月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

352.宮沢賢治は「鹿踊りの始まり」をどう伝えたか(月刊「祭御宅」2021.5月21号)

2021-05-29 21:05:38 | 民俗・信仰・文化-宮沢賢治-

●鹿(しし)踊り

 宮沢賢治が生まれた岩手県花巻市や周辺の地域では、鹿踊りと呼ばれる鹿の面をかぶった踊り手が、5,8などの決まった人数で踊る芸能があります。仙台藩主が治めたことがきっかけとなって、愛媛県宇和島市でも同系統の踊りが伝わっています。大塚民俗学会『日本民俗事典』(弘文堂)1972では、2人で1頭を表現する獅子舞に対して、1人で太鼓あるいは羯鼓を下げて踊るとしていますが、下の映像では幕踊り系という太鼓をぶら下げないものもあるそうです。そして、太鼓踊り系が伊達藩、幕踊り系が南部藩に分布しているとのことです。

国立民族学博物館の鹿踊りの衣装。松梅梅の頭飾りがついていいます。

 下の映像を制作した地域文化資産チャンネルによると、江刺市の行山流久田鹿踊りは、慶長年間の仙台城下の八幡堂から伝授されたものであると巻物に残っているとのことです(8分10秒あたり)。一方遠野市の鹿踊りは京都から伝わった踊りに農民たちの豊年踊りに神楽が伝わったものであるとのことです(11分10秒あたり)。他にも山伏の影響や、鹿を神聖視した古代の信仰の影響などをのべています。

【本編】江刺の鹿踊 岩手県江刺市 鹿踊の記録 - YouTube

 そして、花巻市出身の宮沢賢治氏も鹿踊りを題材とした童話を発表しています。その名も「鹿踊りのはじまり」。宮沢賢治説の鹿踊りの起源はどのようなものだったのでしょうか。

●鹿が興味を示すのは栃だんご? それとも?

ーーーーおおよそのあらすじーーーーーー

 栗の木から落ちて足を悪くした嘉十は、西の山の湯の沸くところで治そうと出かけました。
 そして、十本ばかりのはんのきの木立の芝草の上で栃だんごと栗だんごを食べて休憩します。
 嘉十は、栃だんごを一つだけ残して再びでかけますが、手ぬぐいをわすれたことに気づきます。

 嘉十がもどってきた時、五六頭の鹿が嘉十の忘れ物を取り囲んでいます。ああ、団子をねらっているんだと思う嘉十ですが、鹿たちが興味を示すのは手ぬぐい。何か恐ろしい生きものかと思いながら、おそるおそる近づいては離れを繰り返す鹿。やがて、恐るるに足らずと分かった鹿は、一頭の鹿が円の中心で歌い、その周りを鹿達がかこんで周りの廻りながら踊ります。踊りながらつついたりするしか。つついたりする鹿。

 今度はだんごを一頭一口ずつ食べて食べてしまいます。そして再び踊ります。
 それを見て楽しくなった嘉十は声をあげてしまいます。おどろいた鹿はにげてしまいました。
ーーーーここまでーーーーーー

●宮沢賢治氏の童話の鹿踊りはどの系統?
 少々無茶ですが、宮沢賢治氏の童話の鹿踊りはどの系統につらなるのかを考えてみます。
 といっても単純です。まず、太鼓はありません。そして、手ぬぐいという布をあつかっています。そして、宮沢賢治の地元が花巻であり、南部藩に属するということで、幕踊り系の鹿踊りのはじまりということになるとこじつけられそうです。

●「鹿踊りのはじまり」は誰が教えてくれたお話か?

 この「鹿踊りのはじまり」の冒頭には、こういう風に書いてあります。

「そのとき西のぎらぎらのちぢれたのあいだから、夕陽くななめに野原ぎ、すすきはみんなのようにゆれてりました。わたくしがれてそこにりますと、ざあざあいていたが、だんだんのことばにきこえ、やがてそれは、いま北上や、野原はれていた鹿踊りの、ほんとうの精神りました。」

 そして、上でのべたおおよそのあらすじの話が語られます。文脈からすれば、「嘉十」と「わたくし」は別人となります。そして、最後はこうなります。

「それから、そうそう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです。」

 本編の話を風とか身の周りの人ならぬ物が教えてくれるという物語形式は、アンデルセン童話によくみられるもので、宮沢賢治氏もその手法を用いているそうです(文学者のどなたかが言っていましたが、名前や著作は忘れました。)。
 ということで、宮沢賢治氏が語った「鹿踊りのはじまり」は、アンデルセン童話風にすきとおった秋の風から聞いた、幕踊り系の「鹿踊りのはじまり」ということになります。

参考文献、引用文献

宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」1921『注文の多い料理店』(新潮文庫)1990現代仮名遣いで初収。

「鹿踊りのはじまり」青空文庫

編集後記
 ないないと思ってた管理人の論文(妄想文)が掲載された『注文の多い土佐料理店11』(高知大学宮沢賢治研究会)2006が、やっと見つかりました。管理人の論文(妄想文)を管理人の名前なしで論文に引用された方がいらっしゃったのは一年ほど前におつたえしました。その方の著作を掲載した学会では残念ながらその事実を認定してくださいませんでした。念のための証拠をとりあえず手元においておくことができたのでほっとしています。



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