創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

ドキュメンタリーする快楽「カルチャーでドキュメンタリー映画を作ろう」

2006-03-28 21:56:27 | 創作日記
ドキュメンタリーする快楽「カルチャーでドキュメンタリー映画を作ろう」(朝日カルチャーセンター大阪)2006/3/23~③
鶴橋の立ち飲みで生ビールを2杯飲んだ。以前、隠れグルメで書いた「松」。相変わらず土手焼きは旨い。牡蠣の串カツも旨かった。このあたりから、少しずつ気持ちを取り戻す。「演劇をドキュメンタリーとして撮る」その自分を撮ろう。最後まで行けるかは別として。そのためにまず自分史を書こう。私はどんな時代を生きてきたのだろう。それを順次ブログで書いていこう。3月25日(土)、次回講座を申し込んだ。定年までの戦いの一歩である。

ドキュメンタリーする快楽「カルチャーでドキュメンタリー映画を作ろう」

2006-03-27 21:17:05 | 創作日記
ドキュメンタリーする快楽②
講義は進む。ドキュメンタリーを撮る人は自分史を書くことが必修であるという話があった。私の自分史。平行してその時の世間を書くとすれば、少し状況は変わってくる。私は世間と無縁ではない筈だから。だけど、私はあまり過去を顧みない人間で、理由は「終わったことだから」である。私の企画は出てこない。ついに時間切れ寸前。「戯曲を撮るといわれていた人。えーと今日は来ていないかなあ」いてますよ。いてます。「まず、演劇を作ることですね。あてはありますか」「全くの白紙です」と私。「戯曲はよく分からないけれど」と講師。「出来るだけ協力します」で終わった。次回から、次の講座にはいる。ここはドキュメンタリーを撮るためのカルチャーだ。止めようかなあという考えが、頭をよぎった。~明日も続く。

ドキュメンタリーする快楽「カルチャーでドキュメンタリー映画を作ろう」

2006-03-26 20:19:31 | 創作日記
ドキュメンタリーする快楽「カルチャーでドキュメンタリー映画を作ろう」(朝日カルチャーセンター大阪)2006/3/23~①

講義は男性受講生(81歳)が16mmフィルム撮影機で撮られた映像(沖縄の自然)の鑑賞から始まりました。思わずはっとするほどの映像の素晴らしさ。観賞後、デジタルとの違いをどう感じたかと問われ、言葉が浮かばず…。後で気づいたのですが光の質が違うなあと思い当たりました。フィルム映像は自然光に近い。それが「艶」。デジタル映像が目差しているのはフィルム映像だという話。同じように液晶よりもブラウン管、デジカメよりフィルムカメラである。次に16mmフィルム撮影機のファインダーを覗く。次々に受講生が覗く。私の番になったが、ようとして見えない。何度も覗くが闇である。原監督が覗いて、見えてますよというが、私には見えない。見えないものを見えたとは言えない。「困りましたねえ。目をつむっているんじゃないですか」との言葉と同時に「見えた!」。ただの黒板がこんなに美しいとは。さてさて、私の企画はどうなったか。それは次回に。私にとって意外な展開です。

「Lost 失われた時間 全編」

2006-03-21 09:36:03 | 創作日記
連載「Lost 失われた時間 全編」をUPしました。ここからお入り下さい。これからはこの作品をどう具体化するかです。感想、アドバイスをお待ちしています。
写真は奈良県宇陀市大宇陀区本郷の又兵衛桜です。今年から宇陀郡大宇陀が宇陀市大宇陀区になったんですね。両親の出生の地ですので、少し寂しい気がします。
桜は毎年のように見に行っています。今年も楽しみにしています。ライトアップが別世界に導きます。今年はそれを撮りたいと思っていますが…。



東吉野村 たかすみ温泉 会津屋

2006-03-19 10:46:49 | 隠れグルメ
昨日、東吉野村 たかすみ温泉へ行ってきました。二度目です。人が少なく、施設がきれいで、ゆっくり温泉を楽しめるので気に入っています。入浴料も5百円と安い。帰りにR166沿いにあるログハウス風、そば屋さんらしい会津屋さんにIN。一日10食限定のなんとかそば(1000円)を頼みました。店内は広く、清潔で、待つ間も珍しい焼酎の瓶を眺めたり、色々と本が置いてあったり、なんやらかんやらあり、退屈しませんでした。木の湯飲みなど細かいところにもこだわりが感じられます。珍しい焼酎を一杯注文。500円。しゃれた氷入れと一緒に運ばれてきたのにはビックリしました。店員さんも若くてきれい(老婆が杖をついて注文をとりに来るというのも面白いかも)。焼酎はいつも飲んでいるのとは段違い。なんとかそばも絶品でした。 

貝の帆(4)「生」について考える

2006-03-18 20:06:02 | 読書
確かに私たちは一個の受精卵から始まった。だが、「自分」はその延長上にあるのではない。もともと「自分」とは何なのか。考えれば考えるほど分からなくなる。「自分」とは意識である。それは「生」の中から生まれ、「生」と共存しているように思われる。この小説の胎児に寄り添う一個の魂のように。
小説は今の季節、春に入った。3月25日(金)。この1日を読んで、ふと、幼い日の出来事を思い出した。小説の中身に触れるので、もしよろしければ、「貝の帆」抄で。

丸山健二「貝の帆」 (3)  「1日」

2006-03-18 09:42:31 | 読書
見開き2ページが1日。想像だが、日にちに合わせて作者は1日ずつ書いていったのではないだろうか。「生」の単位としての1日。1日の集積は季節になり、季節はやがて誕生までの十月十日となる。この本の1日は作者の1日であり、物語の1日であり、読者である私の1日でもある。

山田風太郎「八犬傳」 再読

2006-03-12 08:21:46 | 読書
山田風太郎「八犬傳」を読み始めました。二回目です。「貝の帆」の箸休め…。超スピードで読んでいます。物語のワクワク感には超スピードがプラスかもしれませんね。実の世界(馬琴)と虚(八犬伝)の世界の組み合わせが素晴らしい。未読の方には自信を持っておすすめです。

丸山健二「貝の帆」 2

2006-03-10 21:20:47 | 読書
132ページまで読み進んだ。とにかく圧倒される。39ページ:「どうせ求めずして手に入った命ではないか」柱ではない言葉にも惹かれる。自分とは何か。流行の「自分探し」ではない。存在の根源を問われているような気がする。
1秒、1分、1時間と私たちは生きている。「生」の単位としては、やはり1日だろうと思う。作家は見開き2ページに1日を配した。これは一つの生命が誕生するまでの壮烈な日常である。
133ページ。1月9日。「おまえがあって初めてこの世が在る。この世はおまえの誕生と同時に誕生し、おまえの寂滅と同時に消滅する。命の数だけ世界があり、この一瞬一瞬のうちにも、無限大の宇宙が消えたり現れたりしている。この世はおまえのための世界だ」。もし、神が存在するなら、一つ一つの命に宿っている。