保津川下りの最大の醍醐味といえば、有史以来から
形つくられた保津峡の深い渓谷美でしょう。
急で切り立った山肌に、濃い灰色をしたチャートの
層で造形された岩壁、山々を縫い激しく蛇行する
保津の流れは、地球創造の歴史を今に残しています。
現代地学的見解によると、今から約200~500万年前、
近畿地方の広い範囲を沈降させる地殻変動が起り、
たくさんの盆地が形成されたそうです。
その一つが保津川下りの出発点がある亀岡盆地で、
周囲を山々に囲まれていたことから、上流から流れて
来た水を貯めた一大湖となっていたのです。
当時は今の京都盆地も山城湖という湖だったらしく、
水は亀岡の湖から、今の保津川とR9号線の老ノ坂の
2ルートから山城湖に流れ込んでいた事が分かっています。
その当時の保津川の川幅は狭く、
水面の高さは現在流れている位置より
約80メートルも高い所を流れいました。
高く切り立った保津川渓谷の岩盤80メートル上から
太古のプランクトンの化石が多数発見されることが、
この事実を証明しているのです。
また、古くから伝わる「神話」の世界にも保津川渓谷の
興味深いじ記述が紹介されています。
太古の昔、この地方を治めていた出雲の神「オオクニヌシ」は
旧亀岡湖が一望できる山の頂に上がり、神々をお集めになり
「この山々を切り開いて、湖水を山背(京都)へ流し
新しい国・丹波を造ろう」と相談されたとあります。
オオクニヌシといえば、日本建国の元となった「国譲り」
を行った神様として有名ですが、丹波地方では、
今の亀岡周辺が出雲と大和両勢力の接点になった
と見られているのです。
そのオオクニヌシの国造りの一つ、保津峡の
谷間開削を手伝った神さま達を祀る神社は
今でも亀岡に残っております。
この様に、最先端科学の地質学と太古から伝わる神話の
共通点が重なり合うのも保津川渓谷のロマンを感じる
要素だと思います。
地球の生命力と古代の神話のロマンを満喫できる
京都最大の渓谷地・保津峡。
皆さんも是非、体感してみてはいかがでしょうか?
形つくられた保津峡の深い渓谷美でしょう。
急で切り立った山肌に、濃い灰色をしたチャートの
層で造形された岩壁、山々を縫い激しく蛇行する
保津の流れは、地球創造の歴史を今に残しています。
現代地学的見解によると、今から約200~500万年前、
近畿地方の広い範囲を沈降させる地殻変動が起り、
たくさんの盆地が形成されたそうです。
その一つが保津川下りの出発点がある亀岡盆地で、
周囲を山々に囲まれていたことから、上流から流れて
来た水を貯めた一大湖となっていたのです。
当時は今の京都盆地も山城湖という湖だったらしく、
水は亀岡の湖から、今の保津川とR9号線の老ノ坂の
2ルートから山城湖に流れ込んでいた事が分かっています。
その当時の保津川の川幅は狭く、
水面の高さは現在流れている位置より
約80メートルも高い所を流れいました。
高く切り立った保津川渓谷の岩盤80メートル上から
太古のプランクトンの化石が多数発見されることが、
この事実を証明しているのです。
また、古くから伝わる「神話」の世界にも保津川渓谷の
興味深いじ記述が紹介されています。
太古の昔、この地方を治めていた出雲の神「オオクニヌシ」は
旧亀岡湖が一望できる山の頂に上がり、神々をお集めになり
「この山々を切り開いて、湖水を山背(京都)へ流し
新しい国・丹波を造ろう」と相談されたとあります。
オオクニヌシといえば、日本建国の元となった「国譲り」
を行った神様として有名ですが、丹波地方では、
今の亀岡周辺が出雲と大和両勢力の接点になった
と見られているのです。
そのオオクニヌシの国造りの一つ、保津峡の
谷間開削を手伝った神さま達を祀る神社は
今でも亀岡に残っております。
この様に、最先端科学の地質学と太古から伝わる神話の
共通点が重なり合うのも保津川渓谷のロマンを感じる
要素だと思います。
地球の生命力と古代の神話のロマンを満喫できる
京都最大の渓谷地・保津峡。
皆さんも是非、体感してみてはいかがでしょうか?
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