先日、姫路セントラルパークに日帰りバスで行ってきました。年寄り夫婦が童心に戻りました。まず、昼間に一周。殆どの肉食動物は寝ています。特にライオンの爆睡にはみんな大笑いです。ただ、最も印象に残ったのはバク。交尾の最中だった。ものすごく長い性器は五、六十センチあったでしょうか。いや、もっと長いかもしれない。バスの中は一瞬静まりました。牝はじっとしているのですが、非協力的な感じです。のばした性器が届かない。「女の子、やる気ないなあ」と添乗員。「何しとんねん、頑張らんか」と、おばちゃん組。子供もいてんのになあ。せやけど、これも教育か。
夜は、ナイトツアー。動物は夜動きます。象が走る。大迫力です。
動物を見ていると、食べること、排泄すること、眠ること、繁殖することが、最重要課題なのがよく分かります。四つ目を除いて俺と同じ。
動物園も久しぶり。サファリーは初体験でした。あのバク成功…したかなあ。
夜は、ナイトツアー。動物は夜動きます。象が走る。大迫力です。
動物を見ていると、食べること、排泄すること、眠ること、繁殖することが、最重要課題なのがよく分かります。四つ目を除いて俺と同じ。
動物園も久しぶり。サファリーは初体験でした。あのバク成功…したかなあ。
国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)で有名な中宮寺に行ってきました。法隆寺から少し離れて、静かな佇まいの尼寺です。近鉄線の筒井からバスのルートがある。これなら、天理よろず相談病院の診察の後でも立ち寄れる。近鉄筒井からは1時間に2本ある王寺駅(北)行きに乗ります。バス停は駅員さんに聞きました。親切に教えていただきました。15分少しの中宮寺前下車(次のバス停は法隆寺前です)。また、親切なおばさんに聞きました。聞いてばっかり。また、親切に教えていただきました。歩きながら、帰れるかしらと方向音痴は心配です。矢印がいっぱいあるので大丈夫でした。ポイントは聞いた2箇所です。後は阿呆でも行けます。僕が行きました。久しぶりの菩薩半跏像との対面です。ここにおいでです
春初め菩薩を拝む中宮寺
ここで、俳句も勉強してまーす。
万歳。斑鳩制覇。嫁の運転に頼らず、行けるぞ。
待ち望んでいたターナー展(神戸)に行ってきました。やはり期待以上でした。展示を巡るとターナーの変化がよく分かります。「目の前の風景を描くのではなくて、自分の中にある風景を描く。それが私の風景だ」(間違っていたらごめんなさい)という意味のことを言っていたと思います。テーマは一貫して「光」でしょうね。光の追求者とも。
《レグルス》、《湖に沈む夕陽》には息をのみました。書斎(猫の額です)に風景画がないので、ショップで「チャイルド・ハロルドの巡礼」を買いました。
ターナーに漱石偲ぶ春初め
俳句も勉強してまーす。ここ。
東大寺法華堂に行ってきました。一年に一度(12月16日)に開扉される執金剛神像(しゅこんごうしんぞう)を拝観するためです。人が並んでいるのでつい並んでいると、良弁僧正坐像(国宝)と開山堂(国宝)の公開でした。料金を払ってしまったのですが、ここはパス。「法華堂だろうが」と、自分に突っ込みを入れてgo。人は多いが、並ぶことはなくは入れました。『東大寺法華堂(奈良市)の秘仏・執金剛神立像(国宝、奈良時代)の彩色を東京芸大と東京理科大の研究チームがコンピューターグラフィックス(CG)技術で再現し……』と新聞で大きく報じられたのが影響しているのでしょう。こういう私もその一人。いつもは法華堂本尊不空羂索観音立像(ふくうけんさくかんのんりゅうぞう)の背後の厨子内に北面してまつられています。北面を守っているのですね。静脈が浮かび上がっています。凄まじい迫力です。帰りは行列がまだ続いているのを横目で見て、二月堂に上がり、南大門で鹿を撮り、家路につきました。今、iPadの壁紙を極彩色の執金剛神立像にしました。開けると、ドパッと飛び出してきます。「おう、お守りを!」。
長谷川等伯の障壁画を観るためにまた京都を訪ねました。紅葉のシーズンも終わり、冬の京は静かです。目指すは智積院(ちしゃくいん)。智積院には長谷川等伯・久蔵の父子の障壁画が並んでいます。26才で没した久蔵は父以上と言われる才能をその遺作「桜図」に残しています。やがて長谷川派は跡絶え、狩野派が延々と続きます。久蔵の死後に描かれたと言われる等伯の「楓図」。父親の慟哭が聞こえてくるようです。ドーンと感動に震えました。庭園も見事です。帰りに三十三間堂と思っていましたがもうお腹が一杯です。
先週の火曜日はプーシキン美術展(神戸)に行ってきました。奈良の家からかなり遠いのですが、そろそろ終わりとのこと、居ても立っても居られなくて出かけました。方向音痴なので三宮からタクシーで。小型タクシーでワンメーター。この前は千円ちょっとかかったのに。神戸で、タクシー乗るなら「こ・が・た」。
古典主義→印象派→キュービズムの時代の流れがよくわかりました。どの時代もアーティスト達の目指したものは「もっと自由に」だったと思います。ゴーギャンの≪エイアハ・オヒパ(働くなかれ)≫はひたすら空想にふけるタヒチ人の男女を描いています。空想は快楽。水谷豊のナレーションで巡りました。帰りに聖杯の前の聖母の複製を一枚買いました。家に帰り適当な額がないのでステーショナリーに行きましたが、賞状額しかなく、ダメ元で100円ショップに寄ると、A4のフォトフレーム がありました。部屋には「真珠の耳飾りの少女」(フェルメール)を飾っていましたが、入れ替えました。「真珠の耳飾りの少女」はA4のフォトフレームより少し大きいので、慎重に余白部分を切り取りました。名画が二つ。部屋が賑やかになりました。
それと、小さな発見。「真珠の耳飾りの少女」をさわっている内に、少女の顔が、淋しげに見えたのです。唇が少し開いている。どの方向にしても、じっと私を見ている。とても愛おしい気持になりました。「会えてよかった」と思うと、涙腺がゆるみます。年かなあ。
古典主義→印象派→キュービズムの時代の流れがよくわかりました。どの時代もアーティスト達の目指したものは「もっと自由に」だったと思います。ゴーギャンの≪エイアハ・オヒパ(働くなかれ)≫はひたすら空想にふけるタヒチ人の男女を描いています。空想は快楽。水谷豊のナレーションで巡りました。帰りに聖杯の前の聖母の複製を一枚買いました。家に帰り適当な額がないのでステーショナリーに行きましたが、賞状額しかなく、ダメ元で100円ショップに寄ると、A4のフォトフレーム がありました。部屋には「真珠の耳飾りの少女」(フェルメール)を飾っていましたが、入れ替えました。「真珠の耳飾りの少女」はA4のフォトフレームより少し大きいので、慎重に余白部分を切り取りました。名画が二つ。部屋が賑やかになりました。
それと、小さな発見。「真珠の耳飾りの少女」をさわっている内に、少女の顔が、淋しげに見えたのです。唇が少し開いている。どの方向にしても、じっと私を見ている。とても愛おしい気持になりました。「会えてよかった」と思うと、涙腺がゆるみます。年かなあ。
東寺の五重塔が開扉していると聞いて出かけた。「三十三間堂」の帰りにでもよかったのだが、帰宅を急いでいた(何の理由もないけれど)。旅行は帰りが楽しい。ああ、やっと帰れると思う。ずいぶん昔のことだが、素直にそのことを言うと、「あんたとは二度と旅行に行かない」と言われったっけ。東寺には四年以上前に行っている。(もう四年も経つのか……)。立体曼荼羅に会えるのも楽しみだった。また、方向音痴が出た。拝観料を払って歩いて行くと、一般道路に出た。引き返して、寺の人に入場門を聞いた。阿呆ちゃうか。立体曼荼羅は異空間だ。魂が身体から離れて、曼荼羅の空間に遊ぶ。空海の浄土に遊ぶ。死が怖くなくなる。生も死もない世界だ。
五重塔の中は見てはいけない世界かもしれない。塔の中は死の静謐に満たされている。
写真の柳は小野道風のゆかりの柳です。
一コマ小説
○windowsを起動しています。
○大病院の中待合室の壁を透かしてみれば「バカ」と書いてあった。
○一日中 、雨。
○塔の中
五重塔の中は見てはいけない世界かもしれない。塔の中は死の静謐に満たされている。
写真の柳は小野道風のゆかりの柳です。
一コマ小説
○windowsを起動しています。
○大病院の中待合室の壁を透かしてみれば「バカ」と書いてあった。
○一日中 、雨。
○塔の中