創作日記&作品集

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いとこ会

2016-08-12 14:59:32 | エッセイ
もう六十年近く前になる。「いとこ会」という集まりがあった。母方のいとこの会である。
母方の姉妹の三人が奈良県の栗野という田舎から京都に出てきたのは、長女が京都のK商店に嫁いだ縁だった。
昔の結婚の縁というのは面白い。
K商店はかなり大きな玩具問屋で、番頭、丁稚も沢山雇っていた。商売も手広く、日本各地に商品を流通させていた。それを頼って三人の妹は田舎から出て来たのである。
洋裁などの習いものもさせてもらっていたらしい。当然女中の仕事や子守なども彼女らの仕事だった。
実家は口減らしになるし、店は女手が増える。持ちつ持たれつである。
やがて、次女と三女は店の番頭と結婚する。次女と結婚した番頭(一番頭がよかった)は京都で、三女と結婚した番頭(一番働き者だった)は、大阪で独立する。
私の両親である。五女もK商店の紹介で結婚する。
何しろこの頃の子供の数は多かった。母の兄弟姉妹は何人いたのだろう。指を折っても途中で怪しくなる。
一年に一回ぐらい、四人の姉妹は京都の長女の家や次女の家に集まった。母親に連れられて子供らも集まった。大阪からが一番遠い。私は何時も気が進まなかった。話すのが苦手な気の小さい子供だった。
集まると母親たちは喋るのに夢中だった。年の離れた二人の兄は、いつの間にか年齢の近い従兄たちと消えていた。
私は何時も取り残された。取り残された私を一つ年下のさっちゃんが、
「二階で遊ぼ」
と誘った。
二階に上がると悦ちゃんがいた。
悦ちゃんは五女の叔母の一人っ子で私と同い年だった。
今まで見たどの子よりも可愛らしかった。私の初恋かも知れない。
悦ちゃんがさっちゃんの耳元で何か囁いた。
言葉は聞こえないが、二人は顔を見合わせて笑った。
そして、二人は私の方を見て、「遊ぼ」と笑顔で言った。
三人でじゃんけんをした。私だけが、「いんじゃん、ほい」と言ってまた笑われた。
楽しいような、照れくさいような時間が流れた。
そんなことで、いとこばかりが集まる「いとこ会」が出来た。
年長の従兄がリーダーになりキャンプに行ったこともある。
成人になると、保津川下り→湯豆腐というコースもあった。誰かの結婚が決まると集まることになった。
その頃悦ちゃんがいたのか記憶は定かでない。
一番若いいとこが結婚すると、「いとこ会」を開く機会が遠のいた。当然結婚はぽつぽつとあったわけだが。
後年、悦ちゃんとよく会ったのは、親戚の葬式だった。
年相応に太って、昔の面影はなかったが、笑顔は昔のままだった。
先日、「悦ちゃんが危篤だ」という電話が兄から入った。
悦ちゃんにまた葬式で会った。本人の葬式であることが悲しかった。
早々に離婚をして、女手一つで二人の子供を育てた。JRAに就職して生活も安定しているとも聞いていた。
葬式から今日まで、悦ちゃんのことを思わない日はない。何故だろうと自分でも不思議に思うくらいだ。
遠く離れていても大切な人はいる。
悦ちゃんはどんな人生を送ったのだろう。風の便り以外、私は殆ど彼女のことを知らない。
「いとこ会」がなかったら、顔も知らなかっただろう。
最後の別れで兄妹は泣きじゃくっていた。家族の涙の数ほど幸せな日々があった。そう思う。