創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

「わたしなりの枕草子」#331

2012-02-29 08:47:12 | 読書
【本文】
成信の中将は③
 月の明かき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにし事の、憂かりしも、嬉しかりしも、「をかし」とおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。狛(こま)野(の)の物語は、何ばかりをかしき事もなく、言葉も古めき、見どころ多からぬも、月に昔を思ひ出でて、虫ばみたる蝙蝠(かはほり)取り出でて、「もと見し駒に」といひて、訪ねたるが、あはれなるなり。
 雨は、「心もなきもの」と思ひしみたればにや、片時降るも、いと憎くぞある。やむごとなき事、おもしろかるべき事、尊うとうめでたかべい事も、雨だに降れば、言ふかひなく口惜しきに、何か、その、濡れてかこち来たらむが、めでたからむ。
 交(か)野(たの)の少将もどきたる落(おち)窪(くぼ)の少将などは、をかし。夜(よ)べ・一昨日(をととひ)の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞ、憎き。汚かりけむ。
 風などの吹き、荒(あら)々(あら)らしき夜、来たるは、頼もしくて、嬉しうもありなむ。
 雪こそ、めでたけれ。「忘れめや」など、一人ごちて、忍びたることはさらなり、いとさあらぬ所も、直衣などはさらにも言はず、袍(うへのきぬ)・蔵人の青色などの、いとひややかに濡れたらむは、いみじうをかしかべし。緑衫(ろうさう)なりとも、雪にだに濡れなば、憎かるまじ。昔の蔵人は、夜など、人のもとにも、ただ青色を着て、雨に濡れても、しぼりなどしけるとか。今は、昼だに着ざめり。ただ緑衫のみうちかづきてこそ、あめれ。衛(ゑ)府(ふ)などの着たるは、まいていみじうをかしかりしものを……。 かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。
 月のいみじう明かき夜、紙のまた、いみじう赤きに、ただ「あらずとも」と書きたるを廂(ひさし)にさし入りたる月にあてて、人の見しこそをかしかりしか。雨降らむ折は、さはありなむや。

【読書ノート】
 見るばかり=見るほど。以下名文です。
 狛(こま)野(の)の物語=いまは伝わらない。虫ばみたる蝙蝠(かはほり)=虫食いの目立つ扇子。
「もと見し駒に」=古歌。
「心もなきもの」=風情もない。思ひしみ=思い込んでいる。やむごとなき事=宮中での高貴な儀式。かこち来たらむ=愚痴をこぼしながらやって来る。
 また、兵部(ひやうぶ)への攻撃に戻っています。
 もどきたる=非難した。落(おち)窪(くぼ)の少将=「落窪物語」の少将。継母に虐められているヒロインに通ってきます。大事な三日目(結婚成立)は大雨。偉い人の行列に会って、泥棒と間違えられてウンコの山に座ってしまう→桃尻語訳。
 清少納言にとって、物語の人物は美しくあらねばならない。清少納言の物語論です。
「忘れめや」=古歌(不詳)の引用。さあらぬ所=それほど人目を忍ばなくてもよい所。
 緑衫(ろうさう)=六位の官人が着る緑色の袍(ほう) 。着たる=(青色の袍)を。
 雨にありかぬ=雨の日には(女のもとに)出歩かない。あらむとすらむ=微妙な言い回しです。①出てくるでしょう。②出てくると思えない。二通りの解釈があります。
「あらずとも」=「恋しさは同じ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや」古歌引用。人の=女の人が。
「雨降らむ折は、さはありなむや」=また、兵部(ひやうぶ)への攻撃に戻っています。しつこいですね。
この段はエピソードとエピソードがつながらない。また、繫げようとすると、深読みが必要な非常に難しい段です。語句の解釈も学者で異なる部分があります。キーは「枕草子」における成信の位置づけ、清少納言の男性観、清少納言の物語論らしいのですが。目立つのは下級者(兵部(ひやうぶ))への軽蔑と攻撃です。作者の激しい性格が感じられます。ちょっと嫌だなあ。

「わたしなりの枕草子」#330

2012-02-28 07:33:43 | 読書
【本文】
成信の中将は②
 つとめて、例の廂に、人の物言ふを聞けば、「雨いみじう降る折に来たる人なむ、あはれなる。日(ひ)来(ごろ)、おぼつかなく、つらき事もありとも、さて濡れて来たらむは、憂き事もみな忘れぬべし」
とは、などて言ふにかあらむ。
 さあらむを。夜べも、昨日の夜も、そがあなたの夜も、すべて、この頃うちしきり見ゆる人の、今夜(こよひ)いみじからむ雨に障らで来たらむは、「なほ、『一夜(ひとよ)もへだてじ』と思ふなめり」と、あはれになりなむ。
 さらで、日(ひ)来(ごろ)も見ず、おぼつかなくて過ぐさむ人の、かかるをりにしも来むは、「さらに心ざしのあるにはせじ」とこそ、おぼゆれ。 人の、心々なるものなればにや。もの見知り、思ひ知りたる女の、「心あり」と見ゆるなどを語らひて、あまた行く所もあり、もとよりのよすがなどもあれば、しげくも見えぬを、「『なほ、さるいみじかりし折に来たりし」など、人にも語り継がせ、褒(ほ)められむと思ふ、人のしわざにや。
 それも、無(む)下(げ)に心ざしなからむには、げに、何しにかは、作り事にても、「見えむ」とも思はむ。されど、雨の降る時に、ただむつかしう、「今朝まで晴れ晴れしかりつる空」ともおぼえず、憎くて、いみじき細殿、「めでたき所」ともおぼえず。まいて、いとさらぬ家などは、「疾(と)く降りやみねかし」とこそおぼゆれ、をかしき事、あはれなる事もなきものを……。
 さて、月の明かきはしも、過ぎにし方、行く末まで、思ひ残さるることなく、心もあくがれ、めでたくあはれなること、たぐひなくおぼゆ。それに来たらむ人は、「十日、二十日、一月もしは一(ひと)年(とせ)も、まいて七、八年ありて、思ひ出でたらむは、いみじうをかし」とおぼえて、得あるまじうわりなきところ、人目つつむべきやうありとも、かならず立ちながらも、ものいひて帰し、また、とまるべからむは、とどめなどもしつべし。

【読書ノート】
 日(ひ)来(ごろ)=何日間も。おぼつかなく=音沙汰なく。
 などて=どうして。
 兵部(ひやうぶ)が自慢げに話しているのを聞いて、清少納言は反論します。次々と随想が広がっていきます。
 さあらむを=雨の夜の訪れでも。そがあなたの夜も=一昨々日の夜。
 おぼゆれ=(私は)思う。兵部(ひやうぶ)に対する非難は強烈です。それは、成信の中将への好意の裏返しでもあるわけです。清少納言の激しい気性が感じ取れます。
 心々=人それぞれの気持。語らひて=ねんごろになって。もとよりの=もともと。よすが=縁。本妻。褒(ほ)められむと思ふ=主語は男。しわざ=行為。
 げに=なるほど。何しにか=何のために。「見えむ」=会おうと(少し兵部(ひやうぶ)のことを認めて)。むつかし=うっとうしい。不快である。されど=しかし。細殿でさえ、雨降りはよいと思えない。「雨が早く止めばいいのに」とばかり気になって、雨の日は風情がない。(だから、雨の日に訪ねてきた男に誠意を感じることはない)→萩谷朴校注。
「をかしき事、あはれなる事もなきものを」が次の文に続くとする口語訳もあります。「別に趣きあることも、しみじみとあわれなこともない自分だけれど、そんな身の上でも」→石田穣治訳注。ちょっと違うなあ。
さて=話を転換します。あくがれ=あらぬ方にさ迷い。あるまじうわりなきところ=とんでもない無理な場所。やう=理由。かならず=ぜひ。

「わたしなりの枕草子」#329

2012-02-27 09:48:15 | 読書
【本文】
二百七十四段
 成信の中将は①
 成信(なりのぶ)の中将は、入道(にうだう)兵部(ひやぶ)卿(きやう)宮(のみや)の御(み)子(こ)にて、容貌(かたち)いとをかしげに、心ばへもをかしうおはす。
 伊(い)予(よの)守(かみ)兼(かね)資(すけ)が女(むすめ)忘れで、親の、伊予へ率(ゐ)てくだりしほど、「いかにあはれなりけむ」とこそおぼえしか。「暁に行く」とて、今夜(こよひ)おはして、有明の月に帰り給ひけむ直衣姿などよ。
 その君、常にゐて物言ひ、人の上など、わるきは、「わるし」などのたまひしに……。
 物忌奇(くす)しう、鶴・亀などにたてて、食(くふ)う物まづかい欠けなどする物の名を、姓(さう)にて持たる人のあるが、こと人の子になりて、「平(たひら)」などいへど、ただ、その旧(もと)の姓(さう)を、若き人々、言種(ことぐさ)にて笑ふ。ありさまも殊なる事もなし、をかしき方なども遠きが、さすがに人にさしまじり、心などのあるを、
「御(お)前(まえ)わたりも、見苦し」
など仰せらるれど、腹汚なきにや、告ぐる人もなし。
 一条の院に作らせ給ひたる一間の所には、憎き人はさらに寄せず。東(ひむがし)の御門(みかど)につと向かひて、いとをかしき小廂に、式部のおもとと諸共に、夜も昼もあれば、主上(うへ)も常にもの御覧じに入らせ給ふ。
「今宵は内に寝なむ」
とて、南の廂に二人臥しぬるのちに、いみじう呼ぶ人のあるを、
「うるさし」
など、言ひ合はせて、寝たるやうにてあれば、なほいみじう、かしがましう呼ぶを、
「それ起こせ。空寝ならむ」
と仰せられければ、この兵部(ひやうぶ)来て起こせど、いみじう寝入りたるさまなれば、
「さらに起き給はざめり」
といひに行きたるに、やがてゐつきて、物言ふなり。「しばしか」と思ふに、夜いたうふけぬ。
「権中将にこそあなれ。こは、何事を、かくゐては言ふぞ」
とて、みそかに、ただいみじう笑ふも、いかでかは知らむ。暁まで言ひ明かして、帰る。また、
「この君、いとゆゆしかりけり。さらに、寄りおはせむに、物言はじ。何事をさは言ひ明かすぞ」
など言ひ笑ふに、遣(やり)戸(ど)開けて、女は入り来(き)ぬ。

【読書ノート】
 成信の中将=九段に出てきました。「定澄僧都に袿(うちぎ)なし、すくせ君に袙(あこめ)なし」の方です。また、耳も良かった。→二五六段。
 あはれ=悲しい。「暁に行く」=娘が暁に伊予に出発するというので。今夜(こよひ)=夜が明けた時点から見れば昨夜。
 常にゐて=①私の局。→萩谷朴校注。②中宮の御座所=枕草子・小学館。場所によって、「御(お)前(まえ)わたりも、見苦し」の主語が違ってきます。①なら成信。②なら中宮の可能性が高い。萩谷先生は中宮の言葉としては不自然とされています。また、「「おはす」+尊敬の助動詞「らる」を用いた最高敬語が、権中将であった成信に用いられるのは不自然」という意見もあるようです。「見苦し」を中宮の言葉として、からかう女房をたしなめた。→枕草子・小学館。
 物忌奇(くす)しう=妙に縁起をかついで。鶴・亀などにたてて、食(くふ)う物まづかい欠けなどする物の名を=不詳。縁起担ぎを指す変わった名前の女房で。言種(ことぐさ)=話の種。殊なる=格別の。さすがに=それでもやはり。心などのあるを=その気でいるのを。
 呼ぶ人=成信(なりのぶ)の中将。二人が小廂にいると思って。
「うるさし」=煩わしい。面倒。
「それ起こせ。空寝ならむ」=主語は中宮。
 兵部(ひやうぶ)=例の女房。
 いひに行きたるに=呼ぶ人(成信(なりのぶ)の中将)の元に。
 いかでかは知らむ=(二人は)。
 ゆゆし=良いにつけ悪いにつけ程度が甚だしい。文脈から、とんでもない。変な人。さらに=絶対。女=兵部(ひやうぶ)。

「わたしなりの枕草子」#328

2012-02-26 07:54:55 | 読書
【本文】
二百七十三段
 日のうらうらとある昼つ方
 日のうらうらとある昼つ方、また、いといたう更けて、「子の時(とき)などいふほどにもなりぬらむかし。大殿ごもりおはしましてにや」など、思ひ参らするほどに、
「男(をのこ)ども」
と召したるこそ、いとめでたけれ。
 夜半(よなか)ばかりに、御笛の声の聞えたる、またいとめでたし。

【読書ノート】
 帝の真昼や真夜中のお召しは「いつもの用事ではなくて、なんの用かと」思われて素晴らしい。
 大殿ごもり=おやすみになる。

「わたしなりの枕草子」#327

2012-02-25 07:49:05 | 読書
【本文】
二百七十二段
 時奏する、いみじうをかし。
 時(とき)奏(そう)する、いみじうをかし。
 いみじう寒き夜中ばかりなど、ごほごほとごほめき、沓(くつ)すり来て、弦(つる)うち鳴らして、「何名(なんな)の某(なにがし)、時(とき)、丑(うし)三(み)つ」
「……子(ね)四(よ)つ」
など、遙(はる)かなる声に言ひて、時の杭(くひ)さす音など、いみじうをかし。
「子九(ここの)つ」
「丑八(や)つ」
などぞ、里びたる人はいふ。
 すべて、何も何も、ただ四つのみぞ、杭にはさしける。

【読書ノート】
 時報の話です。
 一日を子・丑・寅・卯……亥で十二分割して時刻を表していました。
 時間を管(かん)轄(かつ)する役所は陰陽寮(おんみようりよう)でそこに時司(ときづかさ)ってセクションがあったの。ここに水時計の漏刻が置いてあってさ、時間がくると鼓を打って、時報を教えたの。→桃尻語訳。
 子刻の時報は鼓を九つ。順次一つずつ少なくなって(丑は八つ……)、午の刻にはまた、九つに戻ります。時司(ときづかさ)は鼓を打って知らせていました。陰陽寮(おんみようりよう)は宮中の外の大内裏にあり、民間人(清少納言もそうでした)は鼓の音を聞いて、「子九(ここの)つ」「丑八(や)つ」など言っていたました。その間は三十分おきに鐘を鳴らしていました。
 子の刻のスタートが御前〇時とすると、子一つ(〇時、鼓九つ)→子二つ(〇時三十分、鐘)→子三つ(午前一時、鐘)→子四つ(午前一時三十分、鐘)→牛一つ(午前二時、鼓八つ)です。
 それとは別に宮中の時報がありました。
 三十分ごとに夜回りの近衛府の人間が順番に、時の杭(殿上の間の近くの小庭にあるタイムレコーダーみたいな杭)に行って、(魔除けの)弦(つる)うち鳴らして、「○○官の××、時、子三つ」と、帝に申し上げて、(札を)杭(くひ)に刺す。杭(くひ)の数は四本に限られていた。
 宮中での時奏。奏する=帝に申し上げる。
 ごほごほと=ゴトゴトと。擬声語。ごほめき=音をたて。
 丑(うし)三(み)つ=午前二時。
 子(ね)四(よ)つ=子(ね)四刻。→萩谷朴校注。午前零時三十分。
 あれ、さっきの説明と違う。基準となる時刻が違うと違ってきます。まあ、子の刻は真夜中で、午の刻はお昼です。正午なんて言いますものね。
 時の杭(くひ)さす=三十分ごとに札を時の杭(くひ)に刺す。
 三十分ごと時を奏して、杭(くひ)さす。だから、丑(うし)三(み)つ、子(ね)四(よ)つはあっても、民間人が言っていた「子九(ここの)つ」「丑八(や)つ」はないのです。
 理解の範囲では、大体こんなことだと思います。詳しくは桃尻語訳を読んで下さい。これもかなり分かりにくいけれど……。
 里びたる人=宮中にいない里の人。民間人。

「わたしなりの枕草子」#326

2012-02-24 07:43:00 | 読書
【本文】
二百七十一段
 屋は
 屋(や)は、
 丸屋(まろや)。
 東(あづま)屋(や)。

【読書ノート】
 屋(や)=家屋。
 丸屋(まろや)=茅や葦などで葺(ふ)いたそまつな家。
 東(あづま)屋(や)=四方へ檐(のき)を葺きおろした簡単な家屋。催馬楽の「東(あづま)屋(や)」が知られる。
いづれも歌語(特に和歌を詠む場合に用いられる言葉・表現)。「歌語」よい言葉を見つけました。

「わたしなりの枕草子」#324

2012-02-22 10:41:58 | 読書
【本文】
二百六十九段
 神は
 神は、
 松尾(まつのを)。
 八幡。この国の帝(みかど)にておはしましけむこそ、めでたけれ。行幸(ぎやうがう)などに、葱(なぎ)の花の御輿にたてまつるなど、いとめでたし。
 大(おほ)原(はら)野(の)。
 春日(かすが)。いとめでたくおはします。
 平野は、いたづら屋のありしを、
「何する所ぞ」と問ひしに、
「御輿(みこし)宿(やどり)」
と言ひしも、いとめでたし。斎(い)垣(がき)に、蔦(つた)などのいと多くかかりて、紅葉(もみぢ)の色々ありしも、「秋にはあへず」と、貫之が歌思ひ出でられて、つくづくと久しうこそ、立てられしか。 水分( みこもり)の神、またをかし。
 賀茂、さらなり。
 稲荷。

【読書ノート】
 神=神社。祭神。
 この国の帝(みかど)=応神天皇を指す。
葱(なぎ)の花=屋根にねぎぼうずを形取った金属製の擬(ぎ)宝(ぼ)珠(し)飾り。たてまつる=「乗る」の敬語。
 平野は~=主語は作者。いたづら屋=空き家。
 御輿(みこし)宿(やどり)=葱花輦(そうかれん)の置き場。平素は空き家で、行幸の折のめでたさを偲ぶことになる。→萩谷朴校注。葱花輦(そうかれん)って? 校注の校注が要ります。→「天皇の乗輿(じようよ)の一種。屋上に金色の葱花の飾りを付したもの。葱花は長く散らないから、めでたいものと考えられていた。鳳輦(ほうれん)に比し、やや略式で、神事・仏事をはじめ諸社への行幸、常の行幸、上皇・中宮・東宮の乗用などに用いられた」。鳳輦(ほうれん)って? →「屋形の上に金銅の鳳凰をつけた輿(こし)。即位・大嘗会(だいじようえ)など晴の儀式の行幸に際しての天皇の乗物」。大嘗会(だいじようえ)って? もう、やめた。
 斎(い)垣(がき)=社の境界をなす石垣や柵。
 立てられしか=(車を)。

「わたしなりの枕草子」#323

2012-02-21 08:22:57 | 読書
【本文】
二百六十八段
 檜扇(ひあふぎ)は
 檜扇(ひあふぎ)は、
 無(む)紋(もん)。
 唐(から)絵(ゑ)。

【読書ノート】
 檜扇(ひあふぎ)=桧(ひのき)の薄板を重ね、下端の穴に糸を通して要(かなめ)とし、上端を白や紅の糸で綴り連ねたもの。衣冠または直衣の時、笏(しやく)にかえて用いるもの。→広辞苑第六版。