保津川下りの魅力といえば自然、技術、歴史が三大要素だと思っています。
「自然」についてはあらためて申しあげるまでもなく
雄大な保津峡の風景、岩を噛み、水しぶきを上げてうねる保津川の流れ。
春は桜など花盛りの爽快感、夏は水しぶきもうれしい清涼感、
秋は優美な錦絵の情緒感、冬は凛とした静寂感が漂います。
四季折々の移ろいの中を颯爽と流れ下る舟の旅が保津川下りの醍醐味でもあります。
そして二つ目の「技術」
405年前から変わらぬ船頭の操船技術は、長い時間を中で洗礼され編み出された
最高の操船術です。先人の技を今に残し、そして未来永劫、継承されていく姿に
伝統の重みを感じさせてくれます。
続いて歴史・・・丹波地域の農産物や薪や炭などの物資を京の都へと繰り届ける
水運産業として始まった保津川の舟運。
江戸時代初期の慶長11年(西暦1606)当時、嵯峨に居を構えていた豪商・角倉了以
の保津川水運計画によって開かれた運搬船です。
当時、離れた地域間で、大量の物資を可能にし、しかも速く安全に運べる
輸送手段の確立。現代でいえばハイウェイー・高速道路が整備されたことにも
等しい事業でした。
5年後の慶長16年、鴨川の水を引き込み、京都の洛中に人工の運河である高瀬川を
開削した了以は、保津川からは生活必需品など物資を、京都から伏見湾を高瀬川で
結び、宇治川から淀川を経由して天下の台所・大阪までの運ぶ物流の大動脈を
完成するに至ったのです。
この舟運ルートの確保により、丹波経済圏、京都経済圏、大阪経済圏の三大経済圏を
結ぶ物資流通ルートが確保されました。、今で考えると最大の国家プロジェクトの
完成というこれまた壮大なお話なおです。
この自然、技術、歴史という3大観光要素を有した保津川下りは
今では年間平均約30万人が訪れる京都の有名観光スポットに
成長したわけです。
明日は、この要素を踏まえ、いつも私が現場で感じることを書いてみたいと思います。
つづく。
「自然」についてはあらためて申しあげるまでもなく
雄大な保津峡の風景、岩を噛み、水しぶきを上げてうねる保津川の流れ。
春は桜など花盛りの爽快感、夏は水しぶきもうれしい清涼感、
秋は優美な錦絵の情緒感、冬は凛とした静寂感が漂います。
四季折々の移ろいの中を颯爽と流れ下る舟の旅が保津川下りの醍醐味でもあります。
そして二つ目の「技術」
405年前から変わらぬ船頭の操船技術は、長い時間を中で洗礼され編み出された
最高の操船術です。先人の技を今に残し、そして未来永劫、継承されていく姿に
伝統の重みを感じさせてくれます。
続いて歴史・・・丹波地域の農産物や薪や炭などの物資を京の都へと繰り届ける
水運産業として始まった保津川の舟運。
江戸時代初期の慶長11年(西暦1606)当時、嵯峨に居を構えていた豪商・角倉了以
の保津川水運計画によって開かれた運搬船です。
当時、離れた地域間で、大量の物資を可能にし、しかも速く安全に運べる
輸送手段の確立。現代でいえばハイウェイー・高速道路が整備されたことにも
等しい事業でした。
5年後の慶長16年、鴨川の水を引き込み、京都の洛中に人工の運河である高瀬川を
開削した了以は、保津川からは生活必需品など物資を、京都から伏見湾を高瀬川で
結び、宇治川から淀川を経由して天下の台所・大阪までの運ぶ物流の大動脈を
完成するに至ったのです。
この舟運ルートの確保により、丹波経済圏、京都経済圏、大阪経済圏の三大経済圏を
結ぶ物資流通ルートが確保されました。、今で考えると最大の国家プロジェクトの
完成というこれまた壮大なお話なおです。
この自然、技術、歴史という3大観光要素を有した保津川下りは
今では年間平均約30万人が訪れる京都の有名観光スポットに
成長したわけです。
明日は、この要素を踏まえ、いつも私が現場で感じることを書いてみたいと思います。
つづく。