創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

宇治拾遺物語(一六)尼地蔵見奉る事

2016-12-12 16:26:51 | 創作日記

いつの間にか御簾の向こうに年老いた尼が立っている。
あれは人ではない。(ーー;)幽霊か……。
幽霊も人に紛れて歩いているのか
私は、丹後国の老いたる尼でございます。
私のような身分の者がとお笑いでしょうが、
毎日夜明けに地蔵菩薩が*六道をお回りになるということを耳にしまして、
人間道に来られた地蔵菩薩とお会いしたいと、
毎日夜明けにそこら中を歩き回っておりました。
信心に身分の上下はない。
俺も、畜生道に落ちるやもしれん。あそこにふらついている犬か、夜着に飛び跳ねる蚤か。
地獄も嫌だが、人間界も気が進まぬ。もう飽きた

ある寒い日のことでございます。
大層奇特な方にお会いしました。
そのお方は裸で現れたのです。
そいつは博打打ちだよ。身ぐるみ剥がれて放り出されたのさ

『尼君、こんなに寒いのに、何をされているのですか』
と聞くので
「地蔵が夜明けにお歩きになるというので、お目にかかり**結縁を賜りたいと、こうして歩いているのです」
と言うと、
気をつけなされ。
そいつは盗人だ。
尼君が死んでいるのは、そいつに殺されたのか?

するとそのお方は、
『地蔵様がお歩きになっている道を知っているよ。こっちへいらっしゃい。会わせてあげましょう』
と言いました。
「まあ、なんと嬉しいことでしょう。地蔵のお歩きになるところに私を連れて行って下さい」
とお願いしました。
『何かお礼の物をいただければ、すぐに、お連れ申しましょう』
本性を現しよった

「私の着ている衣をあげましよう」
『それでは参りましょう』
ばあさん、騙されたらだめだ。
そいつは『じぞう』という子供の親を知っているだけだ

「そのお方は近くの家に私を連れて行きました」
ひょいと戸を開けて
『じぞうはいるかい』とお聞きになると、
親は、
「今あそびに行っているが、もう戻るころだよ」
と答えました。
『さあここだ。『じぞう』がいるところだ』
とその方は仰いました。
私は嬉くて、紬の衣を脱いで渡すとその方は衣を取って、さっさと行ってしまいました。
「地蔵に会わせて下さい」
と私が親に言うと、
「どうしてうちの子の『じぞう』に会いたいのだろう」
と、親は首をひねるばかりです。
そのうちに、十歳ばかりの少年が戻ってきました。
「これが、『じぞう』です」
と親が言いました。
地蔵菩薩は子供の姿でお現れになりました。
「ああ、地蔵菩薩やっとお会いできました」
私は、たちまちその場で膝をつき、土に額をこすりつけるほど、地蔵菩薩を拝みあげました。
子どもは小枝を持って遊びながら帰ってきたのですが、
その小枝で手遊び(てすさび)に額をかいたところ、
額から顔の上の方まで裂けてしまいました。
すると裂けた中からなんとも言えないほど素晴らしい地蔵菩薩の顔が現れたのです。
私にだけ、お姿をお見せになったのです。
拝んでいた私が顔を上げると、そこには地蔵菩薩が立っていらっしゃいました。
私は涙を流してさらに祈り、そうしているうちに極楽へと旅立ってしまいました。
子供が夜明けに遊んでいるのも不思議なことだ。
子供が地蔵菩薩だったのか、地蔵菩薩が子供の姿で現れたのか。
これほど信心深く念じていれば、仏の姿さえ目に見えるということだ。
あの博打うちも知らないうちに功徳を積んだのかもしれない。
ああ、いつの間にか尼の姿は消えていた。
帰った。
蝉の声も今朝から聞こえない。
ひと夏鳴いて、次は何に生まれ変わるのだろう。
秋風が吹けば都へ帰ろう。

*六道:すべての衆生 (しゆじよう)が生死を繰り返す六つの世界。迷いのない浄土に対して,まだ迷いのある世界。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道。→大辞林
**結縁:仏道に入る縁を結ぶこと。→広辞苑

数字の不思議

2016-12-11 10:38:09 | 身辺雑記
朴槿恵大統領の弾劾訴追案の採決は、賛成234票、反対56票で可決。
23456!
続き数字です。
国の一大事に神様が振った番号でしょうか?
私はロト6の同じ番号を20年間買い続けていますが、しばしば数字の不思議を感じます。
私の結果はって? 一万円以上が数回だけ、千円もパラパラ。
千円札の消える貯金箱です。

草木塔・種田山頭火著

2016-12-03 14:15:27 | 俳句
iPadで青空文庫の「草木塔・種田山頭火」を読んでいる。
有名な句もあるが、
殆どが流れていくような旅の句である。
風景も心情もただ流れていく。
意外なほど平凡な句。
これは私の方に問題があるのだろうか。
そんなことを考えながら読み進めていくと、
ある時点から、自分も旅をしているような気になった。
かすかに山頭火の背中が見えた気がした。
けふは凩のはがき一枚
また、珍しく定型で季語もある俳句、
ふるさとの土の底から鉦たたき 

宇治拾遺物語(74)その3

2016-12-01 16:06:06 | 創作日記
074 陪従家綱行綱兄弟互ひに謀りたる事 
これも今は昔、陪従はさもこそはといひながら、
これは世になき程の猿楽なりけり。
「陪従とはそんなものだけど」と
揶揄した調子で始まる。
これは=今から話すこと。猿楽なりけり=猿楽そのものなのだ。
弟は、兄の猿楽を盗み、兄は仕返しに弟の猿楽をぶちこわす。
それも、「猿楽そのものなのだ」と言っている。
笑い話なのだ。
古人の深い洞察が感じられる。
「むかしがたり」を小説にするのは面白い。
芥川龍之介の専売特許にしておくのはもったいない。