創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

池窪弘務のブックマーク

2020-06-22 09:59:50 | 創作日記
パソコンでは、メニューに表示されますが、スマホなどでは表示されないようですので、本文に適時挿入します。
今まで書いてきたものの全てです。
池窪弘務のブックマーク
俳句日記: 俳句集です。
創作日記 :全創作集です。
私なりの『枕草子』―キーワードから読み解く― :『枕草子』というエッセイのエッセイ
おくのほそ道・読み語り :原文で読めます。
鴻風俳句教室 :ネットの俳句教室です。私も学びました。
連載小説「Q」全 :二ヶ月以上に渡って連載しました小説「Q」を全てを読むことが出来ます。

連載小説「Q」2

2020-04-10 09:32:02 | 創作日記
連載小説「Q」2
彼の仕事はA.M.八時きっかりに届く会社からのメールを見ることから始まる。
会社に行く必要はない。
メールには今日一日の彼のスケジュールが分刻みで書かれている。
現地までは1時間半かかると分かって少しホッとした。
行き帰り三時間はGPSを気にせずにすむ。
大谷光一は1DKの社宅に住んでいる。
玄関からトイレと風呂、次に台所と居間、寝室が続く。
独り暮らしには十分すぎる住まいである。
一つの階に全く同じ部屋が十個並んでいる。
部屋というよりユニットと言った方が適切だろう。
十ユニットが五階建てのビルにきっちりと収まっている。
ルービックみたいに。
彼はその三階の五号室に住んでいる。
都会の真ん中だから、何らかの雑音はいつもしている。
人の声、車の音、電車の音、悲鳴。
セールスマンが都会に住む理由は、交通の便がよいからだ。
何処にでも行ける。
セールスマンは何処にでも出かける。

連載小説「Q」1

2020-04-09 16:05:02 | 創作日記


連載小説をはじめます。
「Q」の意味はQueenです。
途中から登場します。
お楽しみ下さい。

一 プロローグ
物語は無垢で仕事熱心な青年大谷光一君が、戸建て住宅団地の一番奥にある小さな家のインターホンを押したことから始まった。
彼がマニュアルやパンフレットがぎっしりと詰まった鞄と、一体二㎏の商品が入ったキャリーバッグを引きずりながら、百軒あまりの住宅団地に迷い込んだのは、大暑、最高気温四十度を記録した日だった。
彼の目的地が奈良県S郡T町大字Tの明生(めいせい)団地だったので、迷い込んだという表現は適切でないかもしれない。
しかし、汗まみれになり、意識もぼんやりして、ひたすらにインターホーンを押して歩く彼の姿は、迷路に迷い込んだハツカネズミのようだった。
彼は犬型ロボット『愛慕((あいぼ)』のセールスマンである。
昔はS社の製品であったが、今は中国で作っている。
技術力の高い中国にS社が丸投げしてしまった。
それをS社が逆輸入している。
名前も『アイボ』から『愛慕(あいぼ)』になった。

1964年のバレーボール 後編

2018-04-21 06:57:06 | 創作日記
前日の続きです。



1964年のバレーボール 池窪弘務作

後編

――拝復
誘って頂いてありがとう。残念ですが用事があって行けません。それと、正直来年受験するか迷っています。
少し無駄話をしてもいいですか? 時間も便せんの余白も一杯あります。君も多分……。
入試に落ちた時、家に帰ると誰もいなかった。私に気をつかったのかもしれません。私は二階の自分の部屋に行かず、祖母の寝ている仏間に行きました。私の気配に祖母は目を開けました。枕元に坐って、
「あかんかったわ」
 と言うと、
「しゃないやん」
 と祖母は言いました。
久しぶりに会話が成立して嬉しかった。
明治十七年生まれの祖母は、今年から寝たきりになりました。明治ってどんな時代だろう。
――降る雪や明治は遠くなりにけり――
明治、大正、昭和と生きて、今は寝たきりになった。その人の末端に私はいる。私って何者だろう。突然変な話しになって済みません。
――何言うとんねんこいつ」――と思ったら、後は読まずに捨てて下さい。
祖母は道修町の薬問屋のこいさんとして生まれました。祖父はその店の番頭。道ならぬ恋です。結婚は許されたが暖簾分けは許されなかった。
『好き同士やったら結婚しなはれ。せやけど、二度とうちの敷居またがんといてな』
旦那さんはニコニコ笑いながら祖母と祖父に優しく言わはったそうです。ほんとはお腹に長男がいたはった。
祖父は独立して土佐堀に小さな薬種商を開きました。祖母は三人の男の子を産みました。長男は本家を継ぎ、次男は戦死しました。父は三男です。どういういきさつか詳しいことは知りませんが、祖父が亡くなって三男の父が祖母と同居するようになりました。
『おばあちゃんは、仏壇背負うてうちにきはってん』
いちびりの父はよく言ってました。
祖母は私が物心のついた時から家族でした。いつも私の味方でした。痴呆になり、父母の顔も分からなくなりました。でも、私は分かるようです。船場のこいさん。おてんばやったそうです。
八十才。人生をほとんど使い果たして、後は死ぬのを待つだけ。どんな気持だろう。私は想像もつきません。でも、私にもそんな日がやがて来る。必ず来る。
障子を開けると庭があり、今年も白木蓮が満開です。
塀越しに公園の満開の桜が見えました。
「――桜は咲いたのにうちは散った」――
気づくと祖母は眠っていました。
――どんな夢を見ているんだろう――
祖母のDNAも私の中にある。でも、それが何の意味があるのだろう。
――人間って孤独だなあ。私は私しか知らない。百人の友達がいても。私ではない――
お医者さんがやって来て、診察よりずっと長く父と世間話をしていました。その晩にはお坊さんが来て、枕経を上げていました。医者もお坊さんもご近所で長い付き合いです。
「うとうとしてる間に、あっちへ行ってしもて。死に目に会えへん親不孝な息子ですわ」
祖母に付き添っていた父は言いました。
「お母さんはあんたを起こさんように逝かはったんや」
お坊さんはお茶を啜りながら言いました。
父は薬剤師で、あの有名なT薬品のプロパーをしています。医師に頭が上がらないので、私に医師を薦めました。私が医師を目指した理由はそんなものです。
その父もひょっとしたらここにいなかったかも知れない。戦争中、『炭焼きの出来るもの』と言われて、即、手を挙げたそうです。――出来るものと言われたら、手を挙げや――と誰かに知恵をつけられていたのです。勿論炭焼きの経験なんてありません。でも、内地に残れた。そして私がいる。でも、誰かが父の代わりに激戦地に行ったかもしれない。父が呑気に炭を焼いている時に、父の代わりは戦死したかもしれない。炭焼きと私がいることの不思議。微妙につながってます。
それと、猫のミーコが消えました。祖母が亡くなったのと、ミーコがいなくなったのとどちらが先かは分かりません。あわただしい中で、誰も猫のことなど気にしていませんから。
いつもは祖母のそばで丸まっているのに。おばあちゃんがミーコを連れて行ったのかも。そう思って、ぶるっときた。それともおばあちゃんが亡くなったのでミーコが出て行ったのかも。
死に装束を着せられたおばあちゃんは、もう食べることも、眠ることも、息をすることもない。なんてのどかなんだろう。
私の生きる時間は、歴史の時間から見れば瞬きに過ぎないけれど、私には永遠なんだ。おばあちゃんも同じだと思う。繰り返しなんだ。どこにも私はいないし、どこにも私はいる。どこにもおばあちゃんはいないし、どこにもおばあちゃんはいる。
私の中を私だけの時間が通り過ぎていく。そして、二度と帰ってこない。一日が一秒になり、一年が一分になる。記憶という奇妙な時間に変わる。
変なことばかり書いてごめんなさい。
また誘って下さい。
               かしこ

返事は書かなかった。返事の返事はなんか未練たらしくって。それになんて書いたらいいのだろう。おばあさんのお悔やみを申し上げると数行で終わってしまう。ミーコを一緒に探そう。わざとらしい!
三ヶ月ほどして『また誘って下さい』に甘えて、模擬テストに誘った。猛暑の中汗まみれになり下手な文字を連ねた。小学生でももう少しましな字を書くだろう。
すぐにわずか五行の返事が来た。
 
拝復
私はお見合いをすることにしました。
相手は偶然お医者さんです。
父は今度は早すぎるとわめいていますが。
と言うことで、模擬テストは必要ありません。
                           かしこ

それから五十年余。
私の中を私だけの時間が通り過ぎて行った。そして、二度と帰ってこない。一日が一秒になり、一年が一分になる。あっという間に七十才の老人になっていた。人間とは孤独なものだと思う。独りで生まれ、一人で生きて、一人で死んでいく。誰も代わってくれない。Uさんは孤独な友達だったのかもしれない。
高校を卒業すると、高校時代の友達とはつき合わなくなった。大学も会社も同様にその時期毎に人間関係を切ってきた。それは私が孤独が好きなためだろう。親交を温める気になれなかったし、誰も誘ってくれなかった。その結果、友達の一人もいない孤独な老人になった。
妻とはそんな訳にはいかないから、四十五年も一緒にいる。
Uさんとも一度も会わない。私と同じ老人になっただろう。ひょっとすれば亡くなっているかもしれない。確認するすべもない。
手紙は大事にしまっていたが、小学生の時に貰った初代若乃花の手形と同じようにいつの間にかなくしていた。
Uさんは私の記憶という不思議な箱に仕舞われたままである。

          了
       平成三十年四月二十日(金)

2020年東京オリンピックもすぐにやって来る。年寄りの時間は早い。
1964年のオリンピック。
「えっ? そんな超昔にオリンピックがあったんですか」
「あったんだよ。俺たちの青春ど真ん中に」

1964年のバレーボール 前編

2018-04-20 17:11:55 | 創作日記
久しぶりに小説を書きました。



1964年のバレーボール 池窪弘務作

前編

――オリンピックっていつまで続くのだろう……―― 
ふと、ため息が出た。2018年冬季オリンピック。テレビはオリンピックに占領され、どのチャンネルも同じシーンが繰り返されていた。テレビが唯一の友達の私は途方に暮れた。その上、妻が手首を骨折して入院。三人の娘は結婚して家を出ている。広過ぎる家での独居だった。
誰とも話さない日もあった。今日は誰と話しただろう?
一日をリピートしてみる。
朝のウオーキングの時、すれ違い際に二言三言、同じ団地の人と話した。彼の連れている超小型犬は私の顔を見ると必ず吠える。蹴飛ばしたい衝動に駆られながら笑顔を作り、
――寒いですねえ―― と私。
――ほんま寒いわ―― と犬の散歩の人。
スーパーのレジで店員との会話。いや、私は喋らなかった。八百四十九円の買い物に千一円出した。『えっ?』と店員は言った。そして、気を取り直して、『千一円戴きます』と言った。一円玉と十円玉が増えてしまった。
小銭入れは十円玉と一円玉とではち切れんばかりである。
勧誘電話。丁寧にお断りをした。逆ギレされて家に押しかけられそうになったことがある。
妻とのメールのやり取り。
回覧板を受け取った。
天井を見上げながら、――そのくらいか――と思った時、
「みんな、バレーボールせえへん」
突然言葉が天井から降りて来た。短い夢を見たのだろうか? 認知症が始まったのか……。時々夢と現実が混ざる。周りを見渡したが何も変わったものはない。テレビ画面は、うーん名前が出てこない。一分後、フィギュアスケートの金メダリスト羽生結弦君のインタビューだ。何回同じインタビューを観ただろう。チャンネルを変えてもどの局も同じだったことがある。北朝鮮のテレビみたいだ。北朝鮮の人は、冬季オリンピックを観ているのだろうか。食傷しているなんて贅沢かもしれない。
 *
私にとって、オリンピックと言えば東京オリンピックだ。私は十八才だった。高校三年生。舟木一夫の『高校三年生』も流行っていた。
暴力教師が跋扈(ばっこ)していた中学時代と違って、穏やかな高校時代だった。もう、五十年以上も経つのだ。年も取る筈だ。
七〇数年戦争もなく平和に暮らしてきたことに感謝しよう。
あの頃は、女子バレーの連日の快進撃に日本中が沸いていた。サウスポーの宮本選手のお尻が好きだと高校生らしからぬことを言う奴もいた。東洋の魔女と言われたメンバーはストイックな感じがした。今のオリンピック選手の華々しさとは随分差があるように思う。白黒テレビであったということもある。
市立H高校では講堂にテレビを置いてオリンピック放送を見せてくれた。先生方の優しい配慮だった。
そして、私には忘れられないもう一つのバレーボールがあった。
――みんなバレーボールせえへん」――
Uさんが突然言った。講堂でオリンピックのテレビを観る時間だった。ほとんどの学生が教室から出て行ったが、七、八人は残った。理由なき反抗。その中に私はいた。
Uさんは私の憧れだった。今でもきっちりとその姿を思い出すことが出来る。クラス一、二の秀才で小柄な美人だった。感情を表に出すタイプではなくいつも静かだった。独りでいることが多かった。だから、バレーボールの提案に私は驚いた。
輪になってトスを上げた。ふざけてスマッシュする奴もいた。笑い声が上がり、秋の空にバレーボールが次から次へと回された。
H高校は大阪市の中心にあり、箱庭のように狭い校庭だった。講堂の窓から手を振る奴もいた。Uさんは晴れやかに笑いながら手を振り返した。

Uさんは医大の受験に失敗した。私も大学受験に失敗した。私は彼女に模擬試験に誘う手紙を書いた。長い返事が来た。用事があって行けない。それ以外は雑談のような文章が、綺麗な字で続いていた。

明日の後編に続きます。

ホームページが完成しました。

2017-06-21 20:08:38 | 創作日記
ホームページが完成しました。
創作日記に跳ぶことが出来ます。
創作日記には小説、戯曲、ラジオドラマ、童話をUPしています。
ほぼ全集です。
五十余年の総決算。
よくもまあ書いたもんです。
妻「着々と準備してんの」
僕「何の?」
妻「……」
僕「……。うん。ほぼ出来た」
妻「明日から何をするの」
僕「なんもない」
ブックマークからもリンクしています。
よろしくね。

宇治拾遺物語(一六)尼地蔵見奉る事

2016-12-12 16:26:51 | 創作日記

いつの間にか御簾の向こうに年老いた尼が立っている。
あれは人ではない。(ーー;)幽霊か……。
幽霊も人に紛れて歩いているのか
私は、丹後国の老いたる尼でございます。
私のような身分の者がとお笑いでしょうが、
毎日夜明けに地蔵菩薩が*六道をお回りになるということを耳にしまして、
人間道に来られた地蔵菩薩とお会いしたいと、
毎日夜明けにそこら中を歩き回っておりました。
信心に身分の上下はない。
俺も、畜生道に落ちるやもしれん。あそこにふらついている犬か、夜着に飛び跳ねる蚤か。
地獄も嫌だが、人間界も気が進まぬ。もう飽きた

ある寒い日のことでございます。
大層奇特な方にお会いしました。
そのお方は裸で現れたのです。
そいつは博打打ちだよ。身ぐるみ剥がれて放り出されたのさ

『尼君、こんなに寒いのに、何をされているのですか』
と聞くので
「地蔵が夜明けにお歩きになるというので、お目にかかり**結縁を賜りたいと、こうして歩いているのです」
と言うと、
気をつけなされ。
そいつは盗人だ。
尼君が死んでいるのは、そいつに殺されたのか?

するとそのお方は、
『地蔵様がお歩きになっている道を知っているよ。こっちへいらっしゃい。会わせてあげましょう』
と言いました。
「まあ、なんと嬉しいことでしょう。地蔵のお歩きになるところに私を連れて行って下さい」
とお願いしました。
『何かお礼の物をいただければ、すぐに、お連れ申しましょう』
本性を現しよった

「私の着ている衣をあげましよう」
『それでは参りましょう』
ばあさん、騙されたらだめだ。
そいつは『じぞう』という子供の親を知っているだけだ

「そのお方は近くの家に私を連れて行きました」
ひょいと戸を開けて
『じぞうはいるかい』とお聞きになると、
親は、
「今あそびに行っているが、もう戻るころだよ」
と答えました。
『さあここだ。『じぞう』がいるところだ』
とその方は仰いました。
私は嬉くて、紬の衣を脱いで渡すとその方は衣を取って、さっさと行ってしまいました。
「地蔵に会わせて下さい」
と私が親に言うと、
「どうしてうちの子の『じぞう』に会いたいのだろう」
と、親は首をひねるばかりです。
そのうちに、十歳ばかりの少年が戻ってきました。
「これが、『じぞう』です」
と親が言いました。
地蔵菩薩は子供の姿でお現れになりました。
「ああ、地蔵菩薩やっとお会いできました」
私は、たちまちその場で膝をつき、土に額をこすりつけるほど、地蔵菩薩を拝みあげました。
子どもは小枝を持って遊びながら帰ってきたのですが、
その小枝で手遊び(てすさび)に額をかいたところ、
額から顔の上の方まで裂けてしまいました。
すると裂けた中からなんとも言えないほど素晴らしい地蔵菩薩の顔が現れたのです。
私にだけ、お姿をお見せになったのです。
拝んでいた私が顔を上げると、そこには地蔵菩薩が立っていらっしゃいました。
私は涙を流してさらに祈り、そうしているうちに極楽へと旅立ってしまいました。
子供が夜明けに遊んでいるのも不思議なことだ。
子供が地蔵菩薩だったのか、地蔵菩薩が子供の姿で現れたのか。
これほど信心深く念じていれば、仏の姿さえ目に見えるということだ。
あの博打うちも知らないうちに功徳を積んだのかもしれない。
ああ、いつの間にか尼の姿は消えていた。
帰った。
蝉の声も今朝から聞こえない。
ひと夏鳴いて、次は何に生まれ変わるのだろう。
秋風が吹けば都へ帰ろう。

*六道:すべての衆生 (しゆじよう)が生死を繰り返す六つの世界。迷いのない浄土に対して,まだ迷いのある世界。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道。→大辞林
**結縁:仏道に入る縁を結ぶこと。→広辞苑

宇治拾遺物語(74)その3

2016-12-01 16:06:06 | 創作日記
074 陪従家綱行綱兄弟互ひに謀りたる事 
これも今は昔、陪従はさもこそはといひながら、
これは世になき程の猿楽なりけり。
「陪従とはそんなものだけど」と
揶揄した調子で始まる。
これは=今から話すこと。猿楽なりけり=猿楽そのものなのだ。
弟は、兄の猿楽を盗み、兄は仕返しに弟の猿楽をぶちこわす。
それも、「猿楽そのものなのだ」と言っている。
笑い話なのだ。
古人の深い洞察が感じられる。
「むかしがたり」を小説にするのは面白い。
芥川龍之介の専売特許にしておくのはもったいない。

宇治拾遺物語(74)その2

2016-11-30 15:51:22 | 創作日記
宇治拾遺物語(74)その2
鵜舟のかがり火が闇に浮かび上がった。
後世に芭蕉が、
「おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな」と詠むことを当然俺は知らない。
坊主は寝てしまったが、起こすこともあるまい。涼しい風が出て来た。下女も団扇を下ろしている。突然坊主ががばっと起き上がった。
後日談があってな。
金玉の後日談か
次は、あれ。キャー。
家綱はあの件の後は目も合わさなかったが、
「謀られたのは腹が立つが、それっきり兄弟の縁を切ってしまうわけにはいかない」
と思い直して、
「あの件はあの件として、兄弟の仲を絶えさせていい訳ではないから」
と言ったので、行綱は喜んで兄を訪ねてまた親しく交際をした。
よい兄貴だ。俺ならそうはいくまい。それよりもかがり火が気になる。風情も良いが、鮎も気になる。下女に鮎を持ってこさせた。
拙僧にも。酒も空になった。
生臭坊主め。話がつまらなかったら、切り捨てるぞ
いや、いやこれからが面白い。
賀茂の臨時祭りの*還立(かえりだち)に御神楽があるので、
行綱が家綱に言うのは、
「舞人の長が私を呼んだ時、**竹台のそばに寄ってざわざわと音を立てようと思うので、
「あれは何をしているのか」とはやし立てて下さい。
そうしたら、 私は「***竹豹ぞ竹豹ぞ」と言って豹の真似をしまくりましょう。」
と言ったので、家綱は、
「 おやすいご用だ。手の限り全力ではやそう」
と承諾した。
さて当日舞人の長が前に出て、
「行綱召す」
と呼ばれ、行綱おもむろに立って、竹台のそばに寄って這いまわり始める、
「あれは何をしているか」
と言われればそれに合わせて、
「竹豹ぞ竹豹ぞ」
と言おうと、心構えしていると、
家綱が、
「彼はどういう竹豹か」
と問うたので、落ちの「竹豹」を先に言われてしまった。
行綱は言うことがなくなり会場から逃げ去ってしまった。
この事は天皇のお耳にまで入り、かえってものすごくうけたと言うことだ。
眠ってしまったらしい。坊主も下女もいなくなっていた。
坊主の声がした。まだ、夢の中にいるのかも知れない。
俺が誰かって?
あの時、煌々と燃えていたかがり火よ。
わしは、みんな見ていた。

*還立:賀茂神社・石清水八幡宮などの祭礼の後,奉仕した使い・舞人たちが天皇の前に出て,歌舞の遊びをすること。→大辞林
**竹台:清涼殿の東庭にある竹を植えた二つの台(うてな)。→大辞泉
***竹豹:ヒョウの毛皮の、斑紋の大きなもの。→大辞林