今月23日、私はっちんが所属する保津川遊船第三支部
恒例の行事である「愛宕講」が執り行われました。
愛宕講とは火伏せの神様の「迦具突智神(かぐっちのかみ)」
に、家内安全、無行息災、五穀豊穣を祈った集落信仰者
の集まりとして始まったものです。
保津川の船頭が「愛宕講」を開くようになったのは
船下りが始まった江戸初期頃からだそうです。
多くの船頭達が住む保津村の宗教行事「愛宕講」
を船頭だけで開いていたのが始まりで、保津の支部という
歴史を持つ第3支部の伝統行事として継承しています。
20年以前までは、前夜から若い船頭衆が餅を突き、
役員が朝から山頂の「愛宕神社」まで登ってご祈祷を
受け下山した後、参加者全員に餅を振る舞い、直会を
開くという、かなり大きな行事だったのです。
平成5年から山裾の「千歳・愛宕神社」に支部員全員で
参拝するかたちに変更し今に残っています。
今年、第三支部・支部長は私はっちん。
「愛宕講」の一日は、まず今年度の役員全員で
保津川下浜におられる「水神様」へ参拝に
行くのが昔から3支部の慣わしです。

「水神様」は、保津の川舟港だった下浜を見下ろせる
山道(登り道)沿いに鎮座されている保津川の守り神さま。
昔から保津の船頭は、舟仕事の行き帰りに必ずこの「水神様」
の小さな祠に手を合わして、安全航行を祈ったと云われています。
3支部では毎年、役員が代表して榊と清酒を祀り、
今年一年の安全祈願をすることになっているのです。
その後、愛宕山山裾の亀岡千歳にある亀岡「愛宕神社」
に向かい、支部参拝の準備にかかります。
午前11時になると3支部所属の船頭たちが
続々と集まってきます。
今年からなぜか?支部長が代表して拝殿に上がり、
神主さんの御祈祷を賜ることになりました。

祝詞を挙げられている間は‘拝’をしなくてはいけません。
その後、お払いをお受けし、玉串奉納へ。
すべて、神様と差し向いでの神事。少し緊張のはっちんです。

約15分ほどの神事をなんとか滞りなく済ますことができ
支部長の初仕事も無事に終えることができました。
愛宕の神様、今年一年、安全運航でよろしくお願いします。
「千歳・愛宕神社」の歴史は継体天皇元年が創祀した
507年といわれ、その後京都市の鷹峯へ分霊された後、
光仁天皇の頃(780年頃)愛宕山頂の社殿を造営して
分社を鷹峯から遷したものが現在の嵯峨嵐山の山頂の
愛宕神社ともいわれ、この神社を「元愛宕」という
説もあります。

現在の神殿は鎌倉時代に建立されたもので、
一間社流造りの神殿は国の重要文化財に
指定されています。

境内には幹周り5mもある巨大な千年杉がそびえ、地元亀岡では
ムササビが生息する‘天狗の社’とも呼ばれています。
恒例の行事である「愛宕講」が執り行われました。
愛宕講とは火伏せの神様の「迦具突智神(かぐっちのかみ)」
に、家内安全、無行息災、五穀豊穣を祈った集落信仰者
の集まりとして始まったものです。
保津川の船頭が「愛宕講」を開くようになったのは
船下りが始まった江戸初期頃からだそうです。
多くの船頭達が住む保津村の宗教行事「愛宕講」
を船頭だけで開いていたのが始まりで、保津の支部という
歴史を持つ第3支部の伝統行事として継承しています。
20年以前までは、前夜から若い船頭衆が餅を突き、
役員が朝から山頂の「愛宕神社」まで登ってご祈祷を
受け下山した後、参加者全員に餅を振る舞い、直会を
開くという、かなり大きな行事だったのです。
平成5年から山裾の「千歳・愛宕神社」に支部員全員で
参拝するかたちに変更し今に残っています。
今年、第三支部・支部長は私はっちん。
「愛宕講」の一日は、まず今年度の役員全員で
保津川下浜におられる「水神様」へ参拝に
行くのが昔から3支部の慣わしです。

「水神様」は、保津の川舟港だった下浜を見下ろせる
山道(登り道)沿いに鎮座されている保津川の守り神さま。
昔から保津の船頭は、舟仕事の行き帰りに必ずこの「水神様」
の小さな祠に手を合わして、安全航行を祈ったと云われています。
3支部では毎年、役員が代表して榊と清酒を祀り、
今年一年の安全祈願をすることになっているのです。
その後、愛宕山山裾の亀岡千歳にある亀岡「愛宕神社」
に向かい、支部参拝の準備にかかります。
午前11時になると3支部所属の船頭たちが
続々と集まってきます。
今年からなぜか?支部長が代表して拝殿に上がり、
神主さんの御祈祷を賜ることになりました。

祝詞を挙げられている間は‘拝’をしなくてはいけません。
その後、お払いをお受けし、玉串奉納へ。
すべて、神様と差し向いでの神事。少し緊張のはっちんです。

約15分ほどの神事をなんとか滞りなく済ますことができ
支部長の初仕事も無事に終えることができました。
愛宕の神様、今年一年、安全運航でよろしくお願いします。
「千歳・愛宕神社」の歴史は継体天皇元年が創祀した
507年といわれ、その後京都市の鷹峯へ分霊された後、
光仁天皇の頃(780年頃)愛宕山頂の社殿を造営して
分社を鷹峯から遷したものが現在の嵯峨嵐山の山頂の
愛宕神社ともいわれ、この神社を「元愛宕」という
説もあります。

現在の神殿は鎌倉時代に建立されたもので、
一間社流造りの神殿は国の重要文化財に
指定されています。

境内には幹周り5mもある巨大な千年杉がそびえ、地元亀岡では
ムササビが生息する‘天狗の社’とも呼ばれています。