昨夜の冷たい小雨があがって、今日は快晴だ。夏日になるほど気温が上昇するという天気予報。暖かく雲ひとつない気持ちのよいお天気だ。見れば木々の葉も随分色づいてきた。季節は確実に進んでいるのを実感する。
午前中に仕事を片づけ、昼食抜きで病院に向かった。
今日は、7月以来、100日ぶり4回目のカドサイラ(T-DM1)効果測定になる。前回の撮影は、翌日・翌々日に父の通夜・葬儀を控えてドタバタかつヨレヨレの状態で受けたのだった。記事をアップする余裕すらなかったと見えて、記録がない。
翌週の診察記事によると、やはり肺の腫瘍はどれも大きくなる傾向にあり、各所少しずつの増大。その1年ほど前の去年6月末(カドサイラ(T-DM1)の最初の効果測定時)のCT画像と比べると、どれも明らかに大きく濃くなっていた。ただし、タイケルブからカドサイラに変えた時点(2015年2月)のように、腫瘍の位置が心臓に接近しているというわけではなかった。
右肺の中ほどの腫瘍がだいぶ大きくなっており、胸膜を押しているように見えるので、これが更に大きくなって胸膜を破って外に出てがん細胞がばらまかれると、胸水が溜まって辛くなるとのことだった。とはいえこの段階ではまだ胸水はないし、新しい病変もない。骨の病変は安定しており、肺の腫瘍の増大がこのスピードでいられるのもカドサイラ(T-DM1)のおかげでしょう、とのことだった。
結局その後、なんとか暑い夏を乗り切り、夢だったインドへの旅も実現させ、実家の後始末に加え、瞑想ヨーガの指導者養成コースを受講しながら今までやり過ごしてきている。
最寄駅でも乗換駅でも電車は順調。病院前の桜の葉も赤く色づき始めている。予約時間の30分前に到着。自動再来受付機にIDカードを通し、受付番号票を受け取り、エスカレーターで2階の放射線受付へ向かう。数人が待合椅子に座っている。受付後はいつものようにCT準備室の前廊下へ移動する。
こちらには待ち人がいない。ほどなくして名前を呼ばれ、着替えを済ませ造影剤注入のためルート確保の針刺し。今日も右腕の一番太い真ん中の血管から。看護師Mさんは初めての方だったが、針が太いのでやはり痛む。生理食塩水のパックが下がった点滴棒に繋がれながら、CT撮影室前で待つこと15分。予約時間ちょうどにスタートした。
造影CT撮影は、何もなければ概ね半年に1度のペースだが、薬のチェンジを先延ばしにしていることで、3ヶ月に一度と頻繁な経過観察になっている。今回も上手くかわし切ることが出来れば、次回3か月後は年明けになる。このままなんとか2年間、カドサイラ(T-DM1)にお世話になることは出来ないかと望んでいる。いずれにせよ、まだ残されたカードは複数あるのだから、心も身体もうまく折り合いをつけながら機を逸さずに決断していきたいと思う。
ベッドに寝て万歳の姿勢をとり、顎を上げる。最初は造影剤なしで、次に造影剤を入れて計2回の撮影。所要時間は僅か10分ほど。
造影剤が注入されるや否や、薬液のツーンとする匂いが鼻を突き、瞬く間に血液とともに体中を駆け巡る。体の中心部がカーッと熱くなるえも言われぬ感じにも随分慣れっこになった。とはいえあまり気分のいいものではない。
「息を吸って。止めて下さい・・・。」を繰り返して無事終了。息を止めているのはゆっくり数えて15秒ほど。ヨガの完全呼吸法が自然にできるので余裕である。看護師さんに針を抜いてもらうと、「あ、お久しぶりです。〇〇です。」と声をかけられてびっくり。以前化学療法室にいらしたOkさんだった。4月からこちらに異動されたのだという。「調子はいかがですか。」と問われ、近況報告。布テープできつく止血をしてもらい、ご挨拶をして部屋を出た。
1階に降りて、会計を待つ。待合椅子には沢山の人が溢れていた。30分ほど待って自動支払機で1万円弱をお支払。本日の病院滞在時間は1時間半弱。
いつものことだが、来週の診察時までは普段どおりに過ごし「結果を聞くまで、余計なことは考えない」。今の治療(+αでヨガや瞑想など適度な運動、食欲の秋を楽しみつつ食事を三度三度きちんと摂り、睡眠もしっかり確保するなど、生活全般)が“奏功している”ことを信じ、心穏やかに過ごすに限る。どんな結果になるのか気に病んでみたところで結果が変わることはないし、良いことは何一つない。
お腹がペコペコ、喉もカラカラで駅へ向かう。日傘をさしていても、歩くと汗ばむほど。3時のおやつの時間にようやく遅いランチにありつけた。造影剤を排出するために意識的に水分をたっぷり摂って帰途についた。
半日とはいえ病院を往復するとやはり疲れる。結局今日も夕食は帰宅途中にスーパーでお弁当を調達してしまった。作れれば作れた方がいいし、言い訳じみているのだけれど、体を労わるためには仕方がない、ということで。
午前中に仕事を片づけ、昼食抜きで病院に向かった。
今日は、7月以来、100日ぶり4回目のカドサイラ(T-DM1)効果測定になる。前回の撮影は、翌日・翌々日に父の通夜・葬儀を控えてドタバタかつヨレヨレの状態で受けたのだった。記事をアップする余裕すらなかったと見えて、記録がない。
翌週の診察記事によると、やはり肺の腫瘍はどれも大きくなる傾向にあり、各所少しずつの増大。その1年ほど前の去年6月末(カドサイラ(T-DM1)の最初の効果測定時)のCT画像と比べると、どれも明らかに大きく濃くなっていた。ただし、タイケルブからカドサイラに変えた時点(2015年2月)のように、腫瘍の位置が心臓に接近しているというわけではなかった。
右肺の中ほどの腫瘍がだいぶ大きくなっており、胸膜を押しているように見えるので、これが更に大きくなって胸膜を破って外に出てがん細胞がばらまかれると、胸水が溜まって辛くなるとのことだった。とはいえこの段階ではまだ胸水はないし、新しい病変もない。骨の病変は安定しており、肺の腫瘍の増大がこのスピードでいられるのもカドサイラ(T-DM1)のおかげでしょう、とのことだった。
結局その後、なんとか暑い夏を乗り切り、夢だったインドへの旅も実現させ、実家の後始末に加え、瞑想ヨーガの指導者養成コースを受講しながら今までやり過ごしてきている。
最寄駅でも乗換駅でも電車は順調。病院前の桜の葉も赤く色づき始めている。予約時間の30分前に到着。自動再来受付機にIDカードを通し、受付番号票を受け取り、エスカレーターで2階の放射線受付へ向かう。数人が待合椅子に座っている。受付後はいつものようにCT準備室の前廊下へ移動する。
こちらには待ち人がいない。ほどなくして名前を呼ばれ、着替えを済ませ造影剤注入のためルート確保の針刺し。今日も右腕の一番太い真ん中の血管から。看護師Mさんは初めての方だったが、針が太いのでやはり痛む。生理食塩水のパックが下がった点滴棒に繋がれながら、CT撮影室前で待つこと15分。予約時間ちょうどにスタートした。
造影CT撮影は、何もなければ概ね半年に1度のペースだが、薬のチェンジを先延ばしにしていることで、3ヶ月に一度と頻繁な経過観察になっている。今回も上手くかわし切ることが出来れば、次回3か月後は年明けになる。このままなんとか2年間、カドサイラ(T-DM1)にお世話になることは出来ないかと望んでいる。いずれにせよ、まだ残されたカードは複数あるのだから、心も身体もうまく折り合いをつけながら機を逸さずに決断していきたいと思う。
ベッドに寝て万歳の姿勢をとり、顎を上げる。最初は造影剤なしで、次に造影剤を入れて計2回の撮影。所要時間は僅か10分ほど。
造影剤が注入されるや否や、薬液のツーンとする匂いが鼻を突き、瞬く間に血液とともに体中を駆け巡る。体の中心部がカーッと熱くなるえも言われぬ感じにも随分慣れっこになった。とはいえあまり気分のいいものではない。
「息を吸って。止めて下さい・・・。」を繰り返して無事終了。息を止めているのはゆっくり数えて15秒ほど。ヨガの完全呼吸法が自然にできるので余裕である。看護師さんに針を抜いてもらうと、「あ、お久しぶりです。〇〇です。」と声をかけられてびっくり。以前化学療法室にいらしたOkさんだった。4月からこちらに異動されたのだという。「調子はいかがですか。」と問われ、近況報告。布テープできつく止血をしてもらい、ご挨拶をして部屋を出た。
1階に降りて、会計を待つ。待合椅子には沢山の人が溢れていた。30分ほど待って自動支払機で1万円弱をお支払。本日の病院滞在時間は1時間半弱。
いつものことだが、来週の診察時までは普段どおりに過ごし「結果を聞くまで、余計なことは考えない」。今の治療(+αでヨガや瞑想など適度な運動、食欲の秋を楽しみつつ食事を三度三度きちんと摂り、睡眠もしっかり確保するなど、生活全般)が“奏功している”ことを信じ、心穏やかに過ごすに限る。どんな結果になるのか気に病んでみたところで結果が変わることはないし、良いことは何一つない。
お腹がペコペコ、喉もカラカラで駅へ向かう。日傘をさしていても、歩くと汗ばむほど。3時のおやつの時間にようやく遅いランチにありつけた。造影剤を排出するために意識的に水分をたっぷり摂って帰途についた。
半日とはいえ病院を往復するとやはり疲れる。結局今日も夕食は帰宅途中にスーパーでお弁当を調達してしまった。作れれば作れた方がいいし、言い訳じみているのだけれど、体を労わるためには仕方がない、ということで。