保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

シリーズ保津川を下ろう!その5 愛宕山

2004-10-05 20:47:38 | シリーズ・保津川を下ろう!
はっちん達船頭が川下りで最初に説明するスポット、それが峻峰・愛宕山(あたご)です。

乗船場を出発すると、左前方の山々が連なる一番遠くに見える山がそうです。
川下りの船はこの山裾を巻くように下って行き、山裏になる嵐山に着くのです。

昔から「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕山には月参り」と京都のことわざに
歌われている愛宕山は、標高924mで京都市の北西にそびえる市内一の高さを
有する山です。
頂上には愛宕神社があり、古くから京の庶民に信仰厚い山なのです。

京都では鬼門にあたる北東(丑寅)を位置に比叡山に延暦寺、
北西(戌亥)に愛宕山に愛宕神社と、それぞれ対峙させ宗教的意味を持たせていたのです。

愛宕神社は8世紀初頭、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)と白山開祖・
泰澄(たいちょう)法師によって開かれました。
昔から愛宕山には稲妻が走ることから、雷神が住み着いていると信じられ‘火伏せの神
として崇められていました。祭神は母神いざなみを焼き殺した子‘かぐつちのかみ’を祀っています。

愛宕という名前の由来は、母を焼き殺したことから‘あだ(仇)子があたごに
変わって伝わったともいわれています。奈良時代には‘阿多古’と書かれていたとか。


平安時代に流行った疫病や天変地異を克服する為、桓武天皇が愛宕信仰にすがったという記録も残っています。
保元の乱で敗北し憤死した崇徳上皇が愛宕山の大天狗・太郎坊となり、家臣の烏天狗らと計らい
日本国中を戦火に巻き込んだと信じられ、「火伏せ」・火事の災難除けの儀式が行われたです。

中世、山岳仏教の隆盛に伴い、神仏習合の修業場して五つの寺も建立され民間信仰が栄えました。
また、本地仏が‘勝軍地蔵’であることから戦国武将の信仰も厚く、明智光秀が主君信長を打つべく
参籠し「ときはいま、あめがしたしる、さつきかな」と歌ったことはあまりにも有名です。

京都の民家では今でも、我が家の台所に愛宕山の「火の用心」の御札を張っている家は多いのです。
最初のことわざも「一生の内に、お伊勢には七度、熊野には三度、愛宕山には毎月参りたいものだ」
という思いを歌ったもので、どれほど庶民に信仰が厚かったかを物語っています。

今でも近畿一円に愛宕講が残っており、愛宕神社は全国に八八四社もあるそうです。

船頭でも昔から愛宕講を組織しており、今も毎年1月23日に愛宕神社にお参りに行く慣わしとなっています。

この愛宕山、川を下るあいだ、色んな方角からその姿を現しますよ!

京都の人達に古くから親しまれてきた山・愛宕山を見ながら下るのも、
保津川下りの楽しみの一つであることは間違いないと思います。

(*)写真の一番遠くに見える高い山が愛宕山です。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿