創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

物語のかけら⑳

2006-09-24 09:06:24 | 創作日記
おはよう、石泥棒さん。さっき、スチュワーデスさんに尋ねたの。
日本は今何時ですか?
朝の10時前ですよ。身体を折り曲げて教えてくれる。あなたが「時の博物館」の扉を開ける頃ね。
小さな身体の私はエコノミーの狭い座席も気にならない。やせ我慢かなあ。お金もそんなにない。飛行機に乗ると、決まって聞かれる。お一人ですか。ええ、一人ですよ。すると、何かと気を遣ってくれる。寒くはないですか。のどは渇きませんか。きっと、小さな老婆が一人ぽっんと座っているからね。この飛行機は「世界の果て」行き?それとも、「世界の終わり」行き?高度一万メートル。ここが世界の果て…。世界の終わり…。

「物語のかけら」 第一部 完

物語のかけら⑲

2006-09-18 17:41:23 | 創作日記
ロレンツォは本を読んでいた。僕がそばを通り抜けても気づかない。以前来た時は映画のスクリーンの中にいるようだったが今は違った。確かな現実の中にいるようだ。ランプの明かりにロレンツォの影が揺れている。僕の影はない。この世界では僕は影を持たないらしい。

家の人の態度がコロリと変わった。城からのお金が変えたのだ。父も継母は浮き浮きしていた。二人の義姉は服の品定めに忙しかった。私には城からの白いドレスが一つ。王女様の前に出る時は、女は同じドレスを着るらしい。私は美しいドレスは要らない。
今夜は月夜だ。
誰かいる?
誰だろう?
奇妙な服を着ている。図書館で見た人だ。真っ黒な髪、真っ黒な瞳。私の方を真っ直ぐに見ている。

「イローナ」
絵の少女がいる。輝くような髪。金色の細い髪。それはかすかな風にもそよぐ。青い瞳。それはどんな深い泉より深い青。
「イローナ」
窓に近づき声をかけた。
「どうして?私の名前を」
言葉が通じた。イローナの声は直接僕の心の中に入ってきた。
「あなたは誰?」
誰かの声がした。聞いたこともない言葉だった。
「誰かいるの」継母の声がした。
「誰も」
振り返って私は答える。
「誰もいないわ」
庭に目をやると姿は消えていた。月明かりに夢を見たんだ。

僕は図書館に帰り、本の間に挟まれた左手の小指の影を見つけた。たった一つの自分の影だった。影に左手を合わせると、急に身体が軽くなった。いつの間にか、イローナの絵の前に僕はいた。

「紙屋悦子の青春」

2006-09-18 11:12:36 | 映画・舞台
よい映画は時間を忘れる。あっという間に半分以上が過ぎていた。戦争を扱いながら、少しも暗くない。時々、場内から笑いが漏れるユーモアもある。多分、戦時下には何処にでもあった話だろう。役者もみんないい。本上まなみ。小林薫。そして、原田知世。思わず胸が一杯になる後半。静まりかえった場内。絶えず聞こえている柱時計が時を刻む音。音楽はない。なかったと思う。
外に出ると若いカップルが闊歩している。平和や自由は既存のもので、求めるものではない時代。指一本触れ合うことのなかった恋をどう思うだろうか。どう感じるだろうか。ふと、彼らに問いかけてみたくなった。

「時をかける少女」

2006-09-18 10:57:48 | 映画・舞台
朝十時前の上演。並びながら、席はあるのかとシニア千円は心配する。原田知世、内田有紀、そしてアニメ。(個人的には内田有紀=単純にファン)。隣のテアトル梅田は「紙屋悦子の青春」。原田知世。因縁が時をかける。今日は映画のはしごをすっか。子供頃はよくやった。(よく連れてもらった)。正月は、新しいジャンパーを着せてもらって、三本立てのはしご。映画以外に娯楽はなかった。途中上映というのもあった。三本立てで時間が合わないから、1本目は途中から始まる。始まった途端化け猫が飛び出してきて、顔面蒼白になった。帰りの地下道で、階段から落ちたこともあったなあ。遠い昔…。「時をかける少女」は◎(二重丸)。「よかった」「うん、よかったね」出口でそんな会話が溢れていた。こんなのは久しぶり。
ランチタイムを挟んで丁度「紙屋悦子の青春」が始まる。素晴らしい作品にまた出会う。




「ゆきゆきて神軍」

2006-09-18 10:53:22 | 映画・舞台
二度目である。最初は確かテアトル梅田で見た。20年前である。その時の印象は、ざらついた画面、分かりにくいであった。今回、DVDで観ると、画面は美しく、話は分かりやすい。不思議だ。奥崎謙三
がニューギニアの所属部隊の真実を追求するドキュメンタリーである。上官の部下射殺事件、人肉を食した事実が明らかになっていく。時には乱闘になる。迫力のあるドキュメンタリーだ。だが、最後まで私は奥崎謙三に感情移入が出来なかった。それより詰問される人々、人に話せない過去を背負い戦後を生きた人々、その屈曲した表情、卑屈な態度、詰まる言葉に強く惹かれた。最後の登場人物(山田吉太郎)と奥崎謙三の論争である。
二度と戦争を起こさないために、真実を語るべきだと詰め寄る奥崎謙三に
「戦争って頭ないよ。みんな、生きることだけだよ」
と反論する。地獄を生き抜いた元軍曹の言葉だ。それに比べて真実を語るべきだと詰め寄る奥崎謙三の言葉はあまりにも軽い。職業的ですらある。病身の山田吉太郎を蹴りまくる奥崎謙三の正義とは何なんだろう。
私も、近々、戦争をテーマにしたドキュメンタリーを撮る。旧悪を暴くようにスタンスはとりたくないと思っている。