創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

連載小説「フーテン」第十一回

2010-05-31 18:43:10 | 創作日記
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文芸投稿誌

2010-05-31 10:55:47 | 創作日記
皆さんは文芸投稿誌というのをご存知ですか。「星と泉」星湖舎が出版している文芸投稿誌です。一般から投稿された文芸を「星と泉」という雑誌に掲載して頂けます。私の作品も2号と4号に今回の五号に掲載していただきました。まず審査があります。推敲の必要性を指摘されることもあります。推敲後に掲載ということもあります。審査に通りますと、入会金5000円と400字詰め原稿1枚につき800円です。私の今回の作品は7枚でしたので1万円ちょっとです。できた本は一冊頂けるし、購入義務もありません。適切な助言も頂けて参考になります。活字になった自分の作品を手に取るのは嬉しいものです。また、励みにもなります。今回は十冊ほど購入して、子供や知人に配ろうかなあと考えています。






連載小説「フーテン」第十回

2010-05-30 11:01:30 | 創作日記
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連載小説「フーテン」第九回

2010-05-29 13:51:55 | 創作日記
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源氏物語・大塚ひかり著

2010-05-28 10:45:40 | 読書
読了しました。大塚ひかりさんありがとうと言いたいですね。長い道のりをやっとたどり着けました。読んでみたい源氏物語・菊池規悦文・カワハラユキコ画にも感謝です。54の巻「夢の浮橋」。さまざまな余韻を残して物語は閉じます。定年後、読みたい本は「カラマーゾフの兄弟」、「ガリヴァー旅行記」、「明暗」等漱石の未読の作品、そして「源氏物語」でした。悪戦苦闘しながら読み終えました。「カラマーゾフの兄弟」は亀山郁夫さんの訳がなかったら読み切れなかったかもしれません。三年がかりで目標を達成です。あとは「源氏物語」の一巻でも原文で読んでみたいですね。

NHK学園通信講座「俳句入門」の三回目の添削

2010-05-28 09:15:41 | 創作日記
NHK学園通信講座「俳句入門」の三回目の添削が届きました。また添削者が変わっていました。
評価は五段階です。質問に対する回答がないことと、今回の添削句がどうも面白くない点でNHK学園通信講座に電話しました。講師の方が電話にでられて、質問に対する回答は添削者が行っているとのこと。講師が二百名(びっくり)、受講生も多く、もれたのだろうということです。後日、三回目の質問については封書で回答をいただきました。
質問は「目白来る小さき庭の冬あかり」で冬があるので冬の句として作りました。添削が「目白来る小さき庭の昼下がり」と目白の季語の夏の句となった点です。
回答は目白と冬あかりの季語が二つある点で、初心者はしっかりと一つの季語で詠むように指導しているとのことです。今回の添削句がどうも面白くない点はみなさんはどう思われますか? もと句の方がよい……。

一句目
時々、散歩の途中に翡翠(かわせみ)を見ます。翡翠の季語は夏ということですが、二月の中頃に、渓流にはほど遠い濁った川で三回見ました。一瞬の蒼い流れです。
○濁る川 翡翠の碧 流れけり  評価は4
濁るの説明は不要とのことで(そこが云いたかったのに
添削句は
川の面を 翡翠の碧 流れけり

二句目
去年の秋に植えたラナンキュラスが咲きました。わたしがはじめて咲かせた花です。庭は真っ暗ですが、ラナンキュラスの淡いピンクが月光にゆれています。
○ラナンキュラス 花影ゆれる 月明かり 評価は3
「月明かり」とラナンキュラスの季語性が弱いので秋の感じがはいるということで
添削句は
夕風に ラナンキュラスの 花揺れる

三句目
ウォーキング中に美しい青い蛇を見ました。住宅の庭からからだをくねらせて道路を横断していきました。蛇嫌いのわたしの足はすくみました。また蛇に怯える季節がやってきます。
○足すくむ 道路横切る 青い蛇 評価は3
「足すくむ」のような表現はできるだけ避けましょう。(なんでやろ?)
添削句は
蛇出て ウォーキング道 横切りぬ

電子出版

2010-05-26 18:39:09 | 読書
アップル社のipadの発売にともない電子出版についての議論が頻出しています。個人的には、電子本の方が読みやすい。DS文学全集で、漱石の長編をいくつも読みました。林芙美子の「放浪記」も読みました。正岡子規の「病牀六尺」も読みました。本当にすらすら読めました。そんなのは読書じゃないという声が聞こえてきそうですが、読まないよりは読めたほうがよいというのが私の立場です。漱石も、放浪記も病床六尺も本当に素晴らしかった。多分本なら途中で放り出していたと思います。また、いろんな付加価値をつけることも可能です。朗読を聞けるとか、登場人物の解説を簡単に読めるとかです。電子本のソフトが充実としてくれば。私にとってipadは買いです。今、五木寛之著「親鸞」が無料公開されていますので、一度見て下さい。ただコピーとかはダウンロードはできないようになっています。これはこれからの問題点だと思います。気に入った文章があれば自分なりのスクラップをつくりたいですものね。


○人間の建設13 岡潔・小林秀雄対談

2010-05-26 15:01:04 | 読書
○素読教育の必要と総論

素読(書物の意味や内容を考えず、ひたすらその文字を音読すること 注釈より)と音読とは少し意味合いか違いますが、声に出すということでは共通です。茂木さんが云っている音読もこれに通じます。私が今回試しみた書き写しも同じだと思います。織田作之助が書き写しをしていたとどこかで読んだことがあります。意味が直接入ってくるそんな気がします。源氏物語もそうして伝えられたのでしょう。とても楽しいことです。当然誤読の可能性はあります。それは音読でも素読でも黙読でも同じです。誤読の可能性はどんな読み方でもあるのです。書かれたものの内側に必ず作者の人間があるという信念は、読書の裏に読者という人間があるのも当然です。岡潔・小林秀雄対談を通読して、個人を越えたところに真の個人があるといっているように私には思えます。そこが出発点でそこが到達点であると云っているように思えてならないのです。でも西洋の個人主義とは異なります。他を先にして自分を後にせよというただ一つの戒律だと思います。
この読書ノートはなんども書き直されるものでしょう。いくら書き直しても永遠に完成はできない。誰にも。そんな気がします。最後に岡先生の含蓄のある言葉で締めくくります。
「理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。つまり理性の中を泳いでいる魚は、自分が泳いでいるということがわからない。」

人間の建設1-13 岡潔・小林秀雄対談をUPしました。左のリンクをクリックして下さい。右クリックで対象をファイルに保存の選択でダウンロードも出来ます。本を読むときの参考にして下さい。それと是非「人間の建設」をご一読下さい。
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連載小説「フーテン」第八回

2010-05-25 08:37:28 | 創作日記
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人間の建設12 岡潔・小林秀雄対談

2010-05-24 09:37:21 | 読書
○批評の極意
岡 神風のごとく死ねることだと思います。あれができる民族でなければなりません。世界の滅亡を防ぎとめることができないとまで思うのです。あれは小我を去ればできる。小我を自分だと思っている限り決してできない。
小林 あなた、そんなに日本主義ですか。
岡 純粋の日本人です。

このかけ合いはおもしろいですね。小林先生は少しあきれているように思われます。

小林 特攻隊というと、批評家は大変観念的に批評しますね。悪い政治の犠牲者という公式を使って。特攻隊で飛び立ったときの青年の心持ちになってみるという想像力は省略するのです。その人の身になってみるというのが、実は評論の極意ですがね。
岡 極意というのは簡単なことですな。
岡 私は数え年五つの時から中学4年生の時に祖父が死ぬまで、他を先にして自分を後にせよというただ一つの戒律、祖父から厳重に守らされたのです。
岡 死をみること帰するというのは、なつかしいから帰るという意味です。

評論の極意については「小林秀雄の想像力」という題で、無私の精神の本の帯に大江健三郎が書いています。さて探したがなかなか見つからない。小さな書棚にふっと隠れてしまいます。やっと見つかったら本文のどこにあったか見つからない。なかったのかもしれません。はじめて読んだときは、なるほどと深く感銘したものです。今もそれができている人は希だと思います。知識や理論を先にして、最も大切なことを忘れています。次に青梅雨・永井龍男著の話題になります。小説ですが、評論の極意が登場人物に活写されている小説だと思います。

岡 うかがっただけでも、感心しました。そういう小説があるのですか。
小林 ええ、こういう小説は、たしかに西洋人にはわかりにくい。これを死をみること帰するがごとしというのでしょうか。