今日は、患者会の秋の全国大会に、2年ぶり5回目の参加をした。昨年は実家のもろもろで参加を見送ったのだった。穏やかな良いお天気で、遠方から参加する会員の皆さんにとっても優しい日和となった。
途中のカフェで軽食を摂っていると、プチ虹のサロンのSaさんから、私の分まで席を取ってくださったというLINEの連絡が入る。有難くも恐縮して会場に向かった。
去年は大きなホールでの実施だったが、今回は、一昨年シンポジウムに登壇させて頂いた時と同じ、定員250名ほどのこじんまりとしたフロア一体型の会場。満員御礼、熱気でムンムンの開催となった。
13時から16時半までの長丁場、その後は場所を移してパーティ。例年のことながら企画・準備から後片づけまで、会長さんはじめ事務局スタッフの方々のご尽力には本当に頭が下がる。
さて、今回は表題のとおり、患者と医師の対話集会~乳がんを賢く治すために~というテーマだ。
Part1とPart2の2部構成で、いつものように事務局のSさんがショッキングピンクのTシャツに身を包み、元気に司会を務められる。まずは会長さんのご挨拶。お風邪を召しておられて殆ど声が出ない中、著書である「がん患者に送る愛と勇気の玉手箱」の中から“がんのあと潔く生きる10か条”をお披露目される。
例年冒頭にサプライズゲストとして永六輔さんが登場されてきたのだが、7月に旅立たれたのは周知のとおり。その追悼のお言葉もあった。
来賓挨拶もなく、すぐに3名の先生方の講演に移る。
お一人目の演者は「乳がん医療の未来~夢と希望を叶えるために」と題して、がん研有明病院・乳腺センター長の大野真司先生。アメリカはオバマ大統領の“がんムーンショット計画”のお話から始められ、新薬の開発状況、人工知能AIの話題まで、長く再発治療を続けていてもまだまだ希望を捨ててはいけない、ということを改めて思わせて頂ける嬉しいお話だった。
お二人目は「ブレストケア科の目指すもの」と題して、埼玉医科大学総合医療センタ―・ブレストケア科教授の矢形寛先生。沢山の笑いを取りながらテンポ良い口調でブレストケア科のPRに加え、小江戸という地域を巻き込んだ様々な活動を明るく紹介された。
三人目は「治療に従事してきて今、強く思うこと 治療方針の決定 Decision Makingは誰がする?」と題して、一昨年Doctor of the Year2014に受賞された国立がん研究センター中央病院・乳腺腫瘍内科外来医長である清水千佳子先生。再発転移がんの治療原則から始まって、日々命と向き合い、ともすれば終末期等重い話題が多くなる腫瘍内科ならではのお話。真面目な先生らしく淡々と進んだ。
そして休憩。あまりの熱気で酸欠状態になってしまい、ホール外に出て、気分転換を図る。ロビーではかつて東京支部でご一緒したEさんやMさんたちのお顔も拝見出来て、懐かしかった。もう一人のMさんやOさんの姿は、残念ながらもう拝見することは叶わない。定期的に開催してきたプチ虹のサロンも、昨年末SaさんとSiさんにお目にかかって以来、なかなか集まることが出来ずに今日まできてしまっていた。メンバー各々の家族、自分自身の状況がなかなか厳しく時間を取ることが難しいのだ。退院されてまだそれほど時間が経っていないSiさんのお顔も見られて、本当にほっとした。
後半は「患者はなぜ有名病院へ行きたいのか」というパネルティスカッションがたっぷり1時間以上。実際に有名病院の3人の先生方を前にして、フロアからは自分の体験や、支部として相談を受けた内容などの発言が続く。文字通り参加型のパネルディスカッションだ。
私自身は、初発ではクリニックから紹介された地域の総合病院にかかり、再発転移した段階で、長い治療を続けるにあたり避けて通れない化学療法の専門家である腫瘍内科医に診て頂けるものなら、とセカンドオピニオンを得たのち、転院した。
とはいえ、特に有名病院志向であったわけではなく、出来れば通うのに近い病院という条件で、今の病院を選んだ。
幸いなことに、これまで8年半の治療のおかげでこうして延命して頂きながら、主治医との信頼関係も築けており、節目節目で納得した治療が受けてこられている。そのため、正直なところ、今回のテーマは特に身を乗り出して聴きたいというものではなかった。
けれど、最後のまとめで会長さんが「このテーマを選んだのは、患者にとって有名病院、名医にかかることよりも、主治医を信頼して良い関係を築けることがベストである。有名病院は治療の節目、セカンドオピニオン等のタイミングで上手く使うことが大切、ということが言いたかった」とおっしゃった時に、我が意を強くした。ああ、間違っていない、私はこれからも今のまま治療と向き合っていけばよいのだ、と力を頂いた。
お馴染みの「ようこそコーナー」では全国から出席している会員紹介。北は北海道、南は九州の方たちまで、今年も沢山の会員さんたちが出席されている。お揃いの衣装を着て、元気に手を挙げたり、アピールしたり。実にパワフルである。最後は会場前方に支部長さんたちがずらりと勢揃いして、永さんを偲び「見上げてごらん夜の星を」を全員合唱してフィナーレ。歌い終えたところで終了時間となった。
お開きの後、Saさんと久しぶりに最寄り駅までご一緒し、カフェでお茶をしながらお喋りをして帰途に就いた。そう、2年前の大会でも出席できたのはSaさんと私だけだった。その前の会では5人揃ってお茶をしていたのにね、と昨年のお正月、10月に相次いで亡くなったメンバー2人のことをしみじみと思い出す。
想えばこの1年、本当に色々なことがあった。これからもきっと山あり谷ありの毎日が続いていくのだろう。けれど、こうして日々を精一杯、そして愛おしく過ごせることに改めて感謝しながら、明日からまた新しい1週間を過ごしていこうと思う10月の夜である。
途中のカフェで軽食を摂っていると、プチ虹のサロンのSaさんから、私の分まで席を取ってくださったというLINEの連絡が入る。有難くも恐縮して会場に向かった。
去年は大きなホールでの実施だったが、今回は、一昨年シンポジウムに登壇させて頂いた時と同じ、定員250名ほどのこじんまりとしたフロア一体型の会場。満員御礼、熱気でムンムンの開催となった。
13時から16時半までの長丁場、その後は場所を移してパーティ。例年のことながら企画・準備から後片づけまで、会長さんはじめ事務局スタッフの方々のご尽力には本当に頭が下がる。
さて、今回は表題のとおり、患者と医師の対話集会~乳がんを賢く治すために~というテーマだ。
Part1とPart2の2部構成で、いつものように事務局のSさんがショッキングピンクのTシャツに身を包み、元気に司会を務められる。まずは会長さんのご挨拶。お風邪を召しておられて殆ど声が出ない中、著書である「がん患者に送る愛と勇気の玉手箱」の中から“がんのあと潔く生きる10か条”をお披露目される。
例年冒頭にサプライズゲストとして永六輔さんが登場されてきたのだが、7月に旅立たれたのは周知のとおり。その追悼のお言葉もあった。
来賓挨拶もなく、すぐに3名の先生方の講演に移る。
お一人目の演者は「乳がん医療の未来~夢と希望を叶えるために」と題して、がん研有明病院・乳腺センター長の大野真司先生。アメリカはオバマ大統領の“がんムーンショット計画”のお話から始められ、新薬の開発状況、人工知能AIの話題まで、長く再発治療を続けていてもまだまだ希望を捨ててはいけない、ということを改めて思わせて頂ける嬉しいお話だった。
お二人目は「ブレストケア科の目指すもの」と題して、埼玉医科大学総合医療センタ―・ブレストケア科教授の矢形寛先生。沢山の笑いを取りながらテンポ良い口調でブレストケア科のPRに加え、小江戸という地域を巻き込んだ様々な活動を明るく紹介された。
三人目は「治療に従事してきて今、強く思うこと 治療方針の決定 Decision Makingは誰がする?」と題して、一昨年Doctor of the Year2014に受賞された国立がん研究センター中央病院・乳腺腫瘍内科外来医長である清水千佳子先生。再発転移がんの治療原則から始まって、日々命と向き合い、ともすれば終末期等重い話題が多くなる腫瘍内科ならではのお話。真面目な先生らしく淡々と進んだ。
そして休憩。あまりの熱気で酸欠状態になってしまい、ホール外に出て、気分転換を図る。ロビーではかつて東京支部でご一緒したEさんやMさんたちのお顔も拝見出来て、懐かしかった。もう一人のMさんやOさんの姿は、残念ながらもう拝見することは叶わない。定期的に開催してきたプチ虹のサロンも、昨年末SaさんとSiさんにお目にかかって以来、なかなか集まることが出来ずに今日まできてしまっていた。メンバー各々の家族、自分自身の状況がなかなか厳しく時間を取ることが難しいのだ。退院されてまだそれほど時間が経っていないSiさんのお顔も見られて、本当にほっとした。
後半は「患者はなぜ有名病院へ行きたいのか」というパネルティスカッションがたっぷり1時間以上。実際に有名病院の3人の先生方を前にして、フロアからは自分の体験や、支部として相談を受けた内容などの発言が続く。文字通り参加型のパネルディスカッションだ。
私自身は、初発ではクリニックから紹介された地域の総合病院にかかり、再発転移した段階で、長い治療を続けるにあたり避けて通れない化学療法の専門家である腫瘍内科医に診て頂けるものなら、とセカンドオピニオンを得たのち、転院した。
とはいえ、特に有名病院志向であったわけではなく、出来れば通うのに近い病院という条件で、今の病院を選んだ。
幸いなことに、これまで8年半の治療のおかげでこうして延命して頂きながら、主治医との信頼関係も築けており、節目節目で納得した治療が受けてこられている。そのため、正直なところ、今回のテーマは特に身を乗り出して聴きたいというものではなかった。
けれど、最後のまとめで会長さんが「このテーマを選んだのは、患者にとって有名病院、名医にかかることよりも、主治医を信頼して良い関係を築けることがベストである。有名病院は治療の節目、セカンドオピニオン等のタイミングで上手く使うことが大切、ということが言いたかった」とおっしゃった時に、我が意を強くした。ああ、間違っていない、私はこれからも今のまま治療と向き合っていけばよいのだ、と力を頂いた。
お馴染みの「ようこそコーナー」では全国から出席している会員紹介。北は北海道、南は九州の方たちまで、今年も沢山の会員さんたちが出席されている。お揃いの衣装を着て、元気に手を挙げたり、アピールしたり。実にパワフルである。最後は会場前方に支部長さんたちがずらりと勢揃いして、永さんを偲び「見上げてごらん夜の星を」を全員合唱してフィナーレ。歌い終えたところで終了時間となった。
お開きの後、Saさんと久しぶりに最寄り駅までご一緒し、カフェでお茶をしながらお喋りをして帰途に就いた。そう、2年前の大会でも出席できたのはSaさんと私だけだった。その前の会では5人揃ってお茶をしていたのにね、と昨年のお正月、10月に相次いで亡くなったメンバー2人のことをしみじみと思い出す。
想えばこの1年、本当に色々なことがあった。これからもきっと山あり谷ありの毎日が続いていくのだろう。けれど、こうして日々を精一杯、そして愛おしく過ごせることに改めて感謝しながら、明日からまた新しい1週間を過ごしていこうと思う10月の夜である。