創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

水底(みなそこ)の女 レイモンド・チャンドラー著 村上春樹訳

2018-04-28 14:50:56 | 読書
詳細に場所を語り、人物を語る。
その高密度な文章が場所を立ち上げ、人物が目の前にいるように動きだす。
まさに名人芸である。
チャンドラーのハードボイルドである。
いつしか読者は、小説の世界に引き込まれていく。
物語の華美で贅沢な世界に。

今日の一句

2018-04-22 15:55:54 | 俳句
今日の一句
かすみ草に添木を立てる薄暮かな
家の前の土手に色々と花を植えています。
ここまでするのが大変です。草引きが日課です。

かすみ草は何処?

少し離れた場所で、霞んでます。
でも、きっと一杯咲いてくれると思います。

1964年のバレーボール 後編

2018-04-21 06:57:06 | 創作日記
前日の続きです。



1964年のバレーボール 池窪弘務作

後編

――拝復
誘って頂いてありがとう。残念ですが用事があって行けません。それと、正直来年受験するか迷っています。
少し無駄話をしてもいいですか? 時間も便せんの余白も一杯あります。君も多分……。
入試に落ちた時、家に帰ると誰もいなかった。私に気をつかったのかもしれません。私は二階の自分の部屋に行かず、祖母の寝ている仏間に行きました。私の気配に祖母は目を開けました。枕元に坐って、
「あかんかったわ」
 と言うと、
「しゃないやん」
 と祖母は言いました。
久しぶりに会話が成立して嬉しかった。
明治十七年生まれの祖母は、今年から寝たきりになりました。明治ってどんな時代だろう。
――降る雪や明治は遠くなりにけり――
明治、大正、昭和と生きて、今は寝たきりになった。その人の末端に私はいる。私って何者だろう。突然変な話しになって済みません。
――何言うとんねんこいつ」――と思ったら、後は読まずに捨てて下さい。
祖母は道修町の薬問屋のこいさんとして生まれました。祖父はその店の番頭。道ならぬ恋です。結婚は許されたが暖簾分けは許されなかった。
『好き同士やったら結婚しなはれ。せやけど、二度とうちの敷居またがんといてな』
旦那さんはニコニコ笑いながら祖母と祖父に優しく言わはったそうです。ほんとはお腹に長男がいたはった。
祖父は独立して土佐堀に小さな薬種商を開きました。祖母は三人の男の子を産みました。長男は本家を継ぎ、次男は戦死しました。父は三男です。どういういきさつか詳しいことは知りませんが、祖父が亡くなって三男の父が祖母と同居するようになりました。
『おばあちゃんは、仏壇背負うてうちにきはってん』
いちびりの父はよく言ってました。
祖母は私が物心のついた時から家族でした。いつも私の味方でした。痴呆になり、父母の顔も分からなくなりました。でも、私は分かるようです。船場のこいさん。おてんばやったそうです。
八十才。人生をほとんど使い果たして、後は死ぬのを待つだけ。どんな気持だろう。私は想像もつきません。でも、私にもそんな日がやがて来る。必ず来る。
障子を開けると庭があり、今年も白木蓮が満開です。
塀越しに公園の満開の桜が見えました。
「――桜は咲いたのにうちは散った」――
気づくと祖母は眠っていました。
――どんな夢を見ているんだろう――
祖母のDNAも私の中にある。でも、それが何の意味があるのだろう。
――人間って孤独だなあ。私は私しか知らない。百人の友達がいても。私ではない――
お医者さんがやって来て、診察よりずっと長く父と世間話をしていました。その晩にはお坊さんが来て、枕経を上げていました。医者もお坊さんもご近所で長い付き合いです。
「うとうとしてる間に、あっちへ行ってしもて。死に目に会えへん親不孝な息子ですわ」
祖母に付き添っていた父は言いました。
「お母さんはあんたを起こさんように逝かはったんや」
お坊さんはお茶を啜りながら言いました。
父は薬剤師で、あの有名なT薬品のプロパーをしています。医師に頭が上がらないので、私に医師を薦めました。私が医師を目指した理由はそんなものです。
その父もひょっとしたらここにいなかったかも知れない。戦争中、『炭焼きの出来るもの』と言われて、即、手を挙げたそうです。――出来るものと言われたら、手を挙げや――と誰かに知恵をつけられていたのです。勿論炭焼きの経験なんてありません。でも、内地に残れた。そして私がいる。でも、誰かが父の代わりに激戦地に行ったかもしれない。父が呑気に炭を焼いている時に、父の代わりは戦死したかもしれない。炭焼きと私がいることの不思議。微妙につながってます。
それと、猫のミーコが消えました。祖母が亡くなったのと、ミーコがいなくなったのとどちらが先かは分かりません。あわただしい中で、誰も猫のことなど気にしていませんから。
いつもは祖母のそばで丸まっているのに。おばあちゃんがミーコを連れて行ったのかも。そう思って、ぶるっときた。それともおばあちゃんが亡くなったのでミーコが出て行ったのかも。
死に装束を着せられたおばあちゃんは、もう食べることも、眠ることも、息をすることもない。なんてのどかなんだろう。
私の生きる時間は、歴史の時間から見れば瞬きに過ぎないけれど、私には永遠なんだ。おばあちゃんも同じだと思う。繰り返しなんだ。どこにも私はいないし、どこにも私はいる。どこにもおばあちゃんはいないし、どこにもおばあちゃんはいる。
私の中を私だけの時間が通り過ぎていく。そして、二度と帰ってこない。一日が一秒になり、一年が一分になる。記憶という奇妙な時間に変わる。
変なことばかり書いてごめんなさい。
また誘って下さい。
               かしこ

返事は書かなかった。返事の返事はなんか未練たらしくって。それになんて書いたらいいのだろう。おばあさんのお悔やみを申し上げると数行で終わってしまう。ミーコを一緒に探そう。わざとらしい!
三ヶ月ほどして『また誘って下さい』に甘えて、模擬テストに誘った。猛暑の中汗まみれになり下手な文字を連ねた。小学生でももう少しましな字を書くだろう。
すぐにわずか五行の返事が来た。
 
拝復
私はお見合いをすることにしました。
相手は偶然お医者さんです。
父は今度は早すぎるとわめいていますが。
と言うことで、模擬テストは必要ありません。
                           かしこ

それから五十年余。
私の中を私だけの時間が通り過ぎて行った。そして、二度と帰ってこない。一日が一秒になり、一年が一分になる。あっという間に七十才の老人になっていた。人間とは孤独なものだと思う。独りで生まれ、一人で生きて、一人で死んでいく。誰も代わってくれない。Uさんは孤独な友達だったのかもしれない。
高校を卒業すると、高校時代の友達とはつき合わなくなった。大学も会社も同様にその時期毎に人間関係を切ってきた。それは私が孤独が好きなためだろう。親交を温める気になれなかったし、誰も誘ってくれなかった。その結果、友達の一人もいない孤独な老人になった。
妻とはそんな訳にはいかないから、四十五年も一緒にいる。
Uさんとも一度も会わない。私と同じ老人になっただろう。ひょっとすれば亡くなっているかもしれない。確認するすべもない。
手紙は大事にしまっていたが、小学生の時に貰った初代若乃花の手形と同じようにいつの間にかなくしていた。
Uさんは私の記憶という不思議な箱に仕舞われたままである。

          了
       平成三十年四月二十日(金)

2020年東京オリンピックもすぐにやって来る。年寄りの時間は早い。
1964年のオリンピック。
「えっ? そんな超昔にオリンピックがあったんですか」
「あったんだよ。俺たちの青春ど真ん中に」

1964年のバレーボール 前編

2018-04-20 17:11:55 | 創作日記
久しぶりに小説を書きました。



1964年のバレーボール 池窪弘務作

前編

――オリンピックっていつまで続くのだろう……―― 
ふと、ため息が出た。2018年冬季オリンピック。テレビはオリンピックに占領され、どのチャンネルも同じシーンが繰り返されていた。テレビが唯一の友達の私は途方に暮れた。その上、妻が手首を骨折して入院。三人の娘は結婚して家を出ている。広過ぎる家での独居だった。
誰とも話さない日もあった。今日は誰と話しただろう?
一日をリピートしてみる。
朝のウオーキングの時、すれ違い際に二言三言、同じ団地の人と話した。彼の連れている超小型犬は私の顔を見ると必ず吠える。蹴飛ばしたい衝動に駆られながら笑顔を作り、
――寒いですねえ―― と私。
――ほんま寒いわ―― と犬の散歩の人。
スーパーのレジで店員との会話。いや、私は喋らなかった。八百四十九円の買い物に千一円出した。『えっ?』と店員は言った。そして、気を取り直して、『千一円戴きます』と言った。一円玉と十円玉が増えてしまった。
小銭入れは十円玉と一円玉とではち切れんばかりである。
勧誘電話。丁寧にお断りをした。逆ギレされて家に押しかけられそうになったことがある。
妻とのメールのやり取り。
回覧板を受け取った。
天井を見上げながら、――そのくらいか――と思った時、
「みんな、バレーボールせえへん」
突然言葉が天井から降りて来た。短い夢を見たのだろうか? 認知症が始まったのか……。時々夢と現実が混ざる。周りを見渡したが何も変わったものはない。テレビ画面は、うーん名前が出てこない。一分後、フィギュアスケートの金メダリスト羽生結弦君のインタビューだ。何回同じインタビューを観ただろう。チャンネルを変えてもどの局も同じだったことがある。北朝鮮のテレビみたいだ。北朝鮮の人は、冬季オリンピックを観ているのだろうか。食傷しているなんて贅沢かもしれない。
 *
私にとって、オリンピックと言えば東京オリンピックだ。私は十八才だった。高校三年生。舟木一夫の『高校三年生』も流行っていた。
暴力教師が跋扈(ばっこ)していた中学時代と違って、穏やかな高校時代だった。もう、五十年以上も経つのだ。年も取る筈だ。
七〇数年戦争もなく平和に暮らしてきたことに感謝しよう。
あの頃は、女子バレーの連日の快進撃に日本中が沸いていた。サウスポーの宮本選手のお尻が好きだと高校生らしからぬことを言う奴もいた。東洋の魔女と言われたメンバーはストイックな感じがした。今のオリンピック選手の華々しさとは随分差があるように思う。白黒テレビであったということもある。
市立H高校では講堂にテレビを置いてオリンピック放送を見せてくれた。先生方の優しい配慮だった。
そして、私には忘れられないもう一つのバレーボールがあった。
――みんなバレーボールせえへん」――
Uさんが突然言った。講堂でオリンピックのテレビを観る時間だった。ほとんどの学生が教室から出て行ったが、七、八人は残った。理由なき反抗。その中に私はいた。
Uさんは私の憧れだった。今でもきっちりとその姿を思い出すことが出来る。クラス一、二の秀才で小柄な美人だった。感情を表に出すタイプではなくいつも静かだった。独りでいることが多かった。だから、バレーボールの提案に私は驚いた。
輪になってトスを上げた。ふざけてスマッシュする奴もいた。笑い声が上がり、秋の空にバレーボールが次から次へと回された。
H高校は大阪市の中心にあり、箱庭のように狭い校庭だった。講堂の窓から手を振る奴もいた。Uさんは晴れやかに笑いながら手を振り返した。

Uさんは医大の受験に失敗した。私も大学受験に失敗した。私は彼女に模擬試験に誘う手紙を書いた。長い返事が来た。用事があって行けない。それ以外は雑談のような文章が、綺麗な字で続いていた。

明日の後編に続きます。

『コンビニ人間』 村田沙耶香著

2018-04-02 15:39:00 | 読書
読了して、小林秀雄の『私の人生觀』という講演にある「天職」と言う言葉を思い出した。

天職といふ言葉がある。若し天といふ言葉を、自分の職業に對していよいよ深まつて行く意識的な愛着の極限概念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります。今日天職といふ樣な言葉がもはや陳腐に聞えるのは、今日では樣々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を見附ける事が大變困難になつたので、多くの人が職業のなかに人間の目的を發見する事を諦めて了つたからです。これは悲しむべき事であります。
古倉恵子にとってコンビニは天職である。
何も恥じることはない。
コンビニに出会ったことは僥倖であった。
残念ながら私はそんな仕事に巡り会わなかった。
だから、恵子が羨ましくって仕方がない。
小説の本領は、生き生きとコンビニで働く恵子の姿である。
音への反応(客、状況、空気を識別できる)、商品の扱い、店員との連係等々。
読者の未知な世界が溢れている。
私達の日常にあるコンビニはなんと魅力的な世界なんだろう。
全て天職のなせるわざである。
それだけでは小説にならないから、色々と枝葉をつける。
恵子の性格、世間の常識、その他色々と……。
いわゆるしがらみ。
恵子と対極にある白羽さんは天職どころか働くことが嫌いな理屈だけの男。
恵子と白羽の恋愛は絶対読みたくないと思っていたら、
作者はそのかけらも書かなかった。
この小説の素晴らしさは実感があること。
掌に重い小説です。