ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.12.31 2018年総決算、どんな1年だったか

2018-12-31 23:31:46 | 日記

 2018年大晦日。
 前記事のとおり、今日から親子3代で温泉2泊を経て都心に移動しての旅行中。おかげさまで賑やかな年の瀬を迎えている。
 今日も心は穏やかだ。振り返れば、今年も公私ともに実に色々なことがあった。そして昨年に続き、相変わらずそれなりに動き回っている。

1月  
  第1回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラスで講師を務める。
1年頑張ってくれたジェムザールとハーセプチンの治療に別れを告げて、ゼローダとハーセプチンに切り替え。
  結婚28周年の旅行は2泊3日で上海へ。寒さと副作用によるお腹不調で往生する。
  息子、就職活動で上京が増える。
2月
 ゼローダの副作用で手足症候群が酷く、調整しつつほぼ半分に減薬。内服薬もなかなかきつい。
  金曜夜から前泊し、上野動物園でお昼寝中のシャンシャンと初対面。
 第2回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
自宅浴室のリフォーム。工事中はスーパー銭湯通いで凌ぐ(翌月は突然閉鎖で滑り込みセーフ)。 
3月
 金曜夜から横浜1泊しておさんぽクルーズ等を愉しむ。
  M先生のレッスンのため、都心のヨガスタジオに体験通い。
  体調管理を続けながら淡々と年度末の繁忙期を過ごし、治療をこなす。
4月
 第3回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
5月
 連休は夫と北関東に2泊。
  第4回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
  9月開催のOB・OG合唱団記念演奏会の練習スタート
  息子志望企業からの内定獲得、就職活動収束。
6月
 日帰りバス旅行で近県へイチゴ狩り
  第5回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
  無事57歳を迎える。誕生日は関西の息子を訪れ、就職内定内祝い。
  6.18大阪北部地震に遭遇、帰京叶わず。
  月末瞑想ヨーガの師、Sさん産休入り。サンキューパーティ出席。  
7月
 半年に渡る、月に1度6回のM先生のハタフローヨガインテンシヴコース第二期スタート。
 父三回忌の法要無事終了。
  親子三代日帰りバス旅行で近県へ桃狩り
第6回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
  患者会イデアフォー最終講演会参加、10月で活動終了とのこと。
  昨年、一昨年に続きホテルで母とお誕生日プラン宿泊
8月
 引き続きとんでもない猛暑。職場の空調が効かずに息絶え絶え
CNJのイベントでメイク&フォトに参加。後にポスターやインタビューがHPアップ。
  夏休み、親子三人で大きな旅行は最後!と奮発して、6泊8日のポルトガル旅行を満喫。
9月
 夫誕生日祝いに九州2泊旅、壱岐島巡りと伊万里焼きの絵付けに挑戦。
  瞑想ヨーガの師Sさんの出産お披露目お茶会に参加。
  合唱団創立70周年・OB・OG合唱団設立20周年記念コンサート。Y先生の指揮でHora estを歌う。
  体調管理をしつつヨガ、合唱練習等に励むも学生時代以来の厳しい練習で結構ヨレヨレ。
10月
 第7回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
  あけぼの会40周年記念大会に夫と参加、会長さん引退宣言。
ホームカミングデーで恒例OB・OG合唱団本番無事終了。
  ゼローダの副作用がボディーブローのように効いてくる。
11月
 両肺腫瘍の増大及びマーカー上昇が続くも、体調優先でアリミデックス錠に切り替え。
  第8回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
12月
 ハタフローヨガインテンシヴコース第二期無事修了。
 第9回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
  息子のコンサートとコンテストを聴きに。母も同行して関西2泊。
  年末年始は親子三代で温泉2泊都心ホテル2泊の旅。

 と、こう書きながら、今年は少しゆっくり・・・と言いつつ腰を落ち着ける暇もなく、ひたすら動き回っている、とつくづく思った。我ながら懲りない人である。
 今年の3大ニュースは、息子就職活動無事終了(あとは卒業を祈るのみ)、大阪北部地震遭遇、瞑想ヨーガのクラス講師継続1年・ハタフローヨガインテンシヴコース第二期修了、だろうか。
 通院は3週に1度で落ち着いた。読書量はやはり少なく60冊ほど(途中でPCが不調になり、データが飛んでしまったのでイマイチ正確さに欠ける。)。治療開始以来100数十冊、300冊を超えていた頃が遠い昔のようだ。レビューもろくに書く時間がとれない。当日の治療日記でちょっと触れることすら怪しい。
 映画はそれに比べて少しは観たか。これもPC不調のため映画館で見たもの以外は怪しいが、機内やWOWOWを含めて80本弱。映画館で観たのはその半分より少し多い程度。観っぱなしで、レビューが書けていないのも去年と同じ。

 関西へ旅したのは息子の内定祝いとコンサートで2回のみ。その分息子が就活のために足しげく帰省した。
 上海2泊、ポルトガル6泊、北関東2泊、九州2泊、上野1泊、横浜1泊・・・それなりにショートトリップに出ている。

 地元のヨガスタジオに加え2つ先の駅前にオープンしたスタジオにも通った。そしてハタフローヨガインテンシヴコースなどSさんのスタジオで密度の濃い時間を過ごした。今年レッスンを受けた回数は昨年の136回を超え、ワークショップなども含めると150 回。
 
 治療を続けながら、こうしてコンスタントに身体を動かすことが出来ること、体力をなるべく落とさないように体調をセルフコントロール出来るようになったことは、本当に有難いことだ。治療を続けていくうえで体力維持は必須である。階段の昇り降りがきつくなったり、これ以上息切れが酷くなったりしたら、毎日仕事には出られないどころか、片道1時間半かけての治療にも通えないだろう。

 昨年に引き続き、土日に2日連続して人と会うために都心に出かけることはしなかった。今年、土日連続で都心に出たのは、合唱の追い込み練習とSさんのヨガスタジオくらいか。どちらも自分のために使わせてもらった。
 それでも、物理的に時間が足りない。家の掃除も満足に出来ない。断捨離もちょっと根を詰めて行うと、すぐにグッタリくる。埃を吸えば鼻水は出るし、ちょっとした香りや煙にも咳き込む。曲がりなりにもフルタイムで働いて、家のことを人様と同じレベルで完璧にやろうなどというのはやはり欲張りな話だろう。寝る時間を削ってまで家事をやる元気は今の私には、ない。

 去年同様、クリスマスもお正月も特段の準備もしなかった。いや、正直出来なかった。普段の手抜きの家事だけで既にオーバーフローしている。丁寧な家事仕事は全くもって出来ない。土壇場で発熱したこともあり、大掃除も諦めた。それでも仕方ない、と思えるようになった。それが嫌なら仕事を辞めるしかないのだろうと思う。ただ早期退職してずっと家にいて家事をするかと問われればおそらく・・・。

 大学卒業後34年近く、産休と6ヶ月の病気休職以外休みなく働いてきた。とりあえず健康な身体を頂いたのだから、働くことで社会に少しでも還元することは当然の義務だと思ってきたし、今も変わらずそう思っている。医療費でお世話になっているから、少しでも長く自分自身で掛金払い込みを続けたい。

 けれど、一昨年辺りから、平日のゴールデンタイムを全て取られていると、家のことは二の次になっているという当たり前のことに今更のように気付くことが多くなった。まあ、家にいられる方たちと同じように自宅を綺麗にキープしておくのは、健康な働き手でも難しいことだろう、ともはや開き直っている。

 明日からスタートする2019年はどんな年になるのだろう。来月の検査結果次第では早晩治療変更やもしれない。必要以上に気負うことなく、心穏やかに潔く精一杯生きていきたい。私なりに、私らしく、細く長くしぶとくがモットーであることは変わらない。

 長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
 来年も気力・体力が続く限り細く長く綴っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 皆様にとって、来たる新しい年、2019年がより健やかで穏やかなものでありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。どうか亥(い)い年になりますように!
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2018.12.31 旅行折り返し3日目 帰京、今日からはニューイヤープラン!

2018-12-31 16:30:02 | 

 昨夜は頭痛が心配ではあったけれど、夕食後にさっと入浴してベッドに入った。いつもなら温泉宿泊となれば朝湯も当然頂くのだけれど、今回はそれほど元気がない。鼻は詰まっているし、相変わらず風邪が抜けない。それでもかなり疲れていたせいか、母より早く日付が変わる前に無事寝付いた模様。
 5時間近く眠ってお手洗いに起きたら、やはりその後は眠れずじまい。母は寝息時々かるい鼾をかいていたけれど(私たちが疲れるのだから85歳、35Kgでは相当疲れている筈だ。訊けば鼻づまりの私も鼾をかいた模様)、目覚ましが鳴るまで眠れたようだ。
 隣室の夫は起きて庭園を散歩していたよと言うが、寝坊助息子は電話を鳴らしてもびくともしないで爆睡中。ようやく起こしたら、超不機嫌だった。
ベランダに出ると、それは見事な富士山だ。息をのむほどの美しさで聳えている。押しも押されぬ日本一の山だなあと大晦日の朝、改めて思う。皆で記念写真撮影。

 朝食は初日にフレンチを頂いた洋食レストランで。窓の外から見える芦ノ湖の湖面が濃い緑で本当に美しい。青空の良い朝だ。焼きたてのクロワッサンや果物のジャムが美味だった。乾燥しているので紅茶が何杯でも頂ける。すっかりお腹一杯になって、さて、荷物のパッキングである。

 母は毎度のことがら、旅慣れていないというか心配性というか、寒がりというか・・・一体どれだけ下着を重ね着するのか、というほど大量の下着を持ってきている。両手が空くように身軽に来て欲しかったので事前に荷物を預かったにもかかわらず、なぜか再び大荷物になっている。そして、結果、これも要らない、これも着なかったと空振りのもので溢れている。見かねて私が整理をしたら、必要なものはほんの小さな一包みになってしまった。私たちの洗濯物等を詰めた大きなキャリーケースを一つと母宅に段ボールを一つ、宅急便で送ることにして、大分身軽になった。

 今日はチェックアウト後、新宿にあるホテルのニューイヤープランで2泊の予定だ。ホテルショップで、今回の記念に、小さな来年の亥の置物と家族3人分の同じシリーズのものを買ってシャトルバスに乗り込んだ。

 徒歩圏内の箱根神社にお参りすることもなく、再び港から箱根湯本駅を目指す。明後日の往路を待つ箱根駅伝の垂れ幕や登りがあちこちに設えられている。ちょうど駅伝の6区のコース通りにバスは行く。あらためてこのアップダウンをあのスピードで走り抜ける選手たちの凄さを思う。
 大平台の駅まではスイスイと来たけれど、ここでバスの運転手さんから「渋滞のため、ここからは登山鉄道に乗り換えることをお勧めします。」とのアナウンス。ドヤドヤと乗客は皆降りてしまい、ロマンスカーまで余裕で小一時間あるのだけれど、という私たちもつられて降りた。結果として電車でも到着後は結構忙しかったので、そのままバスに乗っていたらアウトだったかもしれない。

 無事箱根湯本駅に到着し、お昼のお弁当(息子だけは車内限販売のお子様用GSE容器に入ったお弁当を所望する。)やお土産を購入。駅は大混雑していて、なかなかレジが進まない。そして予約しているロマンスカーは1両目の先頭。延々とホームを歩くことになった。
 定刻にVSEの白い車体がホームを滑り出す。少し雲がかかっていて富士山の山頂が見えにくい。お弁当を頂いているうちにいつもなら下車する駅を過ぎる。今日は終点までなので、そこからもなかなか乗りでがある。
 無事終点に到着し、これから宿泊するホテルに向かう。

 ロビーでチェックインして、ラウンジで今回のプランの説明を受ける。部屋は22階の隣り合わせの2室。今朝までの大自然溢れる箱根と打って変わって、大きな窓からは都心の高層ビルの賑やかな見晴らし。
 本当にいいお天気になった。あと数時間で2018年も暮れていくのがちょっと信じられないほど、街は普通に動いている。

 カフェで一息。夫と息子はお正月仕様の金粉入りスパークリングワインとチーズの盛り合わせを嬉しそうに頂き、母と私もそれぞれ好きな飲み物を頂く。
 その後、夫と息子は鎧兜(本物のあまりの重さにびっくり!)を着て刀を持っての写真撮影。家族写真も撮って頂き、いい思い出になった。
 これからはカウントダウンミュージックナイトやら年越しそばやら・・・とイベントが目白押し。今年も最後の最後まで楽しんで終われそう。終わりよければ、全て良しの戌年である。

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