ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.1.7 寒中に浴びせられた冷や水

2014-01-07 21:39:39 | 日記
 昨日から仕事始め。9連休後、冷え切っているだろうと覚悟して出かけた職場は、外があまりに寒かったのでやけに暖かく感じた。が、机上の温度計を見ると14度。それでも皆が出勤するにつれて17,8度になった。
 昨年末に積み残した仕事はなかったけれど、明日からの段取り等を整えて過ごす。
 日差しは暖かかったが、外に出れば終日風が強く冷たく、傷口に沁み渡る感じで傷んだ。

 寒中だからやむなしのことなのだけれど、実際の寒さに加えて、昨日浴びせられた冷や水にはとても落胆し、情けなく哀しく、私の力をかなり奪った。

 詳しくは書かないけれど、本当にがっかりした。とても残念だ。この期に及んで、息子のことである。

 僅か15分前に「わかった。」と言ったことを平気で反故にし、そのまま体勢を立て直すこともせず、ずるずると夕方まで家にいた。結果として時間切れで出来ませんでした、といういつもの事態である。
 午前中から気になって、何度も連絡したもののそれにも応答せずじまいだった。

 どうしてだろう。すぐに白日の下に晒されてしまうことを、どうして繰り返すのだろう。
 子供の頃から、嘘だけはつかないで、約束は守って、人に迷惑をかけないで、と育ててきたつもりである。けれど、実際はどうだろう。そうした嘘をつかせるように私が追い込んでしまっているのだろうか。
 比較するにはあまりに対象が悪いかもしれないけれど、その場限りの言い逃れ、嘘が嘘を呼んでどんどん自分の首を絞めてあとは八方塞がりのドン詰まり-惨憺たる幕引きを演じた都知事の記憶が新しいが、まさにそうではないか。

 たとえペーパーテストで運良くどこかの大学から合格通知を頂くことが出来ようが、そうした人間は“人として”早晩誰からも相手されなくなるのだという私の言葉は一体どれほど彼に届いているのだろうか。(また、ぎゃあぎゃあ言っている・・・)と私が必死で話している間、意識を飛ばしてでもいるのだろうか。

 一度“母”になったら母を降りることは出来ない。
 このまま社会に出すわけにはいかない、と思う。なんとかしてもう少し生きていかなければ、きちんと伝えていくべきことを伝えていかなければ、とも思う。

 今朝、夫は、一昨日亡くなった義父の妹の夫葬儀のため、故郷へと向かった。前回義母の四十九日法要の折は往復飛行機だったけれど、直前だし、雪で欠航という心配もあるから、とドアツードアで片道6時間弱をかけて、新幹線と特急の乗り継ぎの旅だ。
 これから夫不在の3日間が始まる。
 なんとか心穏やかに息子と対峙していかなければ、と思う。他でもない、私のたった一人の息子なのだから。
コメント (4)
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