【本文】
成信の中将は③
月の明かき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにし事の、憂かりしも、嬉しかりしも、「をかし」とおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。狛(こま)野(の)の物語は、何ばかりをかしき事もなく、言葉も古めき、見どころ多からぬも、月に昔を思ひ出でて、虫ばみたる蝙蝠(かはほり)取り出でて、「もと見し駒に」といひて、訪ねたるが、あはれなるなり。
雨は、「心もなきもの」と思ひしみたればにや、片時降るも、いと憎くぞある。やむごとなき事、おもしろかるべき事、尊うとうめでたかべい事も、雨だに降れば、言ふかひなく口惜しきに、何か、その、濡れてかこち来たらむが、めでたからむ。
交(か)野(たの)の少将もどきたる落(おち)窪(くぼ)の少将などは、をかし。夜(よ)べ・一昨日(をととひ)の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞ、憎き。汚かりけむ。
風などの吹き、荒(あら)々(あら)らしき夜、来たるは、頼もしくて、嬉しうもありなむ。
雪こそ、めでたけれ。「忘れめや」など、一人ごちて、忍びたることはさらなり、いとさあらぬ所も、直衣などはさらにも言はず、袍(うへのきぬ)・蔵人の青色などの、いとひややかに濡れたらむは、いみじうをかしかべし。緑衫(ろうさう)なりとも、雪にだに濡れなば、憎かるまじ。昔の蔵人は、夜など、人のもとにも、ただ青色を着て、雨に濡れても、しぼりなどしけるとか。今は、昼だに着ざめり。ただ緑衫のみうちかづきてこそ、あめれ。衛(ゑ)府(ふ)などの着たるは、まいていみじうをかしかりしものを……。 かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。
月のいみじう明かき夜、紙のまた、いみじう赤きに、ただ「あらずとも」と書きたるを廂(ひさし)にさし入りたる月にあてて、人の見しこそをかしかりしか。雨降らむ折は、さはありなむや。
【読書ノート】
見るばかり=見るほど。以下名文です。
狛(こま)野(の)の物語=いまは伝わらない。虫ばみたる蝙蝠(かはほり)=虫食いの目立つ扇子。
「もと見し駒に」=古歌。
「心もなきもの」=風情もない。思ひしみ=思い込んでいる。やむごとなき事=宮中での高貴な儀式。かこち来たらむ=愚痴をこぼしながらやって来る。
また、兵部(ひやうぶ)への攻撃に戻っています。
もどきたる=非難した。落(おち)窪(くぼ)の少将=「落窪物語」の少将。継母に虐められているヒロインに通ってきます。大事な三日目(結婚成立)は大雨。偉い人の行列に会って、泥棒と間違えられてウンコの山に座ってしまう→桃尻語訳。
清少納言にとって、物語の人物は美しくあらねばならない。清少納言の物語論です。
「忘れめや」=古歌(不詳)の引用。さあらぬ所=それほど人目を忍ばなくてもよい所。
緑衫(ろうさう)=六位の官人が着る緑色の袍(ほう) 。着たる=(青色の袍)を。
雨にありかぬ=雨の日には(女のもとに)出歩かない。あらむとすらむ=微妙な言い回しです。①出てくるでしょう。②出てくると思えない。二通りの解釈があります。
「あらずとも」=「恋しさは同じ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや」古歌引用。人の=女の人が。
「雨降らむ折は、さはありなむや」=また、兵部(ひやうぶ)への攻撃に戻っています。しつこいですね。
この段はエピソードとエピソードがつながらない。また、繫げようとすると、深読みが必要な非常に難しい段です。語句の解釈も学者で異なる部分があります。キーは「枕草子」における成信の位置づけ、清少納言の男性観、清少納言の物語論らしいのですが。目立つのは下級者(兵部(ひやうぶ))への軽蔑と攻撃です。作者の激しい性格が感じられます。ちょっと嫌だなあ。
成信の中将は③
月の明かき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにし事の、憂かりしも、嬉しかりしも、「をかし」とおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。狛(こま)野(の)の物語は、何ばかりをかしき事もなく、言葉も古めき、見どころ多からぬも、月に昔を思ひ出でて、虫ばみたる蝙蝠(かはほり)取り出でて、「もと見し駒に」といひて、訪ねたるが、あはれなるなり。
雨は、「心もなきもの」と思ひしみたればにや、片時降るも、いと憎くぞある。やむごとなき事、おもしろかるべき事、尊うとうめでたかべい事も、雨だに降れば、言ふかひなく口惜しきに、何か、その、濡れてかこち来たらむが、めでたからむ。
交(か)野(たの)の少将もどきたる落(おち)窪(くぼ)の少将などは、をかし。夜(よ)べ・一昨日(をととひ)の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞ、憎き。汚かりけむ。
風などの吹き、荒(あら)々(あら)らしき夜、来たるは、頼もしくて、嬉しうもありなむ。
雪こそ、めでたけれ。「忘れめや」など、一人ごちて、忍びたることはさらなり、いとさあらぬ所も、直衣などはさらにも言はず、袍(うへのきぬ)・蔵人の青色などの、いとひややかに濡れたらむは、いみじうをかしかべし。緑衫(ろうさう)なりとも、雪にだに濡れなば、憎かるまじ。昔の蔵人は、夜など、人のもとにも、ただ青色を着て、雨に濡れても、しぼりなどしけるとか。今は、昼だに着ざめり。ただ緑衫のみうちかづきてこそ、あめれ。衛(ゑ)府(ふ)などの着たるは、まいていみじうをかしかりしものを……。 かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。
月のいみじう明かき夜、紙のまた、いみじう赤きに、ただ「あらずとも」と書きたるを廂(ひさし)にさし入りたる月にあてて、人の見しこそをかしかりしか。雨降らむ折は、さはありなむや。
【読書ノート】
見るばかり=見るほど。以下名文です。
狛(こま)野(の)の物語=いまは伝わらない。虫ばみたる蝙蝠(かはほり)=虫食いの目立つ扇子。
「もと見し駒に」=古歌。
「心もなきもの」=風情もない。思ひしみ=思い込んでいる。やむごとなき事=宮中での高貴な儀式。かこち来たらむ=愚痴をこぼしながらやって来る。
また、兵部(ひやうぶ)への攻撃に戻っています。
もどきたる=非難した。落(おち)窪(くぼ)の少将=「落窪物語」の少将。継母に虐められているヒロインに通ってきます。大事な三日目(結婚成立)は大雨。偉い人の行列に会って、泥棒と間違えられてウンコの山に座ってしまう→桃尻語訳。
清少納言にとって、物語の人物は美しくあらねばならない。清少納言の物語論です。
「忘れめや」=古歌(不詳)の引用。さあらぬ所=それほど人目を忍ばなくてもよい所。
緑衫(ろうさう)=六位の官人が着る緑色の袍(ほう) 。着たる=(青色の袍)を。
雨にありかぬ=雨の日には(女のもとに)出歩かない。あらむとすらむ=微妙な言い回しです。①出てくるでしょう。②出てくると思えない。二通りの解釈があります。
「あらずとも」=「恋しさは同じ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや」古歌引用。人の=女の人が。
「雨降らむ折は、さはありなむや」=また、兵部(ひやうぶ)への攻撃に戻っています。しつこいですね。
この段はエピソードとエピソードがつながらない。また、繫げようとすると、深読みが必要な非常に難しい段です。語句の解釈も学者で異なる部分があります。キーは「枕草子」における成信の位置づけ、清少納言の男性観、清少納言の物語論らしいのですが。目立つのは下級者(兵部(ひやうぶ))への軽蔑と攻撃です。作者の激しい性格が感じられます。ちょっと嫌だなあ。