ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2025.1.4 エスワン2クール18日目のこと 休薬日4日目 美味しいランチで友人と過ごす贅沢な土曜日

2025-01-04 22:51:15 | 日記

 昨夜は、夫のスーツを買っている頃から立っているだけでふらふらして(自分の買い物ではなかったから、と言うわけではない。)、やけに疲れてしまう。夕食は美味しかったけれど、腹痛もあり、帰宅したら電池切れで動けなくなった。身体を奮い起こして、二度手間覚悟で何とかブログを1日分アップし、MSコンチンを飲んで入浴し、ベッドに入った。

 今朝は土曜日仕様のアラームが鳴って目が覚める。直ぐには起きられず、1時間ほどグズグズしてから起床。午後から来客があるので、洗濯機を廻し、夫が少しでもカロリーのあるものを、と作ってくれたオニオングラタンスープを啜りながら朝食を摂る。PCを開けると、漸くブログのシステムトラブルが解消された模様。それにしても丸2日のダウンはかなりのダメージだろう。

 洗濯物を干し、夫がざっと掃除機をかけてくれる。私は細かい所をささっと整えるだけで息絶え絶え。もう取り繕っても仕方ないので、色々行き届かないことを予めお詫びしておく。
遅めのランチを一緒にとのことだったので、1時位からスタンバイしていたけれど、ランチを2人分買って頂くお願いをしており、あちこちでの買い物に加え、乗り継ぎが大変だったようで、2時近くの到着となった。
夫は昼過ぎ、自分がいると邪魔でしょう、と以前から行きたかったという神社まで我が家名代で初詣に出かけた。

 グルマンのRちゃんが沢山の荷物を抱えて到着される。地元の八幡神社で病気平癒のお守りも頂いてきてくださったとのこと、有難く頂戴する。
 ランチのサンドイッチに加え、夕飯になるだろう押し寿司や茶わん蒸し、デザートにはプリン、口内炎が辛くて・・・と言った私が食べられそうなものを見繕ってあれやこれや。夫には彼が大好きな大福まで。量が食べられなくなってしかも口の中が痛いということで、当初ちょっとずつ色々の目に嬉しいお弁当をお願いしていたけれど、サンドイッチで十分かな、と我儘なリクエストしたら、ご自身が好きというサンドイッチを2人分。
ここのパンはとても美味しくて、自宅付近にお店がないので、とても嬉しかった。自宅だからこそ、外のお店ではなかなか出来ないけれど、フォークとナイフで一口サイズに切ってジャスミンティ―とともに頂く。

 ゆっくり時間をかけて1人前4種類、お腹に入れることが出来た。さすがにRちゃんはこれでは足りないでしょうとお寿司を少し摘まんで頂く。私は夫と一緒に夕飯に頂くことに。食後は玄米茶とともにフルーツを頂き、最後は珈琲でトリュフチョコを。
 あっという間に2時間半ほどが経過する。体調の事やお互いの90代の母のことなど、話は尽きない。これだけ喋っても咳込まずにいられるのはMSコンチンのおかげである。11時に飲み、12時半くらいから効き始めたので、Rちゃんが滞在中、ちょうどいい感じで過ごすことが出来た。

 夫から、神社の最寄り駅が入場制限をしているほどの混雑で、お賽銭場所まで達するのが大変だったと写真が送られてきた。参道のお蕎麦屋さんで遅いお昼を摂り、夕方帰宅した。Rちゃんはお母様の介護もあり、長くお引止めすることも出来ず、夫と入れ違いでお帰りに。これに懲りずにまたお会いしましょう、と玄関先で失礼した。

 洗濯物を取り込んで、畳み、収納を終えてからドラマの録画を視てから夕食にしたが、夕飯はRちゃんのおかげで作らずに済み、お持ち頂いた押し寿司と茶わん蒸し、夫が作ってくれたお味噌汁で豪華な夕飯と相成った。
 母にMeet通話をするも、相変わらず出ないので携帯電話で。今日は何とか家電まで行かずに話が出来た。今日もイベントでデイサービスに呼んで頂けたので、家にいても仕方ないから行って来たとのこと。有難いことだ。Rちゃんの来訪を告げると、良かったわね~と。

 旅行中の息子夫婦、最後は結婚式でお世話になったホテルのバンコク店ですっかり贅沢三昧した模様。二度目のハネムーン扱いをして頂けたそうだ。部屋は夕方6時迄使えて、夜の飛行機にも余裕だという。1週間以上これだけ遊びつくしたのだから、週明けからの仕事に明日一日でリハビリを済ませるのはさぞつらいのでは、と他人事ながら気になってしまう。

 ということで、今日の家事は洗濯と洗い物のみ。明日は体調が許せばヨガスタジオで身体を温めて来たいと思う。

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2025.1.3エスワン2クール17日目のこと 休薬3日目は終日ほぼウトウトとするばかり

2025-01-03 22:16:13 | 日記


 昨夜は母を無事帰宅させ、夫が帰ってきてからようやくほっとしてリビングで足を延ばして横になる。実の母とはいっても一緒に暮らさなくなってから優に35年以上経っている。生活のペースも何もかも違う。そんな中、今や母の面倒をみるどころか自分のこともろくに出来ず、ほぼ全て夫に頼るような状態で、夫に気兼ねしながら、母が何かヘマをするのではないかとドキドキしながら気を遣い、この2泊3日、やはりかなり疲労困憊した。

 MSコンチンを飲んで入浴を済ませ、早々にベッドに入った。何となく息苦しさがあるが、疲れが勝っていたのか、何とか眠りについた。


今朝はアラームが鳴り、寒いのでグズグズしていたら、母から携帯が鳴る。またLINEの写真を見ようと触っていて間違えて押してしまったようだ。折り返したけれど、うんでもすんでもないので、もう一度眠る態勢に。今日からデイサービスだという。3が日も返上でスタッフの方たちには本当に感謝である。

 今日は洗濯もお休みの休務日だ。ベッドの中で夫が点けたテレビで駅伝をちょっと視て、キリがない、とゆっくり起きてリビングへ。夫と2人で朝食。昨夜はウサギさん便が少し排出出来ただけなので、1週間ぶりにスインプロイクを飲んだ。

 復路は残念ながら母校は1位ランクダウンだったけれど、昨年までの順位を思えば素晴らしい。


 そのままだらだらとお昼が過ぎる。朝に昨日のブログ記事をアップしようとしたら、まだログイン出来ない。ちょっと繋がったかと思うと、すぐに切れてしまう。お正月早々困ったものだ。私は勝手に書いているブログだから別に損害はないけれど、ビジネスに直結しているとか困っている方たちは大変だろう。


 朝、おせちを片付けそれ以外にもしっかりお腹に入れたので、お昼はバナナ一本で終了。珍しく夫も昼食を摂っていなかった。新春ドラマの録画をウトウトしながら視る。

 夕方、夫が欲しいというジャケットを買いにアウトレットモールに出かけた。結局、ジャケットではなくスーツで着回し出来るものがあったので、それをお買い上げ。裾のお直しは新春セールで混んでいるのか18日までかかるらしい。私は当然何も見ず、何も買わず。

 母にカレンダーを気前よく渡してしまったら、我が家のリビングのモノがなくなってしまい、慌てて駅前まで買いに行ったが、見事にほぼ売り切れである。別の日に大きなお店で探さなければ・・・である。


そのまま夫が前から行こうよと言っていたアウトレットモールのイタリアンへ。なんと、あと10日でクローズだそうだ。息子が同居していた頃はよく通っていたが、最近すっかりご無沙汰していた。まさかクローズとは。

 フェットチーネとピザを頂き、イタリアの旅を思い出しながらポット一杯のレモンティーを頂いて帰宅した。スインプロイクは穏やかに効くとはいえ差し込むような腹痛がある。下痢はせずに普通便で済むのは本当に有難い。午後と夕方にお腹が大分スッキリしたが、夜はすっかり軟便だった。


 年末年始目一杯タイ旅行を満喫した息子夫婦はいよいよ今晩が最後の宿泊で、明日夜遅い飛行機で帰国する。精力的に水上マーケットやらタイシルクのお店やらに行って、ホテルのプールにも入って楽しそうである。クッションカバーの可愛いのを見つけたというので、我が家の分もお願いしたらなんとお揃いだそう。


 帰宅しても相変わらずブログのシステムトラブルは続いていて、PCから記事がアップ出来ない。なぜかスマホではログインができるので、メールで飛ばして昨日の記事はアップしたが、なんとも面倒な話だ。


 明日は体調を見ながらドタキャンもありで、お友達がお昼に見えることになった。お腹の調子と口内炎で食べるのがちょっと億劫で、ご機嫌な顔が出来ないことは予めお詫びしておく。


 ということで、あっという間に3が日も終了。結局家の事など何も出来なかった。

 母にMeet通話をしたら、大変なのは何となくわかっていたけれど、実際に(私を)見て、現実が判ったので良かったとのこと。浮世離れした人なので、どこまでわかっているのか定かではないけれど、貴女だけは大丈夫よね、という根拠のない安心(というか無理な思い込み)だけは少しずつ取っ払ってもらわないと、後々厄介なことになりそうである。

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2025.1.2 エスワン2クール16日目のこと 休薬2日目 洗濯日和

2025-01-03 21:20:06 | 日記


 


 昨夜も母を早く寝かせて、私達はリビングでひっそりとTVの音を小さくして過ごす。MSコンチンを飲んでから普段の時間にベッドへ。寝る前は痰が絡んで肺の下の方から湧き上がってくるように出る咳が不快だったけれど、なんとか寝付いた。今朝はアラームが鳴り、またベッドでグズグズしていると、夫が起こしに来てノロノロと起きる。何をするにもよし、と思ってから動き出すのに時間がかかる。

 年賀状のコメントで心配したお友達からLINEが入る。私の居住最寄り駅まで行くので体調的に可能なら無理のない範囲でお昼でもお茶でもというお誘い。有難いことである。大人数で逢ってワイワイというのはもはや体力的にきついし、わざわざおいでい頂いてもなかなかご機嫌な顔は出来ないし、ゴホゴホしながらも失礼だし、なんといってもぼーっとしていてケアレスミスが頻繁なので、どうしたものかと悩みつつ返信する。

 

 朝はおせちの残りを皆で時間をかけて何とか平らげる。夫が用意してくれて、母と夫はレンチンご飯とお吸い物で。私は主食はなしで、おせちだけ紅茶で頂く。かなりの品数だったが、和のお重が2段で洋のお重も1段だったので、飽きずに頂けた感じ。夫が選んだ北陸応援のおせちはアタリだったと思う。

 MSコンチンを飲み、出来上がった洗濯物を干す。夫と一緒に手分けして洗濯物を干している姿を見て、母が、「パパ(父)は一回もそういうことをしてくれなかったわねえ」とポツリ。ハイ、昭和の頑固親父ですから、それは専業主婦の母の仕事だから我関せず、と思っていたのだろうけれど、主婦の家事仕事は本当に切りがなくて大変。家の中がちゃんとしていて当然と思うなら、一度やってみれば良かったのに、と、時、既に遅し、の今更ながら娘は思う。

大晦日に生協のお届けがあったのも申し訳なくも有難かったが、その大晦日の昼過ぎに、コロナ禍で買ったパルスオキシメーターがどうも調子が悪い(SpO2がピコピコした挙句、99%等と出る。普通にしていてもそれなりに息苦しいのにさすがにそれはないだろう。病院で測ると大体9596%がせいぜいである。そんなわけで新しいものをぽちっとした。コロナ禍に注文した時は、配送まで1か月以上かかって到着にジリジリしたものだが、今回は5日配送とのこと。お正月だし、まぁしょうがないよね、と思っていたらなんと昨日元旦の朝、早くもお届けがあった。配達員さんはどれだけのお正月手当を出してもらっているのか心配になるほどだ。年初からそんなに普段通り働かせて申し訳ない。

 通常の洗濯を1回終えて、あとはニット等私のおしゃれ着洗いで1回廻す。それだけで今日の営業終了という感じ。夫と母は箱根駅伝を見ている。往路、母校は3位だった模様。大学合唱団のLINEもそれなりに盛り上がっていた。明日は少し座って視られればいいけれど。何をするでもなく、年賀状の整理と追加の印刷だけで昼が過ぎてしまった。暗く鳴る前に追加で出す年賀状を出しにポストまで歩くことに。なるべく坂のない楽な道でポストもあって、ともすればお茶もして帰ってこられることを目論んで出かけたが、残念ながらスーパーもカフェも全部クローズだった。そのまま踵を返してとぼとぼと帰宅した。やはり駅前かアウトレットモール迄行かなければダメだったようだ。それでも3日ぶりに靴を履いて外の空気を吸えたので、気分転換になった。


 昨年3月のイタリア旅行でご一緒して意気投合したた夫と同郷のNさんから夫宛てに年始のご挨拶がLINEで届いた。5月にトルコ旅行を予定しているので、よろしければご一緒にどうですか、というお誘い。次はトルコに行きたいと言っていたのを覚えてくださっていたようだ。元気だったら一緒に行けたら楽しいよね、と夫と話すも何分5月末の体調なぞ予想だに出来ない。先日の診察で、主治医に「こいつ何言ってるの、馬鹿じゃないの、と思われるかもしれませんが、3月、結婚35周年の珊瑚婚式を祝してトルコ旅行を予約しています。トルコは2020年コロナ禍に予約したもののツアーキャンセルになって5年越しの旅行目的地です。もちろん体調次第で、無理なら仕方ありませんが・・・」と言ってみたら、一笑に付されることもなく「じゃあそれを目標に頑張りましょう」と言って頂いた。自分でも無謀なことを言っているなと思うが、イタリアに次いで実現出来ればと思う。それにはやはり体力を戻さなければ、である。今のように駅まで往復してヘトヘトでは話にならない。


 夕方予約したお寿司が無事届いて3人で頂く。

 食後は、夫が母をタクシーでサ高住まで送り届け、再びタクシーで帰宅した。2泊3日の母の我が家滞在は夫の力がなくては実現出来なかった。本当に有難いことである。私が出来たのは恥ずかしながらお風呂洗いとゴミ捨ての前準備(捨てに行くのは夫)と、洗い物程度。明日で三が日も終了。もう少し何か家の事が出来ると良いのだけれど。

 せっかく早めにブログをアップしようと記事を書いたのに、今日は1日システムトラブルでブログにログイン出来なかった。トホホ・・・。

 

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2025.1.1 エスワン2クール15日目のこと 夜から休薬 お雑煮だけ作りました

2025-01-01 21:53:29 | 日記

  あけましておめでとうございます。
 おかげさまで、夫と母と3人揃って我が家で2025年を迎えることが出来ました。

 今年、2025年は乙巳の年。「きのと・み」は「努力を重ね、物事を安定させていく」年。このため、2025年は多くの人にとって成長と結実の時期となるとされています。巳は脱皮を繰り返すことから、再生や変化の象徴とされていると同時に蛇は神聖な生き物とされ、生命力や不老不死のシンボルでもあります。 乙は木のエネルギーを表し、しなやかに伸びる柔軟性や協調性を象徴しているそうです。
 命ある限り少しずつでも脱皮を繰り返して進化していければ、と思います。生命力や、柔軟性、協調性をも頂けたら定年後のおまけとして頂けた日々を生きていく上での大きな力になりそうです。
 引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 昨夜は母が早々と入浴して休んでしまったので、年越しの除夜の鐘を聞くとか年越しそばを頂くどころではなく、MSコンチンを飲んですぐにベッドに入った。
 今朝は4時前に何となく目が覚める。胃が重く痛む。5時半くらいに目はすっかり覚めてしまうが、さすがに起きるには早いのでベッドの中でグズグズ。とはいえ、ここ数日の中で大分早い起床になった。

 昨夜から仕込んでおいたお雑煮を仕上げ、おせちを並べ、お神酒で新年の挨拶と乾杯(私は舐めることもせず)を済ませる。何とかお雑煮は頂いたけれど、おせちは目で楽しんで、ちょっとずつ摘まんだだけで殆ど頂けず。いつからこんなに胃が小さくなってしまったのだろうと臍を噛む。
 それでも、せめてお雑煮くらいは作ります、が叶ってほっとした。味覚異常で塩気を強く感じ過ぎてしまうので、夫に味見してもらった。上唇と下唇の裏側とべったりと出来てしまった口内炎のおかげで何を食べても沁みるので、ついつい食べるのが億劫である。

 お雑煮の支度以外は夫が全て台所仕事を担ってくれた。母の世話もしかりで、布団の上げ下ろしから何から皆お任せしっぱなしである。本当に申し訳ない限りだ。
 食後はMSコンチンを飲み、夫が年賀状を取りに階下のポストまで行ってくれる。その整理をするだけで結構な時間を取られる。本当に事務処理能力が大いに落ちているのが情けない。頭にかかったカスミが取れない。

 まだだった家中のカレンダーを付け替えていると、母が自宅のカレンダーがないというので3部分ける。今日はお洗濯はお休みの日。明日からゆるゆる始動のつもりだ。
 テレビは相変わらず視たくなるような番組をやっていないので、消して静かに過ごすことに。母は私が普通に話した声に全く反応しない。補聴器をしていてもそんなに聞こえないのか、と唖然とする。私の声が小さいから、と言うが、なるほど今は大きな声を出すとすぐに咳き込むので少しトーンを落としているが、そもそも私の声は通るので、それほど小さいとは思えない。それでも母は何となく聞こえたふりをしているので色々頓珍漢である。

 朝から昼までずっと食べ続けていたので、お腹は全然空かない。それよりも、早く目覚めてしまったせいで睡眠不足なのか眠くてだるくて。母が見たいというので、プロが撮影してくれた息子の結婚式の写真を見たり、息子が小さかった時に祖父母(私の父母)と一緒に行った海外旅行のビデオを視たりしながら、結局夕方からは普段のようにリビングでウトウトしてしまった。

あっという間に外は真っ暗。私が寝ている間に夫が夕食の支度をしてくれる。既に主婦業完全廃業である。母は昨夜の鍋も、今夜のパスタも自分では作れないから何年振りかしら、などと言って、嬉しそうに食べている。普段1人で一体何を食べているのだろうと心配になるが、私の親なので当然か。
 明日の朝はおせちが殆ど減っていないのでそれを片付け、夜はお寿司を取っているので、それで食事の心配はないだろう。
 

 昨日も今日も籠城蟄居。せめて明日は外の空気を吸いに行こうか、と思っているがどの位元気でいられるものやら。
 ところで、年賀状に書いた私のコメントを見て、何故かこれまですっかり元気になったと勘違いしていた人から、今の私にとって神経が逆なでされるようなLINEが来た。自分の友人はがんで亡くなったが、緩和ケアをしつつやりたいことをやって有意義に過ごしていた、遺された日々、最期まで自分の命は自分のためにだけ使ってやりたいことをやってください、というような。
 言われなくてもそのつもりなのだけれど、それを改めて元気な人に言われるのは、仕方がないこととはいえ気持ちがささくれる。

 また、モルヒネを使っていることを知って、モルヒネは依存症になるから心配でしょう、などというアドバイスをくださる人も。医療用麻薬はそんなことは決してないのだけれど、つくづく中途半端な知識で中途半端な声掛けをしてはいけない、沈黙こそ金だ、と自戒の念を込めて思う元旦の夜である。
 



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2024.12.31 2024年総決算、どんな1年だったか

2024-12-31 23:55:51 | 日記


 2024年大晦日。
 今日は予約していた温泉旅行をキャンセルして母を我が家に招き、静かに年越ししている。モルヒネ内服のおかげで酷い咳で夜眠れないこともなくなり、ひとまず母を受け入れることが出来たのは有難いことだ。
 もし、あのままコデインを飲んで我慢していたら、と思うとぞっとする。それでも体調は極めて低空飛行。いつも眠くて疲れていて息苦しくて少し動くとすぐ息が上がる。駅から自宅までの登り坂や居住棟の2階までの階段がこんなにきついとは思わなかった。つくづく3階や4階の部屋にしなくてよかった。

 一方、痛みは殆どなく、あれこれ今後の準備もしながら心は穏やかである。とはいえ、振り返れば今年も色々なことがあった。

 10月末、17年近くお世話になった主治医が転勤し、新しい主治医に変わった。息子の結婚式が無事終了したタイミングでCT撮影をしたところ、肺の腫瘍等の増悪。そして、待ってましたとばかりに咳や息苦しさが悪化。11月から体調は悪化の一途を辿った。12月半ばからはMSコンチン+オプソというモルヒネのお世話になっている。そのおかげで咳が鎮まり、夜、横になって眠れるようになったのは本当に有難い。
1か月近く座った体勢で眠らざるを得なかったのはしんどかったし、このまま咳で呼吸が止まってしまうのではないかと思うくらい苦しかったからもう限界だった。モルヒネが痛み止めという理解は覆された。


 今年2月から3月にかけても咳と喘鳴が酷かったが、コロナ禍のため2年遅れてしまった退職記念・イタリア旅行に行くために、人生5度目の脱毛と引き換えにドセタキセルとフェスゴの治療を開始した。
 結果、びっくりするほどシャープに薬が効き、咳は鎮まり、無理だと思っていた旅行に行くことが叶った。
振り返れば今年もいろいろあった。ここで改めて今年一年を振り返ってみたいと思う。

1月  
 京都1泊、mikaさん美容院3回目(3月の予約は脱毛の為、シャンプー・カットも出来ず、泣く泣くキャンセル)
 母がサ高住に引越し、そのタイミングでかなりハードな実家の断捨離を敢行。
結婚34周年の旅行は、都心の5つ星ホテルに1泊。母の引越し・実家断捨離の慰労会と兼ねる
 「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第21回目
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ7回目
瞑想ヨーガ指導者養成講座2回目実技テスト合格、無事修了

2月
 息子夫婦、母と5人で鬼怒川温泉2泊旅 日光観光も楽しむ
 「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第22回目
 ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ8回目
 ロシアのウクライナ侵攻開始から2年経過
3月
 咳と喘鳴が酷くなり、カドサイラ7クールで中止、ドセタキセル+フェスゴに変更 人生5回目のカツラ生活に
副作用による体調不完全なまま、5年ぶりの海外旅行・9泊11日のイタリア周遊旅強行 途中離脱せずに無事帰国
 「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」、第23回目
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ9回目
 定年退職から丸2年経過。

  4月
  「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第24回目。
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ10回目
 ドイツレクイエム練習再開

5月
 沖縄へ那覇1週間滞在旅 40年振りに知人と再会を果たす
 ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ11回目
「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第25回目。
  オンライン断捨離3部作読書会スタート

6月
 誕生日祝賀旅行と称して中国・四国地方へミステリーツアーとモニターツアーで、間を置かずして2回参加 ドセタキセルの副作用不調の中、63歳を迎える
  大学OB・OG合唱団練習スタート
 「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」はASHAREさんのご都合により当面の間中止、その間、個人的にクラスを続けていくことに
 7月
 夫白内障手術 1週間を間を置いて両目無事終了 
  ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ12回目
「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第26回目。 
 母の誕生日祝いに都心一泊、夫と3人で祝賀ディナー

 副作用による体調不良が酷いため、ドセタキセルは7クールで終了、フェスゴとタモキシフェンに切り替え
 
   月初と月末、2回治療の月。
8月
 「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第27回目
  母を連れて温泉2泊の旅 帰りは台風であわや足止め
9月
 
 「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第28回目、「ぐっすり眠れるオンライン夜の瞑想ヨーガクラス」第12回目

 夫誕生日記念でマレーシア4泊5日の旅へ 久々に東南アジアの空気に触れる
10月
 
みなとみらいの大ホールで約40年振り、Y先生の指揮で昨年6月から1年以上練習を続けてきたドイツレクイエムを歌う
 校友会音楽祭参加、Y氏の指揮でMissa brevis「新しい歌」等4曲を歌う
 息子の挙式、披露宴が無事終了、黒留袖の代わりにこのために誂えたロングドレスの正正装で
 夫初めての大腸内視鏡検査、ポリープ切除1回目

11月
8か月休会したホットヨガスタジオに復帰
CT結果によりフェスゴトタモキシフェン中止、エスワン内服に切り替え
インフルエンザ予防接種
コロナ禍を挟み、5年越し念願の瞑想ヨーガハイブリッドクラストライアル開催 好評を博す

12月
 夫とともにコロナワクチン8回目接種
 夫、大腸ポリープ切除2回目
 
 日記を遡ると、7月まではドセタキセルの治療後は体調が悪く寝込んでいる時が多い。その後8月からは猛暑の中、10月のイベントに照準を合わせて体調の復調に努めている。
 オンラインでのヨガ、がん関係イベントには参加しているが、基本は出かけることなくおうち時間が長かった。その中でも10月の3週連続のイベントを無事実現させたことは我ながらよく頑張った。
 今年の3大ニュースは、
 ① 昨年のこの記事で願わくば・・・と書いた息子の挙式、披露宴に91歳の母とともに出席出来たこと。
 ② ドセタキセル7クールで打ち止め、フェスゴとタモキシフェンに切り替えるも効果なく、11月からエスワン内服に切り替え。咳が酷く12月半ばからモルヒネ内服開始で人心地着く。
コロナウイルスワクチン接種、インフルエンザ予防接種も済ませる。
 ③ オンライン瞑想ヨーガクラス、夜のクラスは継続、5年越しの念願ハイブリッドクラストライアル開催したこと、だろうか。
 
 読書量は相変わらず少なく38冊。昨年は50冊だったからさらに10冊ほど減っている。仕事を辞めてこれまでより時間があるにもかかわらず、全然増えていないどころか減る一方だ。体力が落ちてしまい、堪え性がなくなったこと、家にいるとどうしてもあれこれ家事が気になってゆっくり腰を据えて読書出来ないこと等も原因か。
 7月まではドセタキセルの治療だったし、具合が悪いと好きな本すら読めない。治療開始以来コンスタントに100数十冊、一番多かった頃は300冊を超えていた。今の体力を考えると、そんな日はもう戻ってこないだろう。

 レビューを書く時間もとれないが、そのために無理はしない。当日の治療日記で、面白く読めた本の題名に触れる程度で精一杯だ。

 映画は、録画して観ることが多かったのは変わらない。WOWOWの録画やアマゾンプライムが殆ど。飛行機で見たものが7本。映画館で観たのは僅か7本。合計77本で、昨年より30本増えている。具合が悪くても横になってダラダラ見流すことが出来たということか。観っぱなしで、レビューが書けていないのもこれ迄と同じ。ブログの記事に何を書こうかと考えながら観て、疲労困憊するのはナンセンスだと学んだ。

 体調不良もあり、11日間のイタリア旅行の後は、5月に沖縄1週間、6月に3泊4日の中国・四国ツアーに2回参加した後、8月に近場の温泉旅に出かけたくらい。それ以降は遠出はしなかった(11月から1月の旅行は全てキャンセルした。)。
 きつい治療を続けながらも、身体を動かせそうな時には出来るだけ身体を動かし、体力をなるべく落とさないように、月1度、M先生に来て頂くプライベートヨガレッスンは続け、自分でも体調をある程度コントロール出来るようになったつもりでいたが、本当にしんどいとそれも叶わなかった。体重が落ちると同時に体力もすっかり落ちてしまった。治療を続けていく上で体力維持が必須であることは分かっているけれど、どう頑張っても動けないの時は致し方なかった。
 筋肉を落とすと、抗がん剤は効きにくく、副作用も酷いということも分かっている。咳が酷く夜も眠れず、モルヒネのお世話になっているが、それでもこうして普通の生活が続けられているわけだから、感謝しなくてはなるまい。

今年も土日に誰かと会うために遠くまで出向くことはなかった。お出かけはほぼ夫とだけ。体調不完全で母との時間も去年ほど取れなかった。
 本当にこの人に会いたいと思えば、リモートでも会える有難い世の中である。けれど、今年も思い切って逢うことを実現させた感想は、やっぱりリアルに勝るものはなし、である。

 これまで同様、クリスマスもお正月も、特段の準備もしなかった。専業主婦生活3年目、普段の家事をこなすことすらおぼつかない。夫にかなりおんぶにだっこである。要介護認定申請も終え、介護保険証も頂き、緩和ケア病棟の入院登録等、先回りの準備も着々と進めている。

 病を得てほぼ20年、定年まで働き、さらに3年近く生き伸びている。国民健康保険証のお世話になれるとは。退職する時、2年間限定の共済組合の任意継続会員が最後まで使えるともゆめゆめ思わなかった。生きているだけで丸儲けの人生第二章はいつまで続くだろう。

 病を得た時には8歳だった息子も無事所帯を持つまでになった。私の役目はお嫁さんにバトンタッチ出来たように思う。挙式と披露宴に高齢の母と共に参列出来、冥土の土産になったと思う。生かされている身、生きているだけで苦しく辛い日もあるが、最期まで私らしく、コツコツと精一杯日々を重ねていこう。
 私なりに、私らしく、細く長くしぶとくがモットーであることは命ある限り変わらない。私がいなくなった後、夫が少しでもソフトランディング出来るように出来る限りの準備をしておきたい。

 明日からスタートする2025年巳年はどんな年になるのだろう。理不尽な侵略戦争はまたしても年を越し、再燃した紛争も長引きそうである。誰も平和を望んでいないわけではないのに。

 長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
 来年も気力・体力が続く限り綴っていきたいと思っています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 2025年巳の年を迎え、皆様がより健やかで穏やかでありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。
 どうぞ良いお年をお迎えください。
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