今回はほとんどがどこかで見たことある文章です。蜘蛛の伝承が北野から祇園へ伝わっていったようです。
●前回の復習 蜘蛛と北野
上記のような伝承が平家物語の剣の巻などにのこっており、跡を辿ると蜘蛛に行き着く、北野に行き着くという伝承となっています。
この類話はやがて、祇園社にも伝わっていきます。
●蜘蛛伝承が伝わる前の祇園社の御旅所設置伝承
元亭三年(1323)頃成立した、社務執行晴顕筆の祇園社の歴史を記した『社家条々記録』によると、
「天延二年六月十四日、被始行御霊会、即被寄附高辻東洞院方四町於旅所之敷地、号大政所、当社一円進止神領也」
とあり、天延二年(974)に御旅所が設置されたとあります。この時点では、蜘蛛の伝承は伝わっておりません。
管見によると、蜘蛛の伝承が祇園会に組み込まれるのは、江戸時代に祇園社に伝わる社伝を集めた『祇園社記』あたりからです。
「当社古文書云、円融院天延二年五月下旬、以先祖助正居宅高辻東洞院為御旅所、可有神幸之由有信託之上、後園有狐堺、蜘蛛糸引延及当社神殿、所司等怖之、尋行引通助正宅畢、仍所司等経 奏聞之劇、以助正神主、以居宅可為御旅所之由被 宣下之、祭礼之濫觴之也、自余以来不交異姓、十三代相続、于今無相違神職也云々、保元馬上 差始之、助正、助次、友次、友正、友延、友吉、友助、助氏、助重、助直、助貞、亀壽丸、顕友」
祇園社に伸びて来た蜘蛛の糸を手繰っていくと現在の御旅所である助正の居宅で糸が終わっており、神託どおりそこを社殿とした。助正の子孫がその社の神主となりそれを世襲しているといった内容の文章です。

●祇園社、北野の蜘蛛伝承
北野は血の跡を辿る伝承、祇園社は糸を辿る伝承ですが、蜘蛛を辿るという点では同系統と言えるでしょう。北野も祇園も牛の神様? それは次回へ
●前回の復習 蜘蛛と北野
-蜘蛛退治と髭切ー
頼光が体調をくずし30日たった日の夜。七尺ばかり(約212cm)の背の法師が縄で頼光を縛ろうとしました。頼光は、膝丸で彼を切り伏せます。しかし、その法師の姿はなく、血の跡があるだけです。よって、血のあとを追うと北野の後ろに大きな塚がありました。塚を掘り返すと、なんと大きな蜘蛛がいました。この時より髭切は蜘蛛切丸と名を変えました。
上記のような伝承が平家物語の剣の巻などにのこっており、跡を辿ると蜘蛛に行き着く、北野に行き着くという伝承となっています。
この類話はやがて、祇園社にも伝わっていきます。
●蜘蛛伝承が伝わる前の祇園社の御旅所設置伝承
元亭三年(1323)頃成立した、社務執行晴顕筆の祇園社の歴史を記した『社家条々記録』によると、
「天延二年六月十四日、被始行御霊会、即被寄附高辻東洞院方四町於旅所之敷地、号大政所、当社一円進止神領也」
とあり、天延二年(974)に御旅所が設置されたとあります。この時点では、蜘蛛の伝承は伝わっておりません。
管見によると、蜘蛛の伝承が祇園会に組み込まれるのは、江戸時代に祇園社に伝わる社伝を集めた『祇園社記』あたりからです。
「当社古文書云、円融院天延二年五月下旬、以先祖助正居宅高辻東洞院為御旅所、可有神幸之由有信託之上、後園有狐堺、蜘蛛糸引延及当社神殿、所司等怖之、尋行引通助正宅畢、仍所司等経 奏聞之劇、以助正神主、以居宅可為御旅所之由被 宣下之、祭礼之濫觴之也、自余以来不交異姓、十三代相続、于今無相違神職也云々、保元馬上 差始之、助正、助次、友次、友正、友延、友吉、友助、助氏、助重、助直、助貞、亀壽丸、顕友」
祇園社に伸びて来た蜘蛛の糸を手繰っていくと現在の御旅所である助正の居宅で糸が終わっており、神託どおりそこを社殿とした。助正の子孫がその社の神主となりそれを世襲しているといった内容の文章です。

●祇園社、北野の蜘蛛伝承
北野は血の跡を辿る伝承、祇園社は糸を辿る伝承ですが、蜘蛛を辿るという点では同系統と言えるでしょう。北野も祇園も牛の神様? それは次回へ