愛宕とかいて「おたぎ」とよむこのお寺は、奈良時代末期、聖武天皇の娘・称徳天皇が
京都・東山の地に愛宕寺として創建しました。
しかし、平安時代初期に近くを流れる鴨川の洪水ですべてが流失し、
廃寺になっていたものを醍醐天皇の命により
天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興しました。
いつも念仏を唱えていた千観は民衆から「念仏聖人」と呼ばれていたことから「愛宕念仏寺」となりました。
空也上人との邂逅を得て「何ごとも身を捨ててこそ、仏道」との言葉を授かり、
その後、民衆の苦難に対し、身を捨てて救済にあたりました。
お寺は大正時代に嵯峨の地に移築されました。
その寺の再興を祈念して「境内を阿羅漢の石像をで満たそうと、
昭和54年から信徒や参拝者からの寄贈により、10年かけて1200体の阿羅漢を集め、
平成3年に「千二百羅漢落慶法要」を厳修しました。
様々な表情をする小さくて可愛い阿羅漢の石仏が「インスタ映え」すると、奥嵯峨人気のお寺となっています。
京都・東山の地に愛宕寺として創建しました。
しかし、平安時代初期に近くを流れる鴨川の洪水ですべてが流失し、
廃寺になっていたものを醍醐天皇の命により
天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興しました。
いつも念仏を唱えていた千観は民衆から「念仏聖人」と呼ばれていたことから「愛宕念仏寺」となりました。
空也上人との邂逅を得て「何ごとも身を捨ててこそ、仏道」との言葉を授かり、
その後、民衆の苦難に対し、身を捨てて救済にあたりました。
お寺は大正時代に嵯峨の地に移築されました。
その寺の再興を祈念して「境内を阿羅漢の石像をで満たそうと、
昭和54年から信徒や参拝者からの寄贈により、10年かけて1200体の阿羅漢を集め、
平成3年に「千二百羅漢落慶法要」を厳修しました。
様々な表情をする小さくて可愛い阿羅漢の石仏が「インスタ映え」すると、奥嵯峨人気のお寺となっています。