月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

301.祭実施における感染の社会的責任(月刊「祭」2020.9月3号)

2020-09-26 11:02:00 | 新型コロナと祭、民俗
 今回は少し語気を強めて書きます。

●新型コロナ流行下において中止された屋台、だんじり運行
 新型コロナ流行下において、屋台やだんじりの運行は相次いで取りやめになりました。管理人も自町において今年の運行には、強く反対しました。
①新型コロナはインフルエンザと違い、元気な年長者を死に追いやる可能性が高いこと
②祭に伴う飲食の場などでは、酒に酔った状態で十分に感染防止対策がなされるとは到底思えないこと
が理由です。
 それは決して間違っていたとは思っていません。しかし、自分のやりたいことに反対の意見を言うのはあまり気持ちの良いものではありませんでした。また、管理人のように青年団も引退しており、年長者組ではいわゆる「ペーペー」の立場であったからこそ、今年の運行に反対することが出来たとも感じています。おそらく十年前の自分であるならば、運行を強く主張していたでしょう。
 特に、青年団の若い人、何らかの役職につくのが最後の人、何らかのリーダーになる人、一生に一度の大役を果たすはずだった人にとっては、無念以外の何者でもありません。少なくとも「コロナ恐るるに足らず論」も出ている中では余計に、無念の思いは強くなることでしょう。

●少しだけ動いただんじり、屋台
 その中でも少しだけ、運行した屋台やだんじりも見られました。管理人自身は映像や画像でしかその様子を見ることができていません。その様子を見ると集団感染を心配する反面、動いているだんじりや屋台はやっぱり美しく感じます。
 それは、コロナ禍でうちひしがれている中だからこそ余計に感じるものかもしれません。敗戦直後、三木市は洪水の被害にも見舞われます。敗戦と洪水で打ちひしがれているなか大宮八幡宮の秋祭において我らが明石町屋台が参道を練り歩いたと言います。おそらくその時に人々が感じたものに近いものだとも思われます。
 その一方で、①湧いて出た祭ヘイト ②仮に集団感染の責任の所在 の問題もあるのが現実です。これらにおいて、管理人の思いを今回の記事であげます。

●湧いてでた祭ヘイト
 今回いくつかのだんじりや屋台が少しだけ運行したことを受けて、ヤフコメなどでは批判的なコメントがいくつか見られました。その種類としては
①自分たちは自粛したのに、これで感染がひろがったらどうするんだという批判
②気持ちは分かるけど、やはり慎むべきだったのではないかという批判
③祭ヘイト
岸和田でクラスターがおきればいいという発言もあった。

です。

 ①②については、それぞれの屋台、だんじり、氏子域で引き続き議論すべき課題です。来年以降、祭をどうしていくのかはそれぞれの地域で問われる課題です。
 一方、③についてはクズの所業と言わざるを得ません。そして、この祭ヘイトの人たちは、今回もいわゆる「左翼」と呼ばれる人ではなく、ネトウヨを思わせる発言・隣国地域への差別的発言を行っていました。
 祭好きの人たちにも、残念ながら隣国への差別的な感情を持っている人達が見受けられます。しかし、それを煽っている人は、祭も誹謗中傷していることは肝に命じておくべきです。正直なところ、一緒になってネトウヨ的な発言をしている人やそのリーダーが、屋台やだんじりは神事じゃないとか言って、祭好きな人を裏切る可能性はかなり大きいと危惧しています。

●万が一集団感染が起きた場合の社会的、法的な責任について
 あってはならないことですが、集団感染が起きた場合に誰が責任をとるのかという問題が残ります。もちろん、「出す」という決断をした祭礼当事者やリーダーがその責任問われることにもなると思われます。
しかし、それだけではあまりにその責任を問われる人が気の毒です。
 まず、当事者は憲法で認められている「健康で文化的な生活」をする権利や「信教」や「身体」の「自由」を行使したにすぎません。そして、運行の可否の判断の元になる情報を流す側の責任が全く問われないのであれば、そこにも理不尽さを感じざるを得ません。もっとはっきり言えば、祭当事者達が間違った判断をするようにこの国のリーダー達が仕向けたとも言えます。
 ざっくり言うと下のような順序です。

利権などによるPCR検査の拡大ペースの遅れ、マスク不足の対応への遅れとアベノマスクという愚策。

②ニュージーランドだけでなく目の敵にしている韓国にもコロナ対策で遅れをとる

③韓国などへの面子を保つためか、緊急事態宣言の解除を無理に早め、「一月半で収束した」と宣言するも感染再拡大をひきおこす。

④ゴートゥー、オリンピックなどの政策をゴリ押しする。これらは例えば電通などへの利益供与の一面が大きいことが疑われる。

⑤もはや、コロナ収束による支持率回復は絶望的となる。かねてより、自分たちを、支持するテレビによく出るコメンテイター達が唱えていた「コロナ恐るるに足らず論(正しく怖がろう論)」が、メディアで推され始める。コロナは恐るるに足らない、インフルエンザと変わらないという言説を流布させることで、政権の失敗も大したことないと印象づけることができる。

⑦「経済を回しつつ感染を予防する」方針をとりつつも多くの業界では、それぞれの場面に応じた感染対策の教育がなされていない。あるのは、幼稚園児でも言える「三密をさけましょう、手洗いきっちりやりましょう」くらい。

⑧感染対策が不十分なまま、ゴートゥーキャンペーンなどで、元の生活をしていい雰囲気が政府やマスコミぐるみで醸成された。

以上①から⑧のような中、屋台やだんじり関係者が運行の判断を下してしまうのは無理のないことだと言えるでしょう。必要以上に咎めることに意味はありません。
 結局はできることをしなかった我が国のリーダー達に私財を投げ打ってでも補償していただく、中国の政府高官たちにも私財を投げ打っていただくというのが、筋といえます。