一睡もせず、船の守りを行なった日は川が
増水して運航できない状態になっていました。
対岸の河原から遊船の乗船場を見ると、船着場は
完全に川に沈み、堤防の階段にまで水が
上がってきていました。
朝に‘アカガイ’を終えた我々3支部でしたが、
ほっとしたのもつかの間、遊船事務所から
「ダム放水」の情報が伝えられました。
なんと、上流にある関西地域有数の規模を誇る
日吉ダムが、今の放水量から約20トン増やし
放水するという情報だったのです。
この状態から20トンも放水を増やされれば、
‘湾’決壊も起こりうる可能性があります。
再び支部長である私が河原に待機し、水位の
状態を監視しなくてなりません。
湾の傍に車を停め、一日、見張り番です。
昨夜一睡もしていないので、昼には睡魔と闘い
ながらの監視作業。
午後2時ごろ、当然「ウ~ウ~」というサイレンが
河原一帯に鳴り響きました。
このサイレンは「河川が増水します。注意して下さい!」
ということを伝えるものです。
サイレンの音に眠気も吹っ飛び、私にも緊張が走りました。
「今から増えるとなると、湾決壊もありうる・・・」
そうなれば、すぐに遊船事務所に伝えクレーン車
と移動の為のトラックの手配をお願いし、支部員全員を
召集の上、船を移動する段取りを迅速に始めなくてはなりません。
水位は徐々に上昇してきました。
湾の堤防決壊まであと20cm位か?
緊張しながら待つこと30分・・・
しかし、どうしたことか?それ以上上がる気配はありません。
結局、水位はそこで止まり、安定してきました。
しばらくすると、遊船事務所から電話が入り、
「どうやら放水の峠は越えたようや~」という
ダムからの情報が伝えられました。
ぎりぎりのところで、危機的状況は回避された様です。
気がつけば、今朝の2時から約15時ほど、河原に
待機していたことになります。
先輩たちから「支部長になった船守りが大変だ」
とよく聞かされていましたが、今回のことで
「本当だな」と実感しました。
まあ~「夜中の船上げ」に至らなかったことは
幸いでしたが、今年一年何があるかわかりません。
しっかり気を引き締めていきたいと思います。
増水して運航できない状態になっていました。
対岸の河原から遊船の乗船場を見ると、船着場は
完全に川に沈み、堤防の階段にまで水が
上がってきていました。
朝に‘アカガイ’を終えた我々3支部でしたが、
ほっとしたのもつかの間、遊船事務所から
「ダム放水」の情報が伝えられました。
なんと、上流にある関西地域有数の規模を誇る
日吉ダムが、今の放水量から約20トン増やし
放水するという情報だったのです。
この状態から20トンも放水を増やされれば、
‘湾’決壊も起こりうる可能性があります。
再び支部長である私が河原に待機し、水位の
状態を監視しなくてなりません。
湾の傍に車を停め、一日、見張り番です。
昨夜一睡もしていないので、昼には睡魔と闘い
ながらの監視作業。
午後2時ごろ、当然「ウ~ウ~」というサイレンが
河原一帯に鳴り響きました。
このサイレンは「河川が増水します。注意して下さい!」
ということを伝えるものです。
サイレンの音に眠気も吹っ飛び、私にも緊張が走りました。
「今から増えるとなると、湾決壊もありうる・・・」
そうなれば、すぐに遊船事務所に伝えクレーン車
と移動の為のトラックの手配をお願いし、支部員全員を
召集の上、船を移動する段取りを迅速に始めなくてはなりません。
水位は徐々に上昇してきました。
湾の堤防決壊まであと20cm位か?
緊張しながら待つこと30分・・・
しかし、どうしたことか?それ以上上がる気配はありません。
結局、水位はそこで止まり、安定してきました。
しばらくすると、遊船事務所から電話が入り、
「どうやら放水の峠は越えたようや~」という
ダムからの情報が伝えられました。
ぎりぎりのところで、危機的状況は回避された様です。
気がつけば、今朝の2時から約15時ほど、河原に
待機していたことになります。
先輩たちから「支部長になった船守りが大変だ」
とよく聞かされていましたが、今回のことで
「本当だな」と実感しました。
まあ~「夜中の船上げ」に至らなかったことは
幸いでしたが、今年一年何があるかわかりません。
しっかり気を引き締めていきたいと思います。