共感するところが多々あった。
勿論世界の村上氏と町の作家とは比べるべきものはないだろうが、物語を書くという点でささやかな共通点はある。
私もテーマ主義ではない。
私小説的なものは書かない。
(書けない。読むのはそれほど嫌いではない。素晴らしい作品も沢山あると思う)
物語はどこから来るのだろう。
多分私という人間の全てからやってくるのだと思う。
それがあるきっかけで動き出す。
それは村上さんも同じだ。
学生時代に書いた私の最初の小説は、『雨の風景』という物語だった。
雨をぼんやりと眺めていた時、私の中で二人の19才の女性の会話が聞こえ始めた。まざまざと、目の前にいるように。
「えらい雨やわ。瓦の上を波打って流れてる。うわぁ、樋が溢れそうや。ねぇ、真理ちゃん」
夢からまだ覚めぬ物憂い頭を振って、真理子は、小さく寝返りをうった。
「あっ、近鉄の前行く人の傘、あっ、あのおっさんの傘、逆さまになったよ。風もきついねんねぇ。えらいあわててるわあのおっさん」
傘が並び、その先の鉄に雨滴がつたい、埃っぽい通路に、雫となって点々と落ちるのだろう。真理子はその風景をぼんやりと考えていた。
自費出版した本は手元に残る一冊だけになった。
このささやかな物語も、やがて消えてしまう運命にあるのだろう。
今まで気づかなかったが、『雨の風景』の後記に昭和44年11月25日とある。
その1年後、三島由紀夫が市ヶ谷で散った。
彼の遺作となった『豊饒の海』も壮大な物語だった。