六畳一間のアパートに男と住んでいる。男は太郎という平凡極まりない名前をつけられていた。私は朱雀(すざく)。この名前も変だ。
一日。太郎は朝の六時に起きる。小用をして、歯を磨き、顔を洗う。野菜サラダを作り、トースターで濃いめに食パンを焼く。自分の分だけ作る。
「どんな夢を見た」
卓袱台でパンを食べながらいつも同じ事を聞く。
「覚えていない」
私はいつも同じ答を返す。
「僕は、子供の頃の夢を見た」
太郎は夢の中で聞いた童歌を歌ってくれた。
かごめかごめ 籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ?
本当は太郎に抱かれている夢を見た。思い出そうと目を閉じるが、何も見えない。まぶたの闇は夢の闇とは違う。太郎は夢の中にいた。きめ細かい肌。熱く強い性器。激しく打つ鼓動。
太郎は七時に部屋を出て行く。ドアの閉まる音を聞いて私は起きる。トイレにも洗面所にも太郎の名残はない。卓袱台も、キッチンも片付いている。完璧に。誰もいなかったように。
野菜サラダを作り、トースターで濃いめに食パンを焼く。インスタントコーヒーを入れる。食パンにバターを多めに塗る。牛乳をコップ一杯飲む。テレビで「おはよう朝日」を見る。宮根誠司の「行ってらっしゃい」という言葉で、テレビを切る。ぶらりと街に出る。仕事は携帯電話にかかってくる。
「朱雀さんですか」
「はい」
「掲示板を見ました」
男と待ち合わせて、セックスをする。料金をもらう。同じ男とは二度としない。別れ際に「約束を破ったら、怖い人を呼ぶ」と脅す。だから、いつも新しい男が私の前に姿を現す。でも、みんな一緒だ。一日一人。終わったら携帯電話の電源を切る。
一度も電話がかからない日もある。午後三時まで待つ。三時を過ぎると、携帯電話の電源を切って、映画を見る。つまらない映画でもかまわない。闇に身を潜めていると気持ちが落ち着く。
交代で夕食をつくる。つくる気がしない時は、マックを買ってきたり、コンビニ弁当で済ますこともある。でも、当番はきっちりと守る。ご飯がすむと、二人で食器を洗う。当番が洗い、もう一人が拭く。卓袱台を拭き、今日のご褒美に缶ビールを半分っこする。そして、少し話をする。
「今夜はどんな夢を見るか楽しみだ」
と、太郎は言う。太郎は夢のはなしが好きだ。私は殆ど聞き役だ。
「夢は直ぐに忘れるからね。何日もひきずることがない」
私は太郎の年令も、仕事も知らない。一つの部屋に住みながら、セックスもない。雨宿りで一緒になって、太郎が私の影のようについてきた。
「でも、忘れてしまった夢をいつも引きずっているのかも知れないね」
彼は私の目を見る。
「君は夢を見ないのか」
「一度も見たことがない」
私はさらりと言う。
「そう、それは良いことだよ。世界が一つしかない」
私にはいくつもの世界がある。夢で太郎と交わる世界。知らない男と交わる世界。映画館の暗闇。太郎が眠ったあと、ネットで繋がる世界。みんな私の世界だ。いつの間にか、太郎は静かな寝息を立てている。彼は存在するのだろうか。そして、私は、今夜どんな夢を見るのだろう。
2008/07/28(月) 了