ふるさと・嵯峨の地を開拓した古代の豪族・秦氏。
その秦氏に幼き頃よりリスペクトしていた了以は
「自分も秦氏のように、この川の流れを制して、世の発展に尽くしたい。」
という夢を持っていた。
医家の名門である吉田家の二男に生まれながらも、
生来、自然の野山を駆けることの方が好きだった了以は、父宗桂のような医学や学問よりも、
もう一つの家業であった土倉(金融業)や酒屋など商いに興味を持っていた。
また、家に集う公家や学者などの来客の話や格式やしきたりを
重んじる家風にも関心がなかった。
その点、吉田宗家の従兄・栄可の家は土倉に比重を置いた家柄だったので、馴染みやすく
子供の頃より、栄可の家に遊びに行くことが多かった。
「栄可兄の家には、うちのような陰気さや堅苦しさもない。大きな声が飛びかう賑やかさや
活気、これこそ、わしの性に合う。商いの醍醐味は学問では味わえない。」
父・宗桂も「この子は医師に治まるような気性ではない。商いに精進させよう」
と思っていたので栄可に家に通うことに対してのお咎めはなかった。
それに医師の宗桂に商いのノウハウを伝えるほどの経験もなかった。
「甥っ子栄可は兄・与左衛門亡き後、若くして家督を継いで、我が父の宗忠が広げた商いを
さらに発展させるほどの商売上手だ。やんちゃな了以を育てられるのは栄可しかいない」
という確信も持っていたのだ。
了以と栄可の祖父・宗忠は、近江の国より嵯峨の地へ本拠を移した
吉田家の中興の祖ともいえる人物で、医家の名門だった吉田家に土倉や酒屋という
商家の道を開き、巨大な富を築き、一族を支える大黒柱的な
存在だった。栄可の父・与左衛門は宗忠より早く亡くなっており、
栄可が祖母宗忠の死により事業を引き継いだのは僅か12歳の時だった。
祖父の後ろ立てがあり、やってこれた商売である。
その大きな支えが無くなったことは、一族の動揺を招きかねない。
「若い栄可にこの大所帯を切り盛りできるだろうか?宗忠は手広く商売を広げている。
とても12歳の子供がまかなえるものではない。」などの不安や心配の声が多く聞かれた。
この一族に流れる雰囲気は、幼い頃の了以にも敏感に察することができるほどだった。
このような一族の心配をよそに、栄可はメキメキと商売の才覚を見せ、
祖父譲りの頭角を表していったのだ。
「栄可の兄は凄いな~私も彼のようにバリバリと商いがしたい!」
と強く刺激を受けるのであった。
栄可も年が15歳も離れる従弟の了以に目を掛けていた。
「こいつにはわしに通ずる祖父宗忠の血を受け継いでいる。
可愛げはないが外交的な性格、未開の自然や野山を駆け巡る好奇心、
野放図なようで物事へ熱中し、予想外の発想をする。そして、医家特有の数字への強さ。
どれを取っても商人向きだ。末が楽しみな若者よ」と
巨商の目はその才覚を見抜いていたのだ。
栄可は自らの娘を了以へ嫁がすことにした。
これには自分の商いの片腕として了以を欲したことが動機だといえる。
いずれ土倉に専念させる気だった父宗桂からの反対はなかった。
なにより、幼馴染の了以もと栄可の娘からの異存はなかった。
了以17歳。本格的な商いの道の入口に立つ。
その秦氏に幼き頃よりリスペクトしていた了以は
「自分も秦氏のように、この川の流れを制して、世の発展に尽くしたい。」
という夢を持っていた。
医家の名門である吉田家の二男に生まれながらも、
生来、自然の野山を駆けることの方が好きだった了以は、父宗桂のような医学や学問よりも、
もう一つの家業であった土倉(金融業)や酒屋など商いに興味を持っていた。
また、家に集う公家や学者などの来客の話や格式やしきたりを
重んじる家風にも関心がなかった。
その点、吉田宗家の従兄・栄可の家は土倉に比重を置いた家柄だったので、馴染みやすく
子供の頃より、栄可の家に遊びに行くことが多かった。
「栄可兄の家には、うちのような陰気さや堅苦しさもない。大きな声が飛びかう賑やかさや
活気、これこそ、わしの性に合う。商いの醍醐味は学問では味わえない。」
父・宗桂も「この子は医師に治まるような気性ではない。商いに精進させよう」
と思っていたので栄可に家に通うことに対してのお咎めはなかった。
それに医師の宗桂に商いのノウハウを伝えるほどの経験もなかった。
「甥っ子栄可は兄・与左衛門亡き後、若くして家督を継いで、我が父の宗忠が広げた商いを
さらに発展させるほどの商売上手だ。やんちゃな了以を育てられるのは栄可しかいない」
という確信も持っていたのだ。
了以と栄可の祖父・宗忠は、近江の国より嵯峨の地へ本拠を移した
吉田家の中興の祖ともいえる人物で、医家の名門だった吉田家に土倉や酒屋という
商家の道を開き、巨大な富を築き、一族を支える大黒柱的な
存在だった。栄可の父・与左衛門は宗忠より早く亡くなっており、
栄可が祖母宗忠の死により事業を引き継いだのは僅か12歳の時だった。
祖父の後ろ立てがあり、やってこれた商売である。
その大きな支えが無くなったことは、一族の動揺を招きかねない。
「若い栄可にこの大所帯を切り盛りできるだろうか?宗忠は手広く商売を広げている。
とても12歳の子供がまかなえるものではない。」などの不安や心配の声が多く聞かれた。
この一族に流れる雰囲気は、幼い頃の了以にも敏感に察することができるほどだった。
このような一族の心配をよそに、栄可はメキメキと商売の才覚を見せ、
祖父譲りの頭角を表していったのだ。
「栄可の兄は凄いな~私も彼のようにバリバリと商いがしたい!」
と強く刺激を受けるのであった。
栄可も年が15歳も離れる従弟の了以に目を掛けていた。
「こいつにはわしに通ずる祖父宗忠の血を受け継いでいる。
可愛げはないが外交的な性格、未開の自然や野山を駆け巡る好奇心、
野放図なようで物事へ熱中し、予想外の発想をする。そして、医家特有の数字への強さ。
どれを取っても商人向きだ。末が楽しみな若者よ」と
巨商の目はその才覚を見抜いていたのだ。
栄可は自らの娘を了以へ嫁がすことにした。
これには自分の商いの片腕として了以を欲したことが動機だといえる。
いずれ土倉に専念させる気だった父宗桂からの反対はなかった。
なにより、幼馴染の了以もと栄可の娘からの異存はなかった。
了以17歳。本格的な商いの道の入口に立つ。