創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

遁走状態 (新潮): ブライアン エヴンソン, 柴田 元幸 訳

2014-04-26 10:43:46 | 読書
「どこまでも醒めた、19の悪夢」とある。悪夢ならしょっちゅう見ているよと思いながら読み始めた。
導入部分が上手いので、直ぐに小説世界に引き込まれる。

表現も的確である。
七番の「テントのなかの姉妹」に下の一節がある。
「下の子はいろんなことに、上の子と同じくらい早く気づくとは限らないけれど、いったん気づいたら上の子より強く感じるみたいだった。」
感性には確かに二種類あるようだ。
広く色々と感じる感性と早くはないし多面的ではないが深く洞察する感性。
姉妹の性格を的確に描写している。気配りと頑固。

自分とは? 、他人とは?、記憶とは?、現実とは? 分かっているようで、改めて問われると答えるのは容易ではない。この小説は異世界に紛れ込んだ恐怖小説ではない。異世界がシリアスな世界なのだ。いや、その境もないといった方がいいだろう。まさに、遁走状態。僕は安部公房を思い出した。

ヒヤシンス(風信子)

2014-04-21 17:37:46 | 身辺雑記
去年の冬、チューリップの球根を植えたのですが、すらっとした芽が、どの球根よりも早く出てきました。
妻が「それはヒヤシンスよ」。
「チューリップを植えて何でヒヤシンスが出てくるねん」と僕。
「ヒヤシンスの水栽培をしてたじゃない。花が終わった時、球根を大地に戻すって」。したかもしれない。
人は忘れても、巡る春を花は忘れない。
当て字でしょうが「風信子」がいいですね。詠太は見事に読みあげました。
私の俳句修行はここ



映画「トランス」

2014-04-04 16:24:55 | 映画・舞台
「トランス」
記憶について考えさせられた。私たちが他人を理解するのは他人に対する記憶である。例えばその他人がAならば、Aという記憶で理解している。私たちの記憶は穴だらけであり、錯誤に満ちているだろう。事実とは全く違う人物として理解しているのかもしれない。しかし、それは他人だけだろうか? 自分に対しても同じことが言えるのではないか。結局、自分が゜理解している自分も一つの妄想であるのかもしれない。
「トランス」を観るきっかけとなったのは前日ブログで紹介した「鑑定士と顔のない依頼人」のネットの感想の一つに、「トランス」の方がずっと面白いというのがあったからです。私の結論としては、面白いはともかく、「鑑定士と顔のない依頼人」の方が数段優れた映画だと思いました。だが、「トランス」は記憶について考えるきっかけを作ってくれました。これも、映画の楽しみですね。
この種の映画はいかに楽しく騙されるかですね。その意味でも、最高傑作は、「アザース」ニコール・キッドマンの美しさ、騙される快楽。未見の方は是非。




姫路セントラルパーク

2014-04-01 15:30:53 | お出かけ
先日、姫路セントラルパークに日帰りバスで行ってきました。年寄り夫婦が童心に戻りました。まず、昼間に一周。殆どの肉食動物は寝ています。特にライオンの爆睡にはみんな大笑いです。ただ、最も印象に残ったのはバク。交尾の最中だった。ものすごく長い性器は五、六十センチあったでしょうか。いや、もっと長いかもしれない。バスの中は一瞬静まりました。牝はじっとしているのですが、非協力的な感じです。のばした性器が届かない。「女の子、やる気ないなあ」と添乗員。「何しとんねん、頑張らんか」と、おばちゃん組。子供もいてんのになあ。せやけど、これも教育か。
夜は、ナイトツアー。動物は夜動きます。象が走る。大迫力です。
動物を見ていると、食べること、排泄すること、眠ること、繁殖することが、最重要課題なのがよく分かります。四つ目を除いて俺と同じ。
動物園も久しぶり。サファリーは初体験でした。あのバク成功…したかなあ。