創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

物語のかけら⑯

2006-07-31 21:17:46 | 創作日記
限りなくモノクロに近い映画のスクリーンの中にいる。夢の闇。そんな感じだった。男がいた。羽根ペンで何か書いていた。黒い服を着て、禿げていた。鷲鼻、青い目。瞬きをする。優を見た。視線が合った。だが、何も起こらなかった。また、ペンを動かし始めた。夢は理不尽な闇の世界だ。優は夢から抜け出そうとする。男が立ち上がった。扉を開けて入ってきたのは、イローナだ。二人の視線が合った。

イローナは図書館の扉を開けた。楽譜を返すためだった。書架の間に男がいた。見たこともない服を着ていた。視線が合った。同時に男の姿は消えた。
「どうしたイローナ?」
「誰かいたわ」
「朝から私だけだよ」
ロレンツォは言った。
「黄色い人が」
イローナの視線を辿って、二人は優のいた場所を見つめた。
「いなくなった」
イローナが言った。
「東方見聞録には黄色い人の話がある」
ロレンツォは言った。
「ジパングは、カタイ(中国大陸)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国である。莫大な金を産出し、宮殿は黄金でできているなど、財宝に溢れている。人々は偶像崇拝者で外見がよく、礼儀正しいが、人肉を食べる習慣がある」
ロレンツォは続けた。

優は部屋に戻っていた。イローナの絵も、部屋の様子も同じだ。現実に戻ってきた。全てに現実という厚みがあった。生きている実感があった。それは涙が出るほど嬉しいことだった。もうあそこへは行きたくない。

物語のかけら⑮

2006-07-30 10:32:08 | 創作日記
夏の日差しがカーテンに溢れていたが部屋は意外に涼しかった。天井の巨大なプロペラがゆっくりと回っていた。窓を開け、床に掃除機をかけ、窓際を拭いた。一通り掃除が終わると、優は窓の外を眺めた。空に屹立するビル。マンション。狭い公園にわずかな緑。信号にせき止められる人。道行く人々。自転車。激しく鳴く蝉の声。こんな世界に自分はいるのだ。独りぼっちで。
また、歌声が聞こえた。優は、ゆっくりと窓を閉めた。静寂が戻ってきた。同時に歌声は消えた。優は肖像画の前に立った。イローナの頬、二の腕に、うっすらと汗がにじんでいた。突然、意識が遠のいた。
優は本の中に立っていた。前も後ろも書棚だった。古い本が整然と並んでいた。これは夢なのだ。抜け出すんだ。また、夢の中に閉じこめられた。

「父と暮せば」

2006-07-30 06:40:37 | 映画・舞台
強い感銘を受けた。映画作りの頂点がある。破綻は全くない。至芸はテーマを見事に浮かび上がらせた。「核の抑止力」を根拠にして「核の保有」を正当化する人々。「憲法の改定」を叫ぶ人々。そして「被爆国日本」を知らない外国の人々。それらの人々に是非見てもらいたい。原爆がもたらした庶民の葛藤、踏みにじったもの。そして再生する愛。

物語のかけら⑭

2006-07-23 12:48:11 | 創作日記
朝8時半に博物館に入る。フロアーの掃除。ほとんど人が訪れないので汚れがない。だが、決めた行程で丁寧に掃除をする。トスカナ石は柔らかい布で丁寧に拭く。丘の上に立つ廃墟。それは城砦なのだろう。石の中から浮かび上がってくる。最初は見えなかった光景が見え始めていた。見るたびにそれは変化し、現実味を帯びてくる。そこにあるように。一通り掃除が終わると、サイホンでコーヒーを入れる。パンを一枚焼く。バターを少し塗る。10時。入口の札をOPENにする。

森へ行った子供は帰ってこなかった。子供の靴が見つかった。それ以外は何もなかった。
イローナの朝は早い。まだ星が出ている。納屋の掃除、葡萄畑の道具を揃える。雑草を引き、秋の収穫に備えるのだ。家族はまだ誰も起きてこない。水汲みに近くの泉に行く。透き通った水で、顔を洗い、口をすすぐ。深呼吸をする。そして、静かに歌い始める。

優はかすかな歌声を聞いた。近所のテレビかレコードかと思ったが、歌声は二階から聞こえてくる。「三日に一度」。今日はその日だった。階段を上がる。歌声ははっきりしてくる。ドアーの前に立つと、スーと消えた。鍵を差し込みドアーを開ける。部屋の隅に肖像画はあった。少し左の方を見ている。澄んだ瞳が印象的だ。白い頭巾を被り、右手に天秤を持っている。時の秤にそっくりだった。ilona。イローナ。右隅に書かれた文字はそう読めた。

「緑の石と猫」 高橋順子 文學界2006/7

2006-07-20 22:08:47 | 読書
世界一周恐怖航海記 車谷長吉 文學界5月号(2006年)にあったファンタジー小説「片目の黒猫・マへ」を「緑の石と猫」と改題したのだろう。個人的には「片目の黒猫・マへ」の方が好きです。期待に違わない素晴らしい一編。ファンタジー小説というより童話、メルヘン。童話は昇華された残酷さを含んでいる。
青来有一「鳥」に注目した。原爆そのものより、原爆がテーマを引き出す有効な手段になっているように思われる。この頃のはやり。林京子さんの作品と根本的に違う。是非は問わない。「鳥」には注目に値するものがある。「老い」がきっちりと書かれている。
もう一つ、文學界で楽しみにしている連載がある。「無意味なものと不気味なもの」 春日武彦 精神科医のエスプリと博学が効いたエッセイである。

物語のかけら⑬

2006-07-18 21:19:15 | 創作日記
奥の部屋に二人は移った。事務机が一つ。机の上には何もなかった。コンピューターも、電話もなかった。小さな応接セット。簡易流し台。
「コーヒーを入れる。大丈夫」
「ええ、大丈夫です」
「廊下の奥はバスルーム。自由に使ってOK。ソファーを倒すと、ベットになる」
彼女は実際にソファーを倒して見せた。
「昼寝も出来る。泊まっていっていい。要するに何をしてもOK」

コーヒーはとても美味しかった。多分、今まで飲んだどんなコーヒーよりも。
「美味しい」
優は率直に言った。
「そう、うれしい。コーヒー豆は十分あると思うわ。でも、サイホンには少しコツがいるの。明日までに書いておきます」
優は頷いた。優は彼女の好意を断ることが出来なかった。
後は事務的な話になった。
報酬は多くも少なくもなかった。朝の掃除。優は掃除が得意だった。彼のアパートは清潔で、埃一つなかった。少し病的なほど。
「これは二階の部屋の鍵」
旧式な棒状の鍵。簡単な構造で、新米の泥棒でも簡単に開けてしまうだろう。
「二階は毎日でなくてもいいわ。そうね、三日に1回ぐらい。これは入口の鍵。一つしかないから、今日は一緒に出ましょ。私はスペアーキーは持たないの」
そして、楽しそうに笑った。
「何回も入れないことがあったわ。そんな時はどうすると思う?」
「窓から入る」
「正解」
「そのために窓の鍵はかけていない。私は泥棒には寛容なの」
二人は顔を見合わせて笑った。
「もし、3ヶ月経っても戻らなかったら、ここに電話をして。全て話してあるから」
「法律事務所ですか」
「そう、私は天涯孤独で、ふっと、この世に現れた感じ」
優は深く頷いた。
「よく分かる」
「そう、言い忘れるところだった。二階には肖像画があります」
彼女はそう言って、少し間をおいた。
「イローナという女性です。歌手だったらしい。詳しいことは分かっていません。この博物館でもっとも価値のあるものかも知れないわね。17世紀の作品と言われている」
彼女は、また、少し間をおいた。
「僕は何をしたらいいのですか」
「何も、只、二階の部屋で長居をしたら、帰れなくなるかも知れない」
「帰れなくなる…」
「時々彼女の歌が聞こえる。これは冗談」
優の目を見た。
「じゃないかも知れない」

二人は外へ出た。老女は鍵をかけ、優に鍵を渡した。雨は止んでいた。水を含んだ風景に青い光が反射していた。
「私はこちらなの」
通りに出ると老女は言った。
「それじゃ、お気をつけて」
優は言った。
彼女を少しの間見送りながら、きびすを返した。それが彼女を見た最後だった。二度と会うことはなかった。

次の日の朝、時の博物館の入り口に小さなメモが挟まっていた。
「美味しいサイホンコーヒーの入れ方」

物語のかけら⑫

2006-07-17 09:26:29 | 創作日記
会社が休みの日以外は「時の博物館」に寄った。時間は同じように刻まれ、そして、永遠に去って行った。会社は6月の今日、倒産した。退職金代わりに3ヵ月分の給料をもらった。六さんはひらがなの活字を一箱を持って帰った。そして、優は二十歳になった。椅子に腰掛けると、今日は通りに面しているカーテンが開いていた。窓に水滴が流れ、通りを行く人の傘が音もなく流れていた。
「朝から降っているの?」
背後で声がした。振り返ると、小さな老女が立っていた。60歳にも、80歳にも見えた。美しい人だった。
「ええ、一日中」
「雨の見えるところで一日中いるのね」
「ええ、外で仕事をしていました」
窓の外に目を移して優は言った。不思議なほど他人に対する緊張感がなかった。他人対していつも閉ざす心の石がなかった。自然に優は立ち上がり、椅子を譲った。
「私は雨が好き。音もなく降る雨がいいわ」
二人はしばらく黙って雨を見ていた。
「ずいぶん長い間、ここが世界の果てだと思っていた」
優は黙って、「時の秤」を見上げた。秤はゆっくり動いて、右へ傾いだ。
「この博物館でいちばん値打ちがあるのは「世界の果て」という文字である
 フィン・デル・ムンド
 そこから旅人はふたたび出発することができる
 それぞれの世界の果てへと」(高橋順子・「世界の果て博物館」)
老女は目をつむりながら、澄んだ声で語った。
「この頃、ふっと思った。世界の果ては別の場所にあるのかも知れない」
「多分」
優は不意に出た自分の言葉に驚いた。
「多分?そうね、多分」
老女は少し笑った。
「出かけようかなあと思うの。世界の果てへ」
「世界の果てに何があるのですか?」
「多分」
老女はまた少し笑った。
「私が探しているもの」
老女は立ち上がり、窓に近づいた。優も窓に近づいた。雨に煙る路地は、静かな通路だった。傘が流れ、ある人は屈託のない笑顔を浮かべ、ある人は語り合い、ある人は黙々と家路を急いでいた。時々人の間を縫うように傘をさした自転車が通り抜けて行った。
「その間、あなたが私の代わりをする。もし、よかったら」
優は頷いた。
「お願いね、石泥棒さん」
老女は窓を見つめたまま言った

北斎とゴッホ

2006-07-17 07:07:29 | Weblog
北斎の「鳳凰図屏風」、ゴッホの「初夏のオーヴェール」。2枚の絵がASA(朝日新聞サービスアンカー)から届いた。狭い書斎にどう飾るか、考え抜いた末、「鳳凰図屏風」はアートフレームに。針穴を気にしながら「初夏のオーヴェール」はピンで壁に止めた。部屋に深みが増した。好きな時に北斎を、ゴッホを観ることが出来る。その度に、ふっと、幸せを感じる。

映画「空中庭園」

2006-07-16 22:16:37 | 映画・舞台
全ての登場人物に実在感かある。一種の諦観に動かされているように見えても、彼らは生身の人間である。映画は彼らの皮を一枚ずつ剥ぐように本心に迫っていく。いつの間にか惹きつけられて、はらはらしながら観ていた。B級の佳作。B級は面白いというほめ言葉です。ラストは用意された食卓の映像だけで十分に通じる。誕生日のエピソードは不要。どうして余計なものを添えるのだろう。残念!!(もう古くなったギャグ)。

物語のかけら⑪

2006-07-15 22:10:10 | 創作日記
優は次の日も「時の博物館」に立ち寄った。最初に石を元の場所に返した。そして、椅子に腰掛けた。思った通り、座り心地のよい椅子だった。

表が騒がしい。イローナはカーテンを少し開けた。
「森に入った子供が帰ってこない」女の声が聞こえる。
「悪さをすると城から悪魔がやってくるよ。さらわれて、殺されるよ」
老婆の声がする。
「私の子供を探して、お願い」
母親の声がする。イローナが外へ出ようと戸口に向かうと、父がイローナを止めた。吝嗇な小男は小さいが鋭い声で言った。
「関わり合うな。お前の仕事は終わっていない。皿洗い、夜の水くみ」
母親の違う姉二人は意地の悪い目をイローナに向けている。
「あの子が歌手だって」
「いい気なもんね」
「仕事は半人前なのに」
「役立たずが、悪魔にさらわれてしまいな」
継母が吐き捨てた。馬車の音が聞こえてきた。村人たちが我先に家へ逃げる。馬車は森へ向かって行く。鞭の音と車輪の音。馬車の音が消えると、後に闇夜のような沈黙が残った。

優は少し眠った。石の向こうに部屋があるようだ。時々人の気配がする。優は帰り際に、また、石を一つ盗んだ。