保津川下りの船頭さん

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今、教育者に求められる新島襄の精神。

2011-07-25 13:59:26 | 船頭の目・・・雑感・雑記
京都にある同志社大学の創設者・新島襄先生のことばに

‘人間の偉大さは、その人の学問にあるのではなく
 
 自分自身にとらわれないことにあります。

 自己を忘れ 真理という大目的のために 進んで身を捧げ

 しかも謙虚であること 

 私はそれを人間の偉大さ 真の自由だと呼ぶのです ’

読めば読むほど、心に深くせまってくる言葉です。

そして自分自身の心に問いかけてみる・・・

至らない所だらけの自分の姿が見えてきます。

この言葉が口だけでないことは、明治13(1880)年に起こった
学級統合制に端を発した学生のボイコット事件の時の先生の
とった態度に表れています。

朝礼に全校生徒と教師全員を集めた,先生は、こう話した。

「このたびの事件は、教師の罪でも、生徒諸君の罪でもありません。
 すべて私の不徳から生じたものです。しかし校則は厳としたものです。
 されば校長である私はその罪人を罰します」と述べて、
 自身が右手に持っていたステッキで,自らの左手を打ち据えたのです


咄嗟のことで、思いもしない出来事に、誰もが呆然として見ていると、
唸り声を上げて左手に何度も繰り返し振り落とされるステッキは、
真っ二つに折れてしまうのです。

それでも新島先生は、短くなったステッキで、なおも左手を打ち続けます。
ボイコット事件を起した生徒たちは、頬が引きつり青ざめてうなだれていきます。
そして嗚咽する声も・・・

見かねた生徒の一人が壇上に駆け上がり、先生が降りあげたステッキを
持つ右手を必死で抑えます。
そして
「校長、もうやめてください」。でも言葉はでない。
ただ、涙を流しながら、首を横に振り続ける。

その生徒は事件の首謀格の生徒でした。

折れたステッキを持つ手を押さえられたまま、先生は生徒たちに
「諸君、同志社がいかに校則を重んずるところかわかったでしょう?」
とステッキを投げ捨てて降壇しました。

これが有名な、新島の自責事件です。


教育にかかわる者は、今一度、新島先生のこの言葉と行為、
そして「人を育てる」という真剣な熱情に学ぶ必要があると思います。

すぐ、社会環境が悪いとか、生徒の親がわかっていないとか、
子どもの質が悪いなどと、すぐ分析という名の、他者への責任転化へ
意識が向かいがちですが、自分自身が「教育者」の責任として
どうなのか?自身を謙虚に見つめ直す必要があると思います。

私も空手道場という「人を育てる」活動をしている者の端くれとして、
誰かのことではなく、自分自身のこととして、子どもたちに
接していかねばならないと強く反省させられた次第です。

近代日本の礎を作り出した先人には、本当に学ぶところが多いと感じます。