前の記事に書いた通り、今日のトリプルヘッダーの2つ目がシンポジウムへの参加だった。
がんの早期発見の大切さを伝えることに加え、共に生きる社会づくりに取り組む段階にきたという思いで名付けられたというネクストリボンプロジェクトのキックオフイベント。
互いに支え合い、みんなが幸せになれる一つの社会に、という願いを込めて、それぞれ色の違うリボンで、四つ葉のクローバーのシンボルマークが掲げられている。その目指すところは①がん患者が活躍できる社会=がん患者に寄り添い、支える社会、②がんを自分の問題として考え、早期発見のためにがん検診をするのが当たり前の社会、だという。
申し込みをしたのは昨年のこと。錚々たるドクターの講演やサバイバーたちのシンポジウム(しかも無料)だったので、抽選に当たるかどうかも分からないし、自分の体調や治療変更もどうなるか判らない中、ひとまず応募しておいた。忘れた頃、当選しましたというハガキが届いた。開場から閉会まで午後の3時間半、私にとっては一番興味のある部分であるので、片道1時間半近くかかるのは承知で、出向くことにした。
惹句は、“2人に1人ががんにかかる時代。今やがんは、必ずしも死にいたる病ではなく、「長くつきあう慢性病」に変わりつつある。ところが、「がん=死(不治の病)」というイメージが残り、就労などさまざまな場面で問題が生じている。患者にとっては、治療と仕事の両立は大きな課題であり、政府もがんなどの治療と仕事の両立支援を強める方針を決めた。一方、企業にとっても、がんの早期発見や就労支援は、健康経営やダイバーシティー推進の上で重要なテーマである。
今回のシンポジウムでは、双方の視点から、がんとともに生きられる社会を実現するための解決策について話し合い、提案していく。”である。
司会はフリーアナウンサーの原元美紀さん。自己紹介によれば、ご自身も大腸がんを早期発見・早期治療した経験を持つサバイバーだという。
基調講演は国立研究開発法人 国立がん研究センターがん対策情報センターがんサバイバーシップ支援部長・高橋都医師の「ダイバーシティー推進における“がんと就労”」 。
まずは、会場参加者の属性を確認された。企業人として参加しているのか、患者かその家族や友人か、その両方かの3択。企業人であると同時に患者(家族、友人)としてという両方の属性の方が多く、次いで患者自身、家族という順番だったようだ。高橋先生は昨年、実家最寄り駅前にも講演にいらしたことがあった。平日夜だったので、母に「こんな講演会があるから聞いてみたら?」と紹介するに留めたが、私自身伺えなかったので、今回お話を聴けるのを楽しみにしていた。
25分の持ち時間、若干オーバーされたが、ダイバーシティの話題でも分かり易くテンポの良いお話に頷くことが多かった。そして、この2,3年がん患者の就労について社会の意識が変わってきたことを実感しているとおっしゃっていたのが印象的だった。
私自身このブログで、繰り返しがん患者も働きたい、治療は長く続くものだから、決して早まって辞めず、焦らずにあきらめずにしぶとく働き続けてほしい、と発信してきた。そのことで敵を作ったのではないかと助言してくださる方もいたけれど、こうして、通院治療を続けながら働き続けるがん患者が間違いなく増えていることを知り、社会が少しずつ変わってきていることを嬉しく思う。
続いてパネルディスカッション①。50分の予定時間でテーマは「がんを乗り越え働く~日本社会、企業の課題とは~」。一般社団法人グループ・ネクサス・ジャパン理事長、一般社団法人全国がん患者団体連合会理事長である天野慎介さん、NPO法人 5years 代表の大久保淳一さん、株式会社クレディセゾン取締役営業推進事業部長(兼)戦略人事部キャリア開発室長である武田雅子さんがパネリスト。コーディネーターはハフィントンポスト日本版 編集長である竹下隆一郎さん。
パネリストは全員ががんサバイバーだ。男性2人はステージ4や血液がんの2度の再発という厳しい治療を乗り越え、今がある方たち。女性は私と同じ乳がんを12年前に経験され、抗がん剤治療はぜずホルモン治療で、うつを経験しながら無事5年クリアした方だ。お三方ともカミングアウトだけをとってみてもいくらでも語れる体験をされている。
そんな中、コーディネーター氏も言いたいことが溢れてくる様子。だから、50分で時間通り終わる筈がなかった。15分予定の休憩時間を10分に短縮してアナウンスされたが満員の会場、お手洗いの数は限られている。当然その時間ではギャラリーが席に戻れない。ここで結局15分かかり、再開はさらに遅れる。
後半開始。講演「企業がん対策は経営課題」は東京大学医学部附属病院放射線科准教授である中川恵一医師がお話された。このブログでも先生の著書「がんの練習帳」の読書レビューを書いたことがあるけれど、先生は新聞や雑誌で記事を書いたり、本を出されたり、各種委員になったり引っ張りだこで大活躍の方。さすがに慣れておられて持ち時間20分を寸分たがわずお使いになり、島耕作と波平さんは同い年(そういえば私も黒木瞳さんの方が磯野フネさんよりお姉さんという話を書いたことがあった。)というユーモアたっぷりなお話をされ、次のパネルディスカッションに引き継がれた。
続いてパネルディスカッション②。「がんとの共生社会を目指して」はタレントで、両側乳がんでホルモン治療中の麻木久仁子さん、患者会のお客様としても御馴染みの愛知県がんセンター中央病院副院長兼乳腺科部長岩田広治医師、このブログでもレビューした記憶があるが、「がん六回、人生全快」の著者で現在は日本対がん協会常務理事の関原健夫さん。シンポジウム①ではサバイバーとしての立場から登壇した武田雅子さんが今度は企業サイドの立場からダブルヘッダーで登場された。
コーディネーターは2003年に「見落とされた乳がん」キャンペーンを張り、現在も連載中の「患者を生きる」の立ち上げに関わったという朝日新聞社特別報道部記者の岡崎明子さん。
パネリストは伝えたいことが沢山ある方たちばかり。がんと就労というよりも雇用問題、働き方改革まで当然話は及ぶ。バリアフリー社会が障がいを抱える方たちにとってだけでなく、高齢者、子供たちその他全ての方たちに優しい社会であるように、ダイバーシティを推進することは、がん患者の就労だけでなく、あらゆる方たちが働き易い世の中になるということが落としどころなのだろう。もちろん企業は利潤追求する組織だから、公務やボランティアではないので、そうそう綺麗事ばかり言っていられないのだけれど。
関原さんのような、誰もが認める名実ともにスーパーマンだからこそ、40歳にならずしてがんを患い、再発転移により6回のがんの手術、心臓の手術等を受けつつ30年以上金融の最前線で働き続け、社長まで登りつめられたのだろう。けれど、そのご本人がおっしゃっていたとおり、今や正規対非正規が4:6、自分が経験した時代、終身雇用の時代とは状況が違う。健康な人でさえ、職を失う時代だから、理想と現実のギャップをどう埋めるかが難しいという発言にも頷けた。
私がタキソテールの治療中、半年間休職していた頃、ちょうどリーマンショックが起こり、年の瀬のあの年越し派遣村の風景は忘れられない痛みとして覚えている。
色々なヒントを頂いたし、がんを患った職員がその企業の強みになるような社会を、という嬉しい言葉もあった。実際に働き続けていく上で、制度だけでなく運用と配慮が大切ということも頷ける。皆が語りたいネタを沢山持っている中で、コーディネーター役はあくまでコーディネーターとして自分が喋りたいのをグッと抑えないといけない、というのも改めて良い勉強になった。これも言うは易しのことだろうけれど。
それにしても、定員400名満席の会場は暖房と熱気でムンムン。椅子だけがびっしり並べられ、皆、厚いコートを膝に置いたり殆ど身動きの取れない状態。私もそうだけれど、会場にはがんサバイバーが沢山いるわけで、患者に優しい運営とはいい難い状況ではあった。
主催者側としては、せっかく来て頂くのだから、とあれもこれも目一杯色々提供したいという盛り沢山なプログラムなのだけれど、舞台準備の時間が全く加味されていないなど、最初からタイムキーピングにも無理があったように思う。
結局、予定時間を30分ほど超過して、17時に修了。
私は次の予定があったので、閉会のアナウンスとともに早々に失礼したけれど、本当は演者の方に一言御礼を言いたいという気持ちもあった。
久しぶりに参加したシンポジウム。色々な意味で良い刺激になったのは言うまでもないが、もう少し時間の余裕があれば、と思いつつ会場を後にした。
がんの早期発見の大切さを伝えることに加え、共に生きる社会づくりに取り組む段階にきたという思いで名付けられたというネクストリボンプロジェクトのキックオフイベント。
互いに支え合い、みんなが幸せになれる一つの社会に、という願いを込めて、それぞれ色の違うリボンで、四つ葉のクローバーのシンボルマークが掲げられている。その目指すところは①がん患者が活躍できる社会=がん患者に寄り添い、支える社会、②がんを自分の問題として考え、早期発見のためにがん検診をするのが当たり前の社会、だという。
申し込みをしたのは昨年のこと。錚々たるドクターの講演やサバイバーたちのシンポジウム(しかも無料)だったので、抽選に当たるかどうかも分からないし、自分の体調や治療変更もどうなるか判らない中、ひとまず応募しておいた。忘れた頃、当選しましたというハガキが届いた。開場から閉会まで午後の3時間半、私にとっては一番興味のある部分であるので、片道1時間半近くかかるのは承知で、出向くことにした。
惹句は、“2人に1人ががんにかかる時代。今やがんは、必ずしも死にいたる病ではなく、「長くつきあう慢性病」に変わりつつある。ところが、「がん=死(不治の病)」というイメージが残り、就労などさまざまな場面で問題が生じている。患者にとっては、治療と仕事の両立は大きな課題であり、政府もがんなどの治療と仕事の両立支援を強める方針を決めた。一方、企業にとっても、がんの早期発見や就労支援は、健康経営やダイバーシティー推進の上で重要なテーマである。
今回のシンポジウムでは、双方の視点から、がんとともに生きられる社会を実現するための解決策について話し合い、提案していく。”である。
司会はフリーアナウンサーの原元美紀さん。自己紹介によれば、ご自身も大腸がんを早期発見・早期治療した経験を持つサバイバーだという。
基調講演は国立研究開発法人 国立がん研究センターがん対策情報センターがんサバイバーシップ支援部長・高橋都医師の「ダイバーシティー推進における“がんと就労”」 。
まずは、会場参加者の属性を確認された。企業人として参加しているのか、患者かその家族や友人か、その両方かの3択。企業人であると同時に患者(家族、友人)としてという両方の属性の方が多く、次いで患者自身、家族という順番だったようだ。高橋先生は昨年、実家最寄り駅前にも講演にいらしたことがあった。平日夜だったので、母に「こんな講演会があるから聞いてみたら?」と紹介するに留めたが、私自身伺えなかったので、今回お話を聴けるのを楽しみにしていた。
25分の持ち時間、若干オーバーされたが、ダイバーシティの話題でも分かり易くテンポの良いお話に頷くことが多かった。そして、この2,3年がん患者の就労について社会の意識が変わってきたことを実感しているとおっしゃっていたのが印象的だった。
私自身このブログで、繰り返しがん患者も働きたい、治療は長く続くものだから、決して早まって辞めず、焦らずにあきらめずにしぶとく働き続けてほしい、と発信してきた。そのことで敵を作ったのではないかと助言してくださる方もいたけれど、こうして、通院治療を続けながら働き続けるがん患者が間違いなく増えていることを知り、社会が少しずつ変わってきていることを嬉しく思う。
続いてパネルディスカッション①。50分の予定時間でテーマは「がんを乗り越え働く~日本社会、企業の課題とは~」。一般社団法人グループ・ネクサス・ジャパン理事長、一般社団法人全国がん患者団体連合会理事長である天野慎介さん、NPO法人 5years 代表の大久保淳一さん、株式会社クレディセゾン取締役営業推進事業部長(兼)戦略人事部キャリア開発室長である武田雅子さんがパネリスト。コーディネーターはハフィントンポスト日本版 編集長である竹下隆一郎さん。
パネリストは全員ががんサバイバーだ。男性2人はステージ4や血液がんの2度の再発という厳しい治療を乗り越え、今がある方たち。女性は私と同じ乳がんを12年前に経験され、抗がん剤治療はぜずホルモン治療で、うつを経験しながら無事5年クリアした方だ。お三方ともカミングアウトだけをとってみてもいくらでも語れる体験をされている。
そんな中、コーディネーター氏も言いたいことが溢れてくる様子。だから、50分で時間通り終わる筈がなかった。15分予定の休憩時間を10分に短縮してアナウンスされたが満員の会場、お手洗いの数は限られている。当然その時間ではギャラリーが席に戻れない。ここで結局15分かかり、再開はさらに遅れる。
後半開始。講演「企業がん対策は経営課題」は東京大学医学部附属病院放射線科准教授である中川恵一医師がお話された。このブログでも先生の著書「がんの練習帳」の読書レビューを書いたことがあるけれど、先生は新聞や雑誌で記事を書いたり、本を出されたり、各種委員になったり引っ張りだこで大活躍の方。さすがに慣れておられて持ち時間20分を寸分たがわずお使いになり、島耕作と波平さんは同い年(そういえば私も黒木瞳さんの方が磯野フネさんよりお姉さんという話を書いたことがあった。)というユーモアたっぷりなお話をされ、次のパネルディスカッションに引き継がれた。
続いてパネルディスカッション②。「がんとの共生社会を目指して」はタレントで、両側乳がんでホルモン治療中の麻木久仁子さん、患者会のお客様としても御馴染みの愛知県がんセンター中央病院副院長兼乳腺科部長岩田広治医師、このブログでもレビューした記憶があるが、「がん六回、人生全快」の著者で現在は日本対がん協会常務理事の関原健夫さん。シンポジウム①ではサバイバーとしての立場から登壇した武田雅子さんが今度は企業サイドの立場からダブルヘッダーで登場された。
コーディネーターは2003年に「見落とされた乳がん」キャンペーンを張り、現在も連載中の「患者を生きる」の立ち上げに関わったという朝日新聞社特別報道部記者の岡崎明子さん。
パネリストは伝えたいことが沢山ある方たちばかり。がんと就労というよりも雇用問題、働き方改革まで当然話は及ぶ。バリアフリー社会が障がいを抱える方たちにとってだけでなく、高齢者、子供たちその他全ての方たちに優しい社会であるように、ダイバーシティを推進することは、がん患者の就労だけでなく、あらゆる方たちが働き易い世の中になるということが落としどころなのだろう。もちろん企業は利潤追求する組織だから、公務やボランティアではないので、そうそう綺麗事ばかり言っていられないのだけれど。
関原さんのような、誰もが認める名実ともにスーパーマンだからこそ、40歳にならずしてがんを患い、再発転移により6回のがんの手術、心臓の手術等を受けつつ30年以上金融の最前線で働き続け、社長まで登りつめられたのだろう。けれど、そのご本人がおっしゃっていたとおり、今や正規対非正規が4:6、自分が経験した時代、終身雇用の時代とは状況が違う。健康な人でさえ、職を失う時代だから、理想と現実のギャップをどう埋めるかが難しいという発言にも頷けた。
私がタキソテールの治療中、半年間休職していた頃、ちょうどリーマンショックが起こり、年の瀬のあの年越し派遣村の風景は忘れられない痛みとして覚えている。
色々なヒントを頂いたし、がんを患った職員がその企業の強みになるような社会を、という嬉しい言葉もあった。実際に働き続けていく上で、制度だけでなく運用と配慮が大切ということも頷ける。皆が語りたいネタを沢山持っている中で、コーディネーター役はあくまでコーディネーターとして自分が喋りたいのをグッと抑えないといけない、というのも改めて良い勉強になった。これも言うは易しのことだろうけれど。
それにしても、定員400名満席の会場は暖房と熱気でムンムン。椅子だけがびっしり並べられ、皆、厚いコートを膝に置いたり殆ど身動きの取れない状態。私もそうだけれど、会場にはがんサバイバーが沢山いるわけで、患者に優しい運営とはいい難い状況ではあった。
主催者側としては、せっかく来て頂くのだから、とあれもこれも目一杯色々提供したいという盛り沢山なプログラムなのだけれど、舞台準備の時間が全く加味されていないなど、最初からタイムキーピングにも無理があったように思う。
結局、予定時間を30分ほど超過して、17時に修了。
私は次の予定があったので、閉会のアナウンスとともに早々に失礼したけれど、本当は演者の方に一言御礼を言いたいという気持ちもあった。
久しぶりに参加したシンポジウム。色々な意味で良い刺激になったのは言うまでもないが、もう少し時間の余裕があれば、と思いつつ会場を後にした。