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うろ覚えだが村上春樹さんが書いていたと思う。
『100年経ったら今ここにいる人は自分も含めて誰もいない』
これが百年という時間である。
インドのチェンナイでの百年に一度という洪水で噴き出した百年泥。
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泥の中からいろんな
者や
物が現出する。
七年前にいなくなった子供。他人の人生にあった大阪万博の記念コイン。
『個人』という言葉が怪しくなる。
『私』は、『A』さんでも、『B』さんでも『C』さんでも、100年前に死んだ『太郎兵衛』でも、要するに誰だって一向に構わない。
もともと自分というのは、ないのだから。
『これはありえた
人生のひとつにすぎない』
語られない言葉を書く。
それが小説かもしれない。
他にインド人の考え方と風習が面白い。
――「宗教」といえば漠然と、現実を超えた超越的なもの、といったイメージでとらえるがインド人にとってそれは、たとえば<輪廻><来世>といった「宗教的観念」をふくめまさに現世そのもの……――
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そうか、インド人にとって<輪廻>が確信なのか。
そう思うと、釈迦が業を滅し輪廻することのない<涅槃>に至ることを仏教の目的としたことが分かる。
釈迦のような偉い人が<輪廻>なんか信じたんだろうかと常々疑問だった。
インドは<輪廻><来世>が現世な社会なのだろう。
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そういう考え方や風習をもたない日本人は不幸かもしれない。