ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.4.30 嵐のように卯月も去りぬ

2014-04-30 20:15:19 | 日記
 1日、息子の大学入学式に始まった今月。
 翌日から3日出勤した後は3週連続となる週末泊で京都行き。その次の週末は、間に1日通院をこなしつつ4日間の勤務を終え、1泊でたぁさんお見舞いと学問の神様御礼詣りのため九州行き。そのまた次の土曜日には、実家の両親と息子の入学報告会を兼ねた昼食会。翌、日曜日は爪囲炎悪化でダウンし、プチ虹のサロン月例会も欠席。終日籠城蟄居で、荒れ果てた部屋を見ながらため息連発で家事に専念。
 その翌朝早く、たぁさんの訃報を受け取る。全く予期していなかったかと問われれば嘘になるけれど、それでもショックは大きく、落ち込み続けた1週間。這う這うの体でなんとか出勤を続けるも、週末迄気分は全く晴れず。 心配してくれたお友達が気分転換に、とフレンチのランチ会を企画してくださるも、タイケルブと抗生剤のせいでお腹の調子も爪囲炎の両足もイマイチ。却ってご心配をかけ、場の雰囲気を盛り上げられず、なんとも自己嫌悪の申し訳ないことになってしまった。
 そしてその翌日は、再び家事に専念、遅ればせながら衣替えに着手した。
 ふと気付けば世の中は大型連休に突入し、あっという間に今日で4月も終わりである。

 明日からは風薫る皐月、5月。
 2014年もまた3分の1が過ぎたのだと思うと、たじろいでしまう。
 こうしてドタバタドタバタと日々を過ごしながら、私なりに歳を重ねて行くしかないのだろう。毎日を愛おしみ大切に、と思いながら、気付けばまったくもって落ち着きのない日々である。
 けれど、こうして自分が行きたい時に行きたい所に自分の足で行けること、これは本当に幸せなことなのだと実感する。誰の助けも借りずに、自分の意思で移動出来るということは人間の尊厳に関わるものだと思う。

 たぁさんのお見舞いに伺ったときに彼女が言われた言葉―「こうなってしまってからでは遅いんです。だから、やりたいことはやれるときにやらなければ、本当にだめですね。」―が重く響く。
 何度も書いているけれど、こと乳がんという病気は再発しても長期間にわたる治療が続く。タイプごとに沢山の武器(治療薬や治療方法)があるから、数年にわたって体調をうまくコントロールすることが可能だ。
 もちろん、初発の治療が終わった方たちは“再発するかもしれない”などと必要以上に心配してあれこれ行動制限することは決して、ない。心配している時間も、我慢する時間ももったいないではないか。
 万一再発しても、いくらでも治療の手立てはあるし、考え、動き回る時間もある。だから、「再発してしまったのだから・・・」と、いろいろなことを我慢して、自分から籠ってしまうのでは、本当にもったいない。

 出来る時に、出来ることを、したい時に、したいことを精一杯。
 感謝の心を忘れずに食べたいものを美味しく頂き、逢いたい方に逢い、お洒落をして(気持ちをアップさせるために、これはとても大事なことだ。)行きたい所に、出向く。
 自分の体調とうまくバランスを取りながら、たぁさんに言われたとおり、後悔しない生き方が出来るように、細く長くしぶとく頑張りすぎずに頑張っていかなければ、と改めて思う卯月の最後の夜である。
コメント (2)
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