一コマ小説
○windowsを起動しています。
○大病院の中待合室の壁を透かしてみれば「バカ」と書いてあった。
○一日中 、雨。
○塔の中
○こんな小説を書きたい。ピエト・モンドリアン
○真珠の耳飾りの少女
○windowsを起動しています。
○大病院の中待合室の壁を透かしてみれば「バカ」と書いてあった。
○一日中 、雨。
○塔の中
○こんな小説を書きたい。ピエト・モンドリアン
○真珠の耳飾りの少女
先週の火曜日はプーシキン美術展(神戸)に行ってきました。奈良の家からかなり遠いのですが、そろそろ終わりとのこと、居ても立っても居られなくて出かけました。方向音痴なので三宮からタクシーで。小型タクシーでワンメーター。この前は千円ちょっとかかったのに。神戸で、タクシー乗るなら「こ・が・た」。
古典主義→印象派→キュービズムの時代の流れがよくわかりました。どの時代もアーティスト達の目指したものは「もっと自由に」だったと思います。ゴーギャンの≪エイアハ・オヒパ(働くなかれ)≫はひたすら空想にふけるタヒチ人の男女を描いています。空想は快楽。水谷豊のナレーションで巡りました。帰りに聖杯の前の聖母の複製を一枚買いました。家に帰り適当な額がないのでステーショナリーに行きましたが、賞状額しかなく、ダメ元で100円ショップに寄ると、A4のフォトフレーム がありました。部屋には「真珠の耳飾りの少女」(フェルメール)を飾っていましたが、入れ替えました。「真珠の耳飾りの少女」はA4のフォトフレームより少し大きいので、慎重に余白部分を切り取りました。名画が二つ。部屋が賑やかになりました。
それと、小さな発見。「真珠の耳飾りの少女」をさわっている内に、少女の顔が、淋しげに見えたのです。唇が少し開いている。どの方向にしても、じっと私を見ている。とても愛おしい気持になりました。「会えてよかった」と思うと、涙腺がゆるみます。年かなあ。
古典主義→印象派→キュービズムの時代の流れがよくわかりました。どの時代もアーティスト達の目指したものは「もっと自由に」だったと思います。ゴーギャンの≪エイアハ・オヒパ(働くなかれ)≫はひたすら空想にふけるタヒチ人の男女を描いています。空想は快楽。水谷豊のナレーションで巡りました。帰りに聖杯の前の聖母の複製を一枚買いました。家に帰り適当な額がないのでステーショナリーに行きましたが、賞状額しかなく、ダメ元で100円ショップに寄ると、A4のフォトフレーム がありました。部屋には「真珠の耳飾りの少女」(フェルメール)を飾っていましたが、入れ替えました。「真珠の耳飾りの少女」はA4のフォトフレームより少し大きいので、慎重に余白部分を切り取りました。名画が二つ。部屋が賑やかになりました。
それと、小さな発見。「真珠の耳飾りの少女」をさわっている内に、少女の顔が、淋しげに見えたのです。唇が少し開いている。どの方向にしても、じっと私を見ている。とても愛おしい気持になりました。「会えてよかった」と思うと、涙腺がゆるみます。年かなあ。
「多甚古駐在記」井伏鱒二。「皮膚と心」太宰治。「朝霧」永井龍男。「愛玩」安岡章太郎。「男と九官鳥」遠藤周作。「不意の出来事」吉行淳之介。珠玉の短篇小説が一挙に読める。読者冥利である。存命の作家が一人もいないのが淋しくもあるが……。「どうなるのだろう」という興味が最後のページまで私を引っ張っていく。そして読後の充足感。どれも素晴らしいが敢えてあげれば、「朝霧」と「男と九官鳥」が私の心に強く残った。「男と九官鳥」の最後の言葉「マ・ヌ・ケ」が何日も頭の中から消えなかった。
もう一つ最後まで読んだ小説があった。「ナナフシ」・島田奈穗子著である。ー2013年同人雑誌優秀作ーというタグがついている。登場人物の中で「恋人」に興味を持った。女に優しく、こまめで、中身がない。こんなのいるよなあ。終わりの部分は作者が少し怖くなった。
もう一つ最後まで読んだ小説があった。「ナナフシ」・島田奈穗子著である。ー2013年同人雑誌優秀作ーというタグがついている。登場人物の中で「恋人」に興味を持った。女に優しく、こまめで、中身がない。こんなのいるよなあ。終わりの部分は作者が少し怖くなった。
一コマ小説
○windowsを起動しています。
○大病院の中待合室の壁を透かしてみれば「バカ」と書いてあった。
○一日中 、雨。
○塔の中。
○こんな小説を書きたい。
○windowsを起動しています。
○大病院の中待合室の壁を透かしてみれば「バカ」と書いてあった。
○一日中 、雨。
○塔の中。
○こんな小説を書きたい。
東寺の五重塔が開扉していると聞いて出かけた。「三十三間堂」の帰りにでもよかったのだが、帰宅を急いでいた(何の理由もないけれど)。旅行は帰りが楽しい。ああ、やっと帰れると思う。ずいぶん昔のことだが、素直にそのことを言うと、「あんたとは二度と旅行に行かない」と言われったっけ。東寺には四年以上前に行っている。(もう四年も経つのか……)。立体曼荼羅に会えるのも楽しみだった。また、方向音痴が出た。拝観料を払って歩いて行くと、一般道路に出た。引き返して、寺の人に入場門を聞いた。阿呆ちゃうか。立体曼荼羅は異空間だ。魂が身体から離れて、曼荼羅の空間に遊ぶ。空海の浄土に遊ぶ。死が怖くなくなる。生も死もない世界だ。
五重塔の中は見てはいけない世界かもしれない。塔の中は死の静謐に満たされている。
写真の柳は小野道風のゆかりの柳です。
一コマ小説
○windowsを起動しています。
○大病院の中待合室の壁を透かしてみれば「バカ」と書いてあった。
○一日中 、雨。
○塔の中
五重塔の中は見てはいけない世界かもしれない。塔の中は死の静謐に満たされている。
写真の柳は小野道風のゆかりの柳です。
一コマ小説
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○大病院の中待合室の壁を透かしてみれば「バカ」と書いてあった。
○一日中 、雨。
○塔の中
私の住む奈良から京都は近い。何回も京都を散策していてもいいはずだが、意外と少ない。その原因の一は「体調」(すこぶる元気と妻は言うが)。その二は「方向音痴」(妻も十分認めている)。だが、人生も少なくなり始めたこの頃、そうは言っていられないと出かけた。まず、三十三間堂「千体の観音立像」。テレビで何回もやっていた。その度に、「行きたいな、行きたいな」ともどかしく感じていた。近鉄八木駅から特急で1時間弱。わざわざ「特急」に乗る。体調が心配だから……。おっ、久しぶりの京都だ。バスの乗り場を聞く。「三十三間堂はどの乗り場ですか」。声が緊張で震えている。「ここです」。目の前だった。バスはやっと待っていた人が乗り切れたほど混んでいた。閉所恐怖症? だが、我慢しよう。結局はひとりで行動するのが怖いのだ。やっと、入り口にたどり着いた。人も多くない。ゆっくり見られそうだ。切符を買って、「さあ、拝観」。ここで、「方向音痴」が出た。なんと「出口」から入ってしまった。前から人がどんどんやって来る。「方向音痴」=「いい加減に行動すること」。私はそれほど信心深くはない。絵画を見ることと仏像を見ることにそれほどの差がない。だか、仏教的空間が好きだ。そこは静かで、後先がない時間が流れている。自然と手を合わせる。
静謐な小説。小説の破綻もない。見事な短編小説。登場人物も少ない。場面は、回想が混じるが、車の中だけと言ってもいいだろう。村上作品には度々突飛な設定があったが、この作品にはない。深い現実があるだけだ。人生をじっと見つめ直す眼がある。ただ、「女のいない男たち」という副題が僕には分からなかった。「ドライブ・マイ・カー」で十分なのに。僕はこの小説をBookLive(電子書籍ストア)で買った。良い小説は、紙で読もうと、iPadで読もうと同じである。ただ、電子書籍の方が少し高い。流通費用も、印刷代も要らないのに何でだろう。
ふるさと歴史探訪ハイク「世阿弥ゆかりの地を訪ねる」に参加しました。世阿弥生誕650年を記念した催しでした。少し前まで世阿弥の亡くなった場所は不詳でした。それが補厳寺であると分かったのは大発見でした。
毎朝のようにウォーキングで通る補厳寺に物語りの種が生まれたのはある意味当然でした。歩きながら物語を紡ぎました。作品を書き終わってからこの催しに参加したのですが、説明や能を鑑賞しても不思議と作品とかみ合っていました。門の中は何もない。でも、物語はあったのです。話を「歴史探訪ハイク」に戻します。
世阿弥ゆかりの「秦楽寺」を訪れ千手観音立像を拝観。本光明寺から補厳寺へ。補厳寺の中には入りませんでした。お墓があるだけで何もないとのことです。庫裡も民家になっているとか。補厳寺は門だけの寺なんですね。中は広く、墓があるだけだと……。本尊は庫裡にあると言うことです。中には入れないのは残念ですが、死者が蘇ってくる「補厳寺参る」の世界とはよくマッチしています。
須賀神社で昼食後
最後は『敦盛』(半能)を鑑賞。「補厳寺参る」の世阿弥が舞い降りてきました。
毎朝のようにウォーキングで通る補厳寺に物語りの種が生まれたのはある意味当然でした。歩きながら物語を紡ぎました。作品を書き終わってからこの催しに参加したのですが、説明や能を鑑賞しても不思議と作品とかみ合っていました。門の中は何もない。でも、物語はあったのです。話を「歴史探訪ハイク」に戻します。
世阿弥ゆかりの「秦楽寺」を訪れ千手観音立像を拝観。本光明寺から補厳寺へ。補厳寺の中には入りませんでした。お墓があるだけで何もないとのことです。庫裡も民家になっているとか。補厳寺は門だけの寺なんですね。中は広く、墓があるだけだと……。本尊は庫裡にあると言うことです。中には入れないのは残念ですが、死者が蘇ってくる「補厳寺参る」の世界とはよくマッチしています。
須賀神社で昼食後
最後は『敦盛』(半能)を鑑賞。「補厳寺参る」の世阿弥が舞い降りてきました。