今日も保津川では、運行開始に向けての復旧作業が続いております。
台風による大水の被害は予想以上に厳しく、苦戦を強いられている状況ですが、
1日も早く川下りが再開できるよう頑張っておりますので、今しばらくお待ち願います。
今日は気分を変えて、昨日京都で催された時代祭の話をしたいと思います。
秋の都大路を彩る一大時代絵巻・時代祭は春の葵祭、夏の祇園祭とならび
京都の三大祭のひとつに数えらていることは皆さんよくご存知の事と思います。
生粋の京都生まれ、京都育ちの私はっちんは、この時代祭が一番のお気に入りです。
時代祭開催の中心となる京都・平安神宮にとって京都市民はすべて氏子という形を
昔からとっており、大方の市民に古くから親しまれております。
京都市では各地区別に平安講社という講が置かれており、
時代祭の幹事や役割分担を地区ごとに担当し、祭に参加するのが慣わしとなっております。
その点では、ある限られた地域の方が作られている他の二つの祭に比べて、
京都市民みんなの力を合わせって作っていく時代祭の方が思い入れがあるのです。
はっちんの父上も京都北区・衣笠学区の平安講社の役員を長年務め、
時代祭にはかみしもの衣装を着け行列に参加してましたし、
身内の住む朱雀第二学区では小中学生が、明治維新で活躍した勤王山国隊として
笛を吹いて先頭を行進していたのを羨ましく見ていた記憶があります。
幼い頃から必ず見に入っていた時代祭でしたが、この時期が一番忙しい
京都の観光業に従事してからは行く機会がなくなり少し残念です。
でも、思い入れ深い時代祭のお陰で、毎年翌日にはたくさんのお客さんが
保津川にも足を延ばして頂き、私の生活によい関わりをしてくれていることを
思うと感慨深いことです。
今年はこのような状態で運行できませんでしたが、来年は京都の時代祭とともに
保津川下りも多勢の人々に楽しんで頂けるようになればと思っています。
ここで時代祭の歴史を紹介したいと思います。
時代祭は平安遷都1100年を記念して、明治28年(1895)平安神宮が創建された際、
その記念のお祝いに市民有志の手で企画された祭でした。
祭礼日の10月22日は、延歴13年(794)、桓武天皇が長岡京から平安京へ都を移した
日で、京都の誕生日にあたります。
関東大震災や第2次世界大戦のために7年間、お祭りができなかったこともありましたが、
それら苦難の歴史を乗り越え、今年で100回目の記念すべき祭となりました。
行列の人数は、約2000人、牛が2頭、馬が約70頭も加わります。
その先頭から最後尾までの長さは2kmにわたり、京都御所を12時に出発し
2時間30分かけてパレードし平安神宮に到着します。
行列は明治維新の新しい時代から平安朝の古い時代へと
古都の歴史を遡り行進され、歴史上の人物が登場することが最大の魅力です。
武士姿の鎧や兜は忠実にその時代の者を再現してあり
総重量は80㎏にもなる衣装もあるので結構重労働です。
衣装や調度品、祭具は1万2000点にも及び京都の工匠や染色職人が研究を重ね
帯1本から糸に至るまで各時代の素材を使い、現在に蘇らせているのですよ!
この祭にかける京都の町衆の強い思い入れを感じずには入られない、
逸れが時代祭なのです。
台風による大水の被害は予想以上に厳しく、苦戦を強いられている状況ですが、
1日も早く川下りが再開できるよう頑張っておりますので、今しばらくお待ち願います。
今日は気分を変えて、昨日京都で催された時代祭の話をしたいと思います。
秋の都大路を彩る一大時代絵巻・時代祭は春の葵祭、夏の祇園祭とならび
京都の三大祭のひとつに数えらていることは皆さんよくご存知の事と思います。
生粋の京都生まれ、京都育ちの私はっちんは、この時代祭が一番のお気に入りです。
時代祭開催の中心となる京都・平安神宮にとって京都市民はすべて氏子という形を
昔からとっており、大方の市民に古くから親しまれております。
京都市では各地区別に平安講社という講が置かれており、
時代祭の幹事や役割分担を地区ごとに担当し、祭に参加するのが慣わしとなっております。
その点では、ある限られた地域の方が作られている他の二つの祭に比べて、
京都市民みんなの力を合わせって作っていく時代祭の方が思い入れがあるのです。
はっちんの父上も京都北区・衣笠学区の平安講社の役員を長年務め、
時代祭にはかみしもの衣装を着け行列に参加してましたし、
身内の住む朱雀第二学区では小中学生が、明治維新で活躍した勤王山国隊として
笛を吹いて先頭を行進していたのを羨ましく見ていた記憶があります。
幼い頃から必ず見に入っていた時代祭でしたが、この時期が一番忙しい
京都の観光業に従事してからは行く機会がなくなり少し残念です。
でも、思い入れ深い時代祭のお陰で、毎年翌日にはたくさんのお客さんが
保津川にも足を延ばして頂き、私の生活によい関わりをしてくれていることを
思うと感慨深いことです。
今年はこのような状態で運行できませんでしたが、来年は京都の時代祭とともに
保津川下りも多勢の人々に楽しんで頂けるようになればと思っています。
ここで時代祭の歴史を紹介したいと思います。
時代祭は平安遷都1100年を記念して、明治28年(1895)平安神宮が創建された際、
その記念のお祝いに市民有志の手で企画された祭でした。
祭礼日の10月22日は、延歴13年(794)、桓武天皇が長岡京から平安京へ都を移した
日で、京都の誕生日にあたります。
関東大震災や第2次世界大戦のために7年間、お祭りができなかったこともありましたが、
それら苦難の歴史を乗り越え、今年で100回目の記念すべき祭となりました。
行列の人数は、約2000人、牛が2頭、馬が約70頭も加わります。
その先頭から最後尾までの長さは2kmにわたり、京都御所を12時に出発し
2時間30分かけてパレードし平安神宮に到着します。
行列は明治維新の新しい時代から平安朝の古い時代へと
古都の歴史を遡り行進され、歴史上の人物が登場することが最大の魅力です。
武士姿の鎧や兜は忠実にその時代の者を再現してあり
総重量は80㎏にもなる衣装もあるので結構重労働です。
衣装や調度品、祭具は1万2000点にも及び京都の工匠や染色職人が研究を重ね
帯1本から糸に至るまで各時代の素材を使い、現在に蘇らせているのですよ!
この祭にかける京都の町衆の強い思い入れを感じずには入られない、
逸れが時代祭なのです。