅の国からやってきたことがわかります。

 また、太陽の神・天照大神と月の神・月読尊の弟であるすさのおの神も「新羅の国のソシモリの山に天降りした」とあります。このスサノオは漢字からも剣や鉾の神とうけとることができますが、スサノオの持っていた剣を天照が粉々に砕いて息をふきかけ、宗像の三女神が生まれたとあります。

 

宗像三神のうちの 中津宮(左)と辺津宮(右・宗像大社

 この三女神は九州の宗像大社から、大島、沖の島と一直線にならび、その延長線上は、釜山や金海にたどりつきます。つまりは、宗像大社を拝むということは、遠くの異国の国の都も拝むことになり、日本人が、異国にきわめて強い敬意を持っていたことが伺えます。

 

■最後に■
 
今、隣国同士で利害が衝突し、政治的には不穏な空気が流れています。しかし、いかに政治的な問題があろうとも、その現地の国の方々は本当に優しく私に接してくださいました。そして、両国間の歴史には似たようなことが昔からあったのではないかと思うのです。お互いに敬意をもち、人間同士が親切にしあうことを積み重ねていけば、政治的な対立も話合いですり合わせていくことができるのではないかと感じました。
 そのように感じるきっかけをくださった、2011年、2012年の夏の韓国旅行で出会った方々に感謝して、本稿の締めとさせていただきます。

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Monthly `festival` September,2012 Korea and Japan respect each other (Korean language)

2012-09-02 13:52:42 | コリア、外国

<월간 "축제"  2012.9월호> 한국 와 일번 서로 보이는 경의

■처음에■
 이 여름에 한국 동부에 여행했습니다.
 한국사람들은 정치적대립이 있지만, 시달리는 일번사람에 친질했습니다. 
 이렇게 정치적데립은 있지만, 서로 친절했서, 경의를 갖은 역사를 봅니다.

■양국에 보이는 이국정도신앙■
 일한양국에 보이는곳이, 바다의 저척나라을 정도등 싱선시한 신앙라고 샌각합니다. 거기서, 동해(니헌카이)연안을 주로, 각각나라의 신앙을 봅니다.

■한국 韓国■
●지명●
 부산 가까운  지면을 봅니다. 일광(日光) 일산(日山) 월보(月浦) 월내(月内) 영일만(迎日湾) 라고, 동쪽에서 오는 테양 과 달을 우러러 받들 곳이 알수있습니다.

●해동용궁사  海東龍宮寺●
 동해에 면헤서 세워지는 사원입니다.  20세기가 된후 재건이지만,  일출암라는 이름을 가져서 해듣이를 우러르는암이 있늡니다.
 
동해에 면하는 해동용궁사(海東龍宮寺)         해듣이를 우러르는 일출암 (日出岩)
 
●석굴암 石窟庵●
 경주에있는 석굴암을 봅니다. 
 석굴암을 위에서보면서, 전방후원외관입니다. 후원부가  돔형이서, 석조여래는 앉십니다. 동지에는 전방부일구에서 해듣이빛이 들어오는 얼계입니다. 
  석굴암은, 왜인(倭人) 의 진입을 막는 용이 된 문무대왕이 잠자는 문무대왕릉을 향합니다. 지만, 처가 문무대왕릉에  올때 왜인의처을 따뜻히 맞이하셨습니다. 자기의 버수에 늦을지 몰지만, 버수요금의 환전할수 있던 가게에, 처를 뛰어데려가샸습니다. 
  석굴암의 해듣이빛을 거두어 둘이는 방향을 일번(日本)라고 부르시는 곳은, 다툼이 있지만, 항상히 경의 와 상냥함을 가지고 이읏나라에 접한 역사가 이다라고 샌각합니다.

 


석굴암내부도                 석굴암내부 
 
문무대왕릉                             문무대왕릉을 추앙한 위하는 텐트


■감사■
 신세 많이 많이 졌습니다.   감사하는 분의 이름을 게재허가를 받을후 이름을 게제합니다.

■일번편■
일번편은 11월1일쯤 게제할 예전입니다.  

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