保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

保津峡の散りゆく桜を眺めながら・・・

2007-04-23 01:34:35 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先週まで咲き誇っていた保津峡の桜もいよいよ、
その散る時を迎え、緑色した葉桜にその姿を変える。

桜ほど私の心を揺さぶる花も珍しい。
可憐にして優美、咲き誇る時の逞しさと散る時の儚さ、
その存在自体が自らの人生をも感じさせる不思議な花だ。

深い渓谷の山々の中で圧倒的な存在感を主張していた
保津峡の桜。
訪れる人全ての視線を浴び魅了していたこの桜の花が、
時折強く吹く風に煽られ、散り舞っていく様には
言い知れぬいのちの無常さを感じずにはいられない。

形あるものは必ず滅するのが自然の摂理。
この世に生を受けた全てのものが、
あがなうことの出来ない絶対的な運命だ。

それはまた自然の一部である自分自身も例外ではないことを知る。

今、散りゆく桜の花びらの様に、我が肉体にも
必ず終焉は訪れ潰えていく。
華やかに咲き誇り、そして散りゆく花のいのちの
サイクルの中に、時間の流れにともなう変化の無常さと
畏怖の念を実感する。

自然の中で仕事をすることで培われた感受性とでも
いうのだろうか?理屈ではなくそう感じるのだ。
そしてその無常と畏怖の儚さの中に言い知れぬ
‘いのち’へのいとおしさも感じることができる。

花も人も限りある時間のなかで生きている。
限りあるからこそ、一瞬一瞬を精一杯生き‘いのち’の光
を輝かそうとする。花が優美に咲き誇るように。
今、この時を生きている、実感を味わいたい。
そしてその命の輝きは静かにその光輝きを落としていき、
新たな‘生’のために散りゆく。

そしてまた、春が来ると新たないのちが再生する。
そこには死への絶望感はなく、非連続に連続する
‘いのち’の真実がある。

万物は生滅変換するという無常感の中に‘いのち’
真実を悟り、いとおしさを実感できるれる環境に
いることに幸せを感じずにはいられない。