ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.4.18 何が正しいか、本当はよくわからないけれど

2014-04-18 20:42:19 | 日記
 愛読している読売新聞の医療サイトyomiDr.で今年1月から連載されている帝京大医学部准教授の新見正則先生のコラムに、なるほどな、と思ったので、長文だが、以下転載させて頂く。
 先生は昨年9月、マウスにオペラ「椿姫」を聴かせると移植した心臓が長持ちする研究でイグ・ノーベル賞を受賞されるという異色の経歴を持つ方だ。

※    ※    ※(転載開始)

イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常
 人は自分の立ち位置でものを言う(2014年4月11日)

 今日は人間ドックの臨床研究のはなしです。ひとはそれぞれの立ち位置でものを言います。手術が好きな人は、手術を正当化するような論文にひかれます。抗がん剤を研究している人は、抗がん剤が有効であるという研究に興味を持ちます。
 がんは早期に見つければ、早期発見の努力を徹底すれば、治療が早くはじめられるので、長寿につながりそうです。僕も昔は当たり前のようにそう思っていました。

マンモグラフィーは意味がない?
 今日はひとつの臨床研究を紹介します。これがすべて正しいわけではありません。ただ、こんなしっかりした研究があり、僕がその結果も参考にしたいだけです。雑誌はイギリス医師会雑誌(British Medical Journal)に今年載ったものです。タイトルはTwenty five Year follow-up for breast cancer incidence and mortality of the Canadian National Breast Screening Study: randomized screening trialですので、ネットサーフィンすればすぐにわかります。タイトルの英文は「カナダで乳がん検診の結果を25年間にわたって追跡した臨床研究で、無作為試験」というような意味です。無作為とはくじ引きで分ける方法です。カナダの40歳から59歳の9万に近い女性をマンモグラフィーというお乳のレントゲン検査と触診を毎年行う群(マンモグラフィー群)と、マンモグラフィーは行わずに触診だけを行う群(触診のみ群)に分けました。
 その結果、マンモグラフィー群では4万4925人中666人に、触診のみ群では4万4910人中524人に乳がんが見つかりました。そして亡くなった患者さんは、マンモグラフィー群で180人、触診のみ群で171人でした。つまりほぼ同数ですね。詳細は原文を見ればわかりますが、結論はマンモグラフィーの検診はこの臨床研究からは意味がないということになります。

がん早期発見は患者のためか
 ピンクリボン運動が日本でも盛んです。その中には、乳がんの早期発見のためにマンモグラフィーを勧める論調も多数あります。ぼくは、女性が乳がんに関心を持って、そして自分で触診することはとてもいいことと思います。でもマンモグラフィーを毎年行って、そして早期のがんが見つかって、そして早期に介入してもほとんど意味がないという結論も正しいように思えます。これはそれぞれが信じるかどうかの問題です。僕は、早く見つけても遅く見つかっても生命予後に影響しないのであれば、精神衛生上も、ある程度の大きさになってから見つかって治療した方が本人のために思えます。
 もちろん、マンモグラフィーの有用性を訴える論文もあります。人は、それぞれの立ち位置でものをいいます。マンモグラフィーは検診のひとつです。人間ドックでは医療保険は利きません。「顧客」です。顧客を獲得するために、マンモグラフィーの有用性を強調する論文が引っ張り出されて、マンモグラフィーの有効性が否定される論文は、ちょっと出番が少なくなることは有り得ますね。

何が正しいかはなかなかわからない
 臨床研究にはいろいろなバイアス(偏見や先入観)がかかります。そんなところも感じ取って、臨床研究をフェアな目で見られるように、僕はやっと最近なりました。そんな立ち位置で、患者さんと接していきたいと思っています。医療は進歩しています。どちらが正しいかわからない状態が続いているようにも思えますが、情報は蓄積されていきます。将来的にはもっとシロクロがはっきりします。
 さて、乳がんの領域の臨床研究でだれもが認める素晴らしいものは、手術の方法です。
 僕が研修医の頃、乳がんの治療はお乳を全部取り、そして胸の大きな筋肉である大胸筋も切除するというものでした。手術後には肋骨が皮膚の下に直接触れるので、洗濯板のようになりました。この手術は乳房切断術といって、100年近い歴史があるものです。以前は不治の病であった乳がんですが、この手術をすると5年も10年も長生きする人が現れました。素晴らしい結果です。
 ところが、僕が研修医の頃から、そんな大きな手術は本当に必要かという疑問が生じたのです。そこでくじ引きで、従来通りの大きな手術をする群と、腫瘍だけを取ってお乳を残す群に分けた臨床試験を行ったところ、ふたつの群間に生存率に差がなかったのです。本当にそうなのかという疑問が生じましたが、その後たくさんの臨床研究が追加されほとんどすべてが同じような結果でした。そして、今は昔のような大きな手術をすることは例外的になりました。医療の素晴らしい進歩ですね。
 なにが正しいかは、実はなかなかわからないのです。それまでは、自分が正しいと思うことをやる、正しいと思っていることを患者さんに勧めるしかないのです。しっかりと主治医と相談して決めて下さい。医療はグレーの領域をウロウロしながら、着実に進歩しています。
 人それぞれが、少しでも幸せになれますように。

(転載終了)※   ※   ※

 ひとはそれぞれの立ち位置でものを言う、というのは冷静に考えてみれば至極当然のこと、である。
 だからこうして日々ブログを書いている私も、あくまで自分の立ち位置-フルタイムで就業を続けながら再発進行乳がん治療を6年以上続け、大学生の一人息子を持つ母-で書いているので、“?”と思われる方、“そんなことはないでしょう”と思われる方がいても当然だと思っている。

 マンモグラフィの件(くだり)についても、そうだろうな、と思う。
 どうも“早期発見をして早期治療をすれば治る!”ということが、ピンクリボン運動等では強調され過ぎている気がする。もちろん大半はそうなのだろう。というのも、私の立ち位置から言わせて頂ければ、毎年真面目に検診を受けつつ、1年経たないうちに-つまりその年の検診の前に-自分で見つけ、病院に出向き、「早期だから治ります。大丈夫!」と太鼓判を押されて標準治療を一通り行い、その後3年経たないうちに再発・多発転移した、という病歴を持っているからだ。

 もちろん、自覚症状があるにもかかわらず好き好んでそのまま放置し、進行させて大変な目に逢う必要は全くない。けれど、唯一自分で触れて分かる乳がんについては、必要以上に頻繁に検診を受ける必要はないのだろうな、とも思う。安心料なのかもしれないけれど、検査結果でグレーだったり、要精密検査の通知が届いたりすると、シロクロがはっきりするまでの間、精神衛生上はあまり良いものではないから。

 私が手術を受けた2005年2月には既に温存手術が主流になりつつあった。だからその恩恵も被ることが出来た。あの時、全摘していたら果たしてどうだったのだろう、と思うことが全くなかったと言えば嘘になるけれど、その後のボディイメージを想えば、「温存で大丈夫、全摘の必要はない。」と言われているのに敢えて、「すっぱり切っちゃってください!」とまで踏み切ることはできなかった。

 そう、何が正しいかは、誰もなかなか分かるものではない。全ては結果論である。
 けれど、自分が患者として日々勉強を続けながら正しいと思ったこと、信頼する主治医が正しいと薦めてくれる治療を信じて細く長くしぶとく治療を続けていくことが、私にとって一番現実的かつ心穏やかに過ごすための秘訣なのではないか、と思っている。

 今日は本当に寒かった。冷たく細かい雨が降り続き、昼休みの外気温は9度。4月の真冬日に震え上がってしまった。
 が、心を温かくする嬉しいニュースも。待ちに待った新薬T-DM1が今日、いよいよ販売開始になったとのこと。そう、わからないことは沢山あるけれど、それでも間違いなく医療は日々、確実に進歩しているのだ、と思う。
コメント (2)
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