創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

源氏物語 第三巻・大塚ひかり著(3)

2009-06-26 15:06:39 | 読書
読了。第三巻は玉鬘十帖と梅枝、藤裏葉です。この巻で第一部が終わります。私は合わせて、読んでみたい源氏物語・菊池規悦・文 カワハラユキコ・画を読んでいます。とても分かりやすく、複雑な物語を一望できます。例えば「六乗院には正妻の紫の上、明石君、花散里、玉鬘が住んでいます。さらに二条東の院にあの赤鼻の末摘花、出家した空蝉がいました」。また、画やマンガも適切で、単なるあらすじではなく、索引もついたとてもよくできた本です。

1Q84・Book1/Book2・村上春樹著

2009-06-25 20:28:13 | 読書
読書ノート9
Book3についていろいろな意見があるようだ。Book3はありえないと森達也は断言していた。でも、この人は続編はありえないと断言しながら、A2を撮った。Book3についてストーリーまで予想してる人もいる。私の思いは書かないで欲しいということ。もし書くなら、違う物語として書いて欲しい。1Q84・Book1/Book2は完結している。「物語の中にいったん拳銃が登場したら、それはどこかで発射されなくてはならない。それが物語というものの意味なの。拳銃は発射された。

ダブリナーズ・ジェイムズ・ジョイス・柳瀬尚紀訳

2009-06-25 20:07:20 | 読書
「ダブリナーズ」の作品は一回読んでもなんかぼんやりしていて、何が書いてあるのか分からない。二回目を読むと、霧が晴れるように分かる。それには理由があるようだ。当然私の読解力も関わることだけれど。例えば「写し」。
上司(アレイン)が部下(ファリントン)を呼んでいる。大変な剣幕だ。ファリントンは言い訳をする「シェリーさんの話ですと……」。アレインが「クロズビー氏にこの件を伝える……分かったな」と、恫喝する。後にシェリーが主任であり、事務所の名が「クロズビー・アンド・アレイン」であることが語られる。ダブリナーズを読みながら、なぜかレイモンド ・カーヴァーの作品を感じている。多分誤読だろうけど。多分。

1Q84・Book1/Book2・村上春樹著

2009-06-19 18:47:09 | 読書
読書ノート8
「心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しない」
読了。集中して読んだのに意外と時間がかかった。登場人物が丁寧に描かれていた。どの人物も作品の重要な要素だった。ずいぶん誤読をしているのだろう。私にとってそれは問題ではない。間違っていようが正しかろうが私はこう読んだ。そんなに開き直ることもない。読書は自由なものだと思います。読後感はとても充足している。作品全体が一つの意味を持っているように思った。二冊の本を秤に乗せ、もう一方の秤に意味を乗せると釣り合うような意味を。その意味を説明すると二冊の本が必要だというような。今は余韻を楽しみたい。ただ他の人がどう読んだかは少し興味があります。エピグラムを書き取った読書ノートは8で終わった。意外と少ない。私の爪痕のようなものだ。そして、余禄としてひらがなの使い方が勉強になった。

1Q84・Book1/Book2・村上春樹著

2009-06-16 08:46:16 | 読書
読書ノート7
BOOK2
第1章
青豆 あれは世界でいちばん退屈な町だった
国語の試験が何よりも苦痛だった。100字の要旨を10字以内にまとめよというのも困った。10字以内で書けるなら、何のためにそれ以上の文字が必要なのだろう。捨てられる言葉が可愛そうだと思った。それは何を指すのか、確かに代名詞が分からないのは問題である。それはそれである。代名詞が分からないのは文章に問題があると思う。村上春樹の作品はすらすら読める。だから、うっかり読み飛ばした箇所に、大切なメッセージが潜んでいることも。なるべくゆっくりと読もう。でも、Book1は読み終わった。
「あなたの方からその人に対して、何か働きかけをするつもりはないのですね?」
 青豆はくびを振った。「私にとって何より重要なのは、自分が彼を心から深く求めているという事実です」
「でもこれは物語じゃない。現実の世界の話よ」
 タマルは目を細め、青豆の顔をじっと見つめた。それからおもむろに口を開いた。「誰にそんなことがわかる?」

1Q84・Book1/Book2・村上春樹著

2009-06-15 10:13:27 | 読書
読書ノート6
村上春樹は「海辺のカフカ」の後に、正確に言えば2004年に「アフターダーク」を書いている。これはとても不思議な作品で、視点は映画のカメラのようだ。シナリオのト書きのようにシーンの説明だけが語られる。
1Q84・Book1/Book2は三人称で書かれていて、一見普通である。だが、名字で書かれた三人称と、名前で書かれた三人称があるのにすぐに気づく。青豆は名字で今のところ名前は書かれていないと思う。天吾は名前で一ヵ所川奈というが名字が書かれている。仕方なく書いたというように。名字は個人を規定しない。一つの社会と言ってもよい。作者も、青豆という名前は少数だがあると書いている。天吾は個人である。このことが何を表すのか私には分からない。ただ作者は視点について重視しているのは今までの作品からも明らかである。「ぼく」とか「わたし」の視点で書いてきた作者が「海辺のカフカ」以降変わった。視点が長編の世界を構築するのにとても重要な要素であると気づいた。Book1を読み終えて、1ヵ所だけ青豆と天五の視点を離れる箇所がある。Book1の途中の人はお楽しみに。

1Q84・Book1/Book2・村上春樹著

2009-06-10 09:22:26 | 読書
読書ノート4
第七章青豆 蝶を起こさないようにとても静かに
「どこかに必ず最後はあるものだよ。『ここが最後です』っていちいち書かれていないだけだ。ハシゴのいちばん上の段に『ここが最後の段です。これより上には足を載っけないで下さい』って書いてあるか?
青豆は首を振った。
「それと同じだ」タマルは言った。
青豆は言った。「常識を働かせ、しっかりと目を開けていれば、どこが最後かは自ずと明らかになる」
タマルは肯いた。「もし分からなくても―」、彼は指で落下する仕草をした。「いずれにせよ、そこが最後だ」

東寺 立体曼荼羅

2009-06-09 16:57:19 | 読書
「言魂・多田富雄・石牟礼道子著」の第九信「また来ん春」を読んだ時から、東寺の立体曼荼羅を参拝したかった。立体曼荼羅は講堂にあった(多田さんが金堂と書いておられるのは勘違い?)。二十一軀の仏像が立体的に配置に安置されている。密教浄土の世界である。すごい迫力である。この世界と能の世界が一体となったら、そこに宇宙が具現しても不思議ではない気がした。

1Q84・Book1/Book2・村上春樹著

2009-06-07 13:14:25 | 読書
読書ノート3
第四章天吾 あなたがそれを望むのであれば
○数学と小説の違い
「数学は僕にとって、なんて言えばいいのかなあ、あまりにも自然すぎるんだ。それは僕にとって美しい風景みたいなものだ。ただそこにあるものなんだ。何かに置き換える必要すらない。……」
「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を、僕にとってより自然なものに置き換えていく。つまり再構成する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる」